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久々に漫画に感動を覚えた話『音盤紀行』/毛塚了一郎

 僕は近頃の書店にある漫画コーナーが嫌いだ。というより現世の色々を頭から嫌う典型的なオッサンだ。その中でも特に漫画コーナーは久しく寄り付かなかった。

いつからか、漫画コーナーの平棚には、絶対ありえないスタイル(童顔+巨乳+細)の女子ばかりが過剰にキラキラして描かれ、不安定な青少年の興味を引く様な質の悪い麻薬みたいなタイトルがデカデカと書かれた漫画ばかりがこれでもかと並ぶようになった。表紙だけでいっちょ前のエロ同人かと言いたくなる。

サブカルだったはずの漫画に商業が絡みつきメインカルチャーと取って変わってしまった珍妙なこの国で、サブカルの深みを取り除きただ表面的な刺激や興奮で誘惑することがスタンダードとなっている未来には、骨抜きされて崩壊を辿るディストピアが見える。

とまぁそんなことを毎日思っている日常でも本や漫画への希望を捨てきれずしょっちゅう書店に足を運ぶのだが、先日帯文も読まずジャケ買いしてしまった漫画に久々に胸をときめかせているのでここに記録したい。

それがタイトルにもある毛塚了一郎著の『音盤紀行』だ。

同志でジャケに惹かれた方は是非本記事の最後にあるリンクから試し読みをいただきたい。もう正に「待ってました」な空気を纏った漫画なのである。

内容は書けないが、構成としてはレコードにまつわるいくつかの物語で成るオムニバス形式だ。

タイトルにも「音盤」とある通り、「レコードにまつわる」というテーマが基礎になっているのだが、この「まつわり具合」が実に、実に良い。著者の紹介欄に「好きなものはレコードとレトロ建築」とあるが、本当に好きだということがメラメラ伝わってくる。

国や時代もバラバラなストーリーが数種展開されるが、全ての物語にレコード好きのオタクから発せられる「俺の世界観」が一貫している。そしてその世界観が上質で、まるで自身も関わったことがあるかのような、どこか儚い記憶の回想を体験している感覚を体験する。

右のページは序盤の目次だ。最高だろう?

「どこか儚い記憶の回想の体験」を上手に具現記出来ないのだけど、5年前、渋谷で行われたBONE MUSIC展に行った時にも同じ感覚を覚えた。

簡略して書くと、1940年代、音楽を聴くことすら厳しい検閲、規制があったソ連で、どうしてもポップや流行音楽を聴きたい音楽ファンの間で、不要になったレントゲン写真へ溝を刻みソノシート(うっすいレコード)を自主製作し秘密裏に愛聴するというカルチャーがあった。BONE MUSIC展はその展覧会だったのだが、短い時間だったけども沢山を考えさせられた。その時に覚えた感情もどこか懐かしく、儚く切ない、だけど小さな希望の灯りが灯っている・・・、そんな気分だった。

漫画『音楽紀行』は、その感情がより具現化されたような作品だ。誰もが共通の先祖を持ち、DNAの何処かに存在する共通の記憶を後退してゆく、そんな果てない旅のような感動。

心が大きく踊り出すような展開もない。異世界に転生もしない。キャラクターがむちゃくちゃカッコよく、または可愛く作画されているわけでもない。だけど僕は、こんな小さく静かで、けれども深く暖かい感動が伴う作品がもっと在ってよいではないかと思う。

もちろん僕自身が音楽好きで、その周辺のカルチャーもみんな好きというベースあっての『音盤紀行』に体験する感動なのかもしれないが、この漫画は僕のそのベースを抜きにしても一話一話のストーリーが面白い。「謎の投げかけ」をくらっているような感覚にもなり、何度も読み返したくもなるアート性もある。


音楽じゃなくても、この現実世界で「私、なんかコレが好きなんだよね」という言葉で説明が難しい直観の元「好き」だと言えるものを誰もが持っているはず。

現実に存在する自分の「好き」と物語や人、歴史がリンクするとこんなにも世界は暖かいものかと生を実感する。異世界や仮想や推しに躍起になるのを抑えて、もっと自分が触れられる「好き」を見つけて追いかけられる素敵な感動が、こういった作品を通じて波及してほしいとオッサンは願う。


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