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いじめっこは普通に生きている

本題に入る前に。本日も「みんなのフォトギャラリー」から素敵なお写真をお借りしております。ありがとうございます!


会いたくなんてないのに

 通院や友達に会うために平日朝の電車に乗ると、まだ地元に残っている私をいじめていた人間たちと会うことがある。相手が気がつかないことをただ願い、小さくなって震えながら目的地まで揺られる。

 別の車両に移動して変に目立ち気がつかれたら嫌だ。こんな時に限って薬を鞄に入れてないどうしよう。そんなことを考えながら、息を殺す。

 でも、いつも気がつかれないで終わる。もしかしたら気がついているのかもしれないが、私に何も言ってこないで終わる。

 昨日は初めてバイト先にいじめてた人が来た。その人のレジ対応をした。手が震えた。でも、相手は私だと気がついて居なかった。

普通に暮らせない

 苦しい思いをするのはいつも被害者側だ。加害者側は幸せそうに今日も生きてる。人生楽しんだもん勝ち、という言葉は学生時代いじめられた時点で負けが決まる、ということを表してる気がする。

 もういじめられてたから何年も経つのに、今だってふとした事でフラッシュバックを起こすし、過呼吸を起こす。加害者側はこんな苦しみ、味わっていないんでしょう?

 私から何にも怯えずに笑って暮らすということを奪ったいじめっ子たちの罪は、今更償ってもらえないんでしょう?

 泣き寝入りするしかないんだ。だから、今日も私は怯えて生きる。


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