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プレイアブル 003『玉子愛』

「いやぁ〜、玉子芸術家だねぇ〜」と言って頂く機会が日に日に増えてきている今日この頃。

現在、新橋のとある老舗肉料理店の従業員として勤務しているのだが、すき焼きを食べる際につける玉子の溶き方が独特なのである。お客様一人一人に対して器の中の玉子を箸で白身だけをメレンゲ状に溶いて差し上げ、その後に黄身と混ぜるようにした後、ふわふわなクリーム色になった玉子にお肉を盛って、お客様に召し上がって頂くのが当店のスタイルだ。

玉子の何が面白いのかというと、同じパックに入っている一見全て同じように見える10個の玉子にも、実は一人一人個性があるというところなのだ。そして、その1つの玉子をできる限り短時間で最高なメレンゲ状態に仕上げるのには、扱う玉子の個性に合った白身の溶き方を工夫する繊細な技術が必要であるという点だ。同じ器に入っている黄身を割らずに、白身だけを菜箸で溶くという技術自体は、ある程度練習すれば誰でもできるようになると思うのだが、白身の個別性に配慮した溶き方というのは本当に奥深く、働き初めて約2年半経った今でさえ未だに数多くの発見があり、玉子の奥深さには本当に夢中になってしまう。

目の前の玉子と対話ができた!この玉子が喜ぶ溶き方が出来た!と感じられるのはだいたい40秒くらいで1つの器の玉子を溶き終わる時なのだが(大抵の場合1つに1~2分はかかる)その瞬間は本当に快感であり、達成感に満ち溢れてしまう。

例えば、白身の固さや粘稠度。複数名のお客様の玉子を溶く時には、必ず白身の柔らかい滑らかなものから溶きはじめる。箸に白身が滑らかに絡み、空気を含みやすく溶きやすいからだ。白身が柔らかいのはほぼ粘稠度が高いことに等しいのだが、その粘りに対して空気が1番多く入り込む回転速度で白身を溶いていく。早すぎても遅すぎても、上手く溶けない。絶妙なスピードで箸でかき混ぜる必要があるのだ。

器に割られた10個の玉子を並べたとして、仮に10人で眺めたとしても、この10個の玉子の違いに気づける人は、きっとほんのひと握りであろう。そこに強烈なワクワク感を覚える。誰も解けないなぞなぞを1番に解けてしまったときのような、そんな純粋な嬉しさ、喜びである。自分にしかない視点で、自分の立てた推測を元に一つ一つ仮説と検証を繰り返した上に、この溶き卵の技術は成り立っている。誰にもつべこべ言われず(時々詰まらないことを言われても無視できる力が持てて)、プレイアブルに自分の世界にのめり込むことができ、その結果として自分の成果物が手に取って頂けたお客様に『美味しい!』という、幸せを味わって頂く形で手渡すことができる。このプロセスに私自身は人生の醍醐味を感じている。目の前で唸り声を頂けることは、このコロナ禍に於いて本当に貴重なかけがえのない瞬間で、プレイアブルで磨き続けた技で人の幸せに貢献出来た喜びを日々噛み締めさせて頂いている。

好きで好きで仕方なくて、自分なりの上達のセオリーが自分で探求できる世界が好きなのかも知れない。歌や絵などのいわゆる芸術的な表現物は、評価する人もされる人も母数が多すぎる。私は基本的に人と競うことは大嫌いなのだか、自分自身と競うことは大好きで、いつも自分の限界を突破するくらい成長していきたい気持ちが私自身を駆り立てている。周りに素晴らしい人が多いとそれに見とれてしまい、真似できる何かを得ようと必死になり、ついつい自分自身をしっかりと見ること集中する時間を手放してしまう傾向があるのかも知れない。

だからこそ、競う相手があまりいない独特な世界に身を置きたいのかもしれない。そして、そこで自分にしか出来ない絶妙な技で、何か人に喜んで貰える存在になりたいのかもしれない。やっていることは日常の延長線ではあるが、誰もやろうとしないこと。誰もが当たり前に見えている景色なのに、実は誰も入ろうとしない場所。そんな場所が、きっと私は大好きなのだ。

出会う『人』『物』『場所』が感じさせてくれる幸せ、感動。一人でも多くの方に『胸が震える』をおすそ分けをさせていただくために、あなたのサポートを最大限活用させていただきます。よろしくお願い致します。