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プレイアブル 001『未知への探究心』

自分自身が『プレイアブル』さを感じる何かって、実は日常にすごくたくさん散りばめられているのに、なぜか見て見ぬふりをしてしまったり、他に義務感を感じていることを優先させなきゃ、という思い込みがあって、大切に出来ていないことがたくさんあったなあと気づけた。

だけど、その『プレイアブル』さを感じる何かこそ、自分自身のダイヤの原石であり、それを大切に磨いたり、それに気づいて記録し続けていくことによって、自分自身の価値が、自分の言葉と行動によって一つ一つ形作られていくのではないかと感じる、個人的には一筋の光が射してくるように感じるきっかけが、あった。

なので今日から、できる限り毎日、ひっそりと、自分自身のために、プレイアブルの蓄積録を投稿し続けてみようと思う。

noteに公開する目的は2つ。
第三者の目に触れることを意識しながら書くこととと、この実践の継続は自己価値の建設的な証明書になりうるのではないか?という個人的な仮説を立証していくこと。どれくらいの期間で何がどう変化していくのか、全く未知であることに対して強烈にプレイアブルな感覚を感じており、それをどうしても満たしていきたいと感じている。こんな感覚は未だかつてなかったので、現時点で既に胸が高鳴っている。

今は完全に自分自身のためにしかならない行為だとは思うのだが、継続した原石磨きという行為それ自体が何かになったら、と感じている。未来の自分が過去を振り返った時に、自分の残してきた軌跡それ自体がどこかの誰かのいつかの何かのための美しいアートだったのだと気づけたのならば、生きていてここまで幸せと感じられることは他にないので、noteに記録し続けていきたいと考えている。

きっかけは、友人のライブ動画配信だった。
週一回ほどのペースで個人で自宅からギターの弾き語りライブ動画配信をしている方で、その配信の中のアート解説的なコーナーがあり私はそのコーナーがすごく好きなのだ。

自身の撮った写真と、それに添えた3行文を『謎のアート』と称しており、その解説をしてくれる。写真と3行文しか見ないと、一見友人の心情の吐露にしか感じられないものも少なくないのだが、真価は解説にあると感じている。実は、すごく普遍的なテーマがいつも根底にあり、それについて自身の体験と、影響力のある人が発信している有益な知恵と織り交ぜた体験知のシェアのコーナーである。

つい先日の放送回に『プレイアブル』がテーマとして出てきたのだ。

友人の話を聴きながら、私自身いつも周りを立てることを第一に考え、自分自身を出すこと、すなわち自分の『プレイアブル』を大切にすることに遠慮して生きてきた部分がまだまだたくさんあると感じさせられた。そして、何よりも嬉しかったのが『プレイアブル』な感覚と『他者貢献』とが一つの太いパイプでガツンと繋がっているという感覚を得られたことだ。これが大きかった。

何か、未来が光って見えるような、そんな感覚だった。だから、私はこれから、等身大の発見を一つ一つここに積み重ね、軌跡を残していきたいと感じている。

ひとまず今日はここまで。
明日が来るのがここまで楽しみと感じられる感覚は割とすごく初めてかも知れない。

出会う『人』『物』『場所』が感じさせてくれる幸せ、感動。一人でも多くの方に『胸が震える』をおすそ分けをさせていただくために、あなたのサポートを最大限活用させていただきます。よろしくお願い致します。