見出し画像

プレイアブル 011『信じる』

『自分を信じて』と、ことある事に言われる。『自分にも優しくね』と、ことある事に言われる。その度に何故か涙が出るのだが、理由も分からず、どうしたら自分を信じたりどうしたら自分に優しくできるのかもさっぱり分からずに、ずっと長年過ごしてきた。けれど、ここ最近少しずつ分かってきたのは、人から理解されず辛い想いをしたりしても、何を言われようとどう思われようと、心の中で自分自身に『大丈夫』とか、何かポジティブな言葉や想いを自分自身にかけて、次に次に進む選択をしている人が、人のことも幸せにできたり人の役に立てたりしているんだなぁということだ。私自身未だにネガティブに帰結することが多いということをつい先日兄弟と話して初めて自覚し、自分自身への捉え方を成長させる必要性を感じた。

嬉しい言葉も悲しい言葉も痛い言葉も苦しい言葉も、私はずっと人からもらった言葉を、そのまま何のフィルターも通さずにダイレクトに受け取り続けてきた。周りのみんなができる何かが出来ないことを、なんで出来ないの?と笑われたら『できるまで頑張らなきゃ』と顔を真っ青にしても、体や心を壊しても、できるまでやり続けてきた。また、その姿を見て人から賞賛されることもあったけれど、私自身の世界も、心も灰色のままで、生きている心地がしなかった。

今日は何故かそんなことをぐわっと思い出してしまったのだが、そんな自分も記録に残したらどうなるのだろうかとふとおもい、流れるがままに想いを吐露している。今までは誰にも話せず、ただただひたすら出来ない自分のことを責めて、どうしたら出来るようになるのか考えて、だけど全然分からなくて、『人の役に立てない人間は必要とされない』と家族から言われ続けてきたので、何かができる自分でなければ人からは必要とされないと、自分自身の弱みや苦手な部分は恥ずべきものだとひたすら隠そうとして、できてる部分だけ全面に出すようにして、だから友達にも相談するのが怖くて怖くて、ひたすら泣いて、泣き疲れて結局放心状態になり、成長に結びつく行動を自分でとることが出来ずにいてしまったことが多かった。

人から笑われたり、けなされたりすると、とても傷つくし怒りを感じる。けれど、それを人にぶつけたり、何くそ!今に見てろ!と見返すためにする努力というのは何か酷くケガレている感じがして、やりたくなかった。吐きそうなのに吐けない苦しさにむせび泣いて、言葉にも上手くできなくて、誰からも何も理解してもらえず、ただただ時が過ぎて少し落ち着いて、また灰色の世界に戻っていくことが多かった。

どんな選択をしたら、私は嬉しかったのだろうか。どんな選択をしたら、私は成長できたのだろうか。誰かのせいや、何かのせいにしたくないから、全部自分のせいにしてきたけれど、何かもっともっと、自分自身に対して『大丈夫』『できた』と、誰からも『そうだね』と事実としてできることを増やしていけるとよかったのだろうか。

好きなことを毎日発信する、とかもいいのだろうか。好きなこと、嬉しかったことをつぶやく、とか。ずっとずっと、私自身苦しい努力しか『努力』という定義に入れてなかったけれど、毎日、1個は必ず嬉しかったこと、楽しかったことをつぶやく発信をしていったら、少しずつ世界が変わっていくのだろうか。先は見えないけれど、今まで自分がやったことのない取り組みなので、やってみてもいいのかもしれない。

今日のはなんだかプレイアブルとは全然違うかも知れないけれど、とにかく、何も考えずに、想いを想いのまま、何のジャッジも入れずに、書き出して吐き出す選択をした。そんな自分を褒めてみようと思う。こんなこと言うのも、ホントはすごく勇気がいるけど、とにかく頑張ってきた自分を褒めてあげようと思う。

出会う『人』『物』『場所』が感じさせてくれる幸せ、感動。一人でも多くの方に『胸が震える』をおすそ分けをさせていただくために、あなたのサポートを最大限活用させていただきます。よろしくお願い致します。