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バンドマン→鍼灸専門学校入学まで(バックボーンについて)

学生時代


子供の頃から勉強はそれなりにできる方だった。それなりの学校に入って、その中でもまずまずの成績だった。「それなり」の学校は「よくできる」学校に勝つために教員、生徒含め必死だった。僕は勉強はそれなりにできたが勉強は好きではなかった。僕はその学校に入って晴れやかな気持ちで登校することは一度もなかった。やがて、僕は学校に行かなくなった。最初は行かないつもりだった。
そして、本当に行けなくなった。


学校に行かずに家にいた頃は心の中に常に恐怖心があって、そいつに打ち勝つことができずに部屋から出られなくなっていた。部屋では音楽ばかりを聴いていて、ビートルズ の「LET IT BE」→(なすがままにという意味)は部屋から出られない自分を許してくれるような気がして、一日中その曲しか聴かない日もあった。好きな音楽を聴いていると心がスッキリした。こんなにも誰かを癒せるものがあるのなら、僕もそれを誰かに伝えたいと思うようになった。恐怖心は無くならなかったが、また外の世界に意味を持てた僕は部屋から出た。
友達と再会した僕はバンドブームに乗っかってバンドマンになった。

20代(バンドマン)


全国のライブハウスを回ったり、CDを出したりして20代は全部音楽に捧げてよくわかったのは、僕は売れなかったということ。
引きこもり寸前だった僕が誰かを癒やそうと作った音楽で得たのは夢ではなく、家族だった。音楽を通じて知り合った妻と今は2人の子供がいる。
もしかすると本当に僕が望んでいたものは音楽での成功という夢ではなく、安心できる場所という家族だったのかもしれないと今では思う。
そして、音楽は今でも続けている。

30代(結婚と鍼灸との出会い)


30代になり、結婚も考え出した頃に始めた仕事が訪問鍼灸マッサージの治療院の運営だった。営業から事務、送迎など、治療以外のことは全部経験させてもらった。僕とコンビを組んでくれていたあはき師の先生は弱視の方だった。日常生活を送る上では問題ないとおっしゃっていたが、書類の処理と運転ができないためにいつも僕が現場に同行させてもらい、病気や症状について調べるのは文字が読めない先生の代わりに全部僕が調べて読んでいた。
そうして、僕もほんの少しだけ治療がわかるようになり、現場で治療を見させてもらっていた。やがて患者様は僕の方にまでお礼を言って頂けるようになり、僕は完全に鍼灸にハマった。 

専門学校入学


そうして、37歳にして鍼灸あマ指の専門学校に入学することになった。上の子が産まれてすぐだったのにもかかわらず、快く学校に行かせてくれた妻に感謝している。


そして今改めて思うことは、
いつも誰かの役に立っていたいということ。
色々経験させてもらってようやく気付いたのは、自分のために動くエネルギーはすごくちっぽけで後ろ向きだったこと。
誰かのために動くエネルギーは前向きで大きく、誰かと繋がることもできるということ。
結局それが1番自分のためになるということ。

僕が携わらせてもらうことになった鍼灸業界や学校、学生のために何か貢献できればと思い、僕がしている勉強の仕方や、学生の間に積極的に学んだことを公開していこうと思います。よろしくお願いします。

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