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ネガティブをポジティブにかえる心の体力

文句を言いたい人はそのワードしか聞いてない

 最近、ネガティブな話題を全部ポジティブな言葉に変えながら会話をする知り合いがいて、俗に言う失敗は成功の母みたいな会話が繰り出している。「昨日彼女から連絡がこなくてさ。声聞けないから寂しいし、何してるのか心配になった」なんて発言すると「彼女のことを思って過ごす時間が増えたし、彼女の心配をする少し優しいあなたの一面も観れた。それを知ったらきっと彼女も嬉しくなるんじゃない?」とか「仕事終わるのが遅くて昼まで寝ててさ、出かけようと思ってたんだけど、どこも行けなかった」と言うと「昨日は暑かったし、熱中症で倒れる人もいた、少しお疲れだったから休んで身体もリフレッシュできて最高じゃない?」とか言われる。
 気持ちが落ちている時はつい愚痴ったり他の人の悪口を言ったりすると少し気が晴れる。お酒を飲んであらゆる文句を吐き出せば元気になった気がする。けれどその後には、そんなネガティブな出来事を思い出して余計に腹も立ってきて、嫌いな人の顔まで思い出してイライラが募って、次の日にはもっと気分が優れない時間がやってくる。どんどんネガティブにパワーを奪われてしまう。


ネガティブがネガティブな出来事を呼び寄せる

 大好きな映画スターウォーズの中のテーマとして、愛する気持ちが強くなりすぎて、心が弱ってくると「暗黒面に落ちてしまう」ことがある。愛ゆえに、その愛を守ろうと、あらゆる手段を取ろうと、いつの間にか、誰か、何かを憎み始めるタイミングがある。あいつがあんなこと言わなければ。あの場所であんなことが起きなければ。あいつが余計なことをしなければ。どんどん視野が狭くなり、自分の暴走する気持ちが、自分の行いが「常識で考えれば間違ったと思える行為」に至ったとしても、それを擁護するだけの言い訳が、自分の中で自分を陥れてします。
 アナキンスカイウォーカーは愛する女性を守るため、師匠を裏切り、彼女さえも傷つけ、そして自分の体さえも犠牲にしてしまう。でもそんなアナキンを救ったのもそのアナキンのことを知らずに育ったルークスカイウォーカーだった。しかし、そのルークでさえもその愛憎の連鎖から抜けられなくなるのが、ディズニーに移行してからのスターウォーズだった。
 ん〜、ちょっとスケールがでかくなりすぎて、僕も暗黒面に落ちそうになったのでYouYubeでも観ながら休憩します(笑)


三人寄ればかしましいのだろうか?

 このご時世「女性三人寄れば・・・」なんて口が滑っても言えませんが、正直な話し「人による」ですね。男性が〜。女性が〜。と言われるように「人による」。男でも三人寄って上司の悪口、取引先の悪口を永遠と飲み放題90分で語り合っている姿もあれば、女性が三人集まって悲しむ人の励ますことについて語り合ってる姿も目にする。前者の中には負の言葉が負を呼び、翌日重たい気持ちで職場に向かい、重たい気持ちで業務を進め、取引先の言葉にまた重たい気持ちになる。後者の方々の場合では知り合いを励ますことに集中しながらテキパキと業務をこなし、帰り道で彼女の大好きなワッフルを探しながら少し優しい気持ちになる。人と人が集まれば何らかの影響を受けてしまいますが、良き空気の流れる集まりの中にいたいものだと常々思いながら生活しているような気がします。


そもそも文句を言いたい人は人の話を聞いていない

 人の悪口や文句を言うのが大好きな人は、自分が文句を言いたくて言いたくてウズウズしている。自分の言葉を喉から出る勢いで待ち構えてるから、そもそも会話の内容を聞いていない。自分が文句を言うタイミングを狙って、そのワードが出てくるのをただ待っている。いや、待っていない(笑)。あの人って1だよね。と言うと2と3と4が一気に出てくる。一しか言ってないのに、2と3と4はどこから出てくるんだろう?それあなたの妄想ですよね?1だからと言って2でも3でもないかもしれない、そもそもあなたはその1しか知らないのに2と3と4についての情報はまだ無いわけで。さらに別な人が5とか6とかだよね〜。なんて言い出す。そもそもこの会話の目的はその人に文句を言うための会話ですよね。そうやって気がつくと最初に口に出した人の思いなんてすっかり置き去りになり、その人がいかにダメな人なのかが話題の中心になる。

 そしてその発言には大抵少なからずの嘘が混じる。嘘を混じえて発言するうちに、多少の嘘は会話の味付けだと、話しを少し面白くしているんだと。そして段々と自分を擁護する、自分を大きく見せたい、自分の理想を現実なように、気がつくと虚構の自分が会話の中に存在し始める。

 ふと気がつくと周りはその人の話を聞かなくなる。周りから人が離れていく。いや気がつかなくて、なんだあの人は嫌な人だな。私に氷上を持っているんだな。どうせあの人には私のことなんて理解できないんだ。私の方からサヨナラだわ。私は私と気の合う人とだけ触れ合っていればいいさ。なんて言いながらいつもいつも周りにいるメンバーの変わる方も人を目にすることも少なくない。

 どうせ妄想で話が広がって議題もそれて話が膨らむならポジティブな方向に進んんでいく会話が楽しい。楽しい妄想はいつか現実になってほしいとさえ願う。


会話を聞いていないから同じ話を何度も聞いてくる

 えっ?その話前にも話したよ?えっ?聞いてない、聞いてない。昨日誰々があの人に文句を言うからそれは違うよって話した時に、そのお店の料理が美味しいって話したでしょ?あぁ〜!聞いた、聞いた!
 それでも楽しい話ならもう一度話して楽しい時間を増やしたいが、それがまたおんなじネガティブな話になるのなら、もうめんどくさいし、嫌な気持ちになるから「あっ言ってないかったね、その話はもういいや」そう言って話を切り上げる。話しに夢中になってしゃべり倒しているうちに、気がつくと誰も聞いてない、返事がなくなった。なんてことがよく起こる人はこの辺もよく考えてみたほうが良い。そう、そう、僕が映画の話を始めると気がつくと誰も聞いてないし、そもそもこの長文をふむふむと読んでくれないのも僕は気づいていない(汗)


話しをまとめると

 話しをまとめると、自分から自分を分析して、自分で自分を変えるなんてなかなかできないことだし、そもそも自分を自分で分析してもいいところしか見えない。最近僕の周りの環境が目まぐるしく変化して、いろんな人が現れては消えていき、いろんな人の人生観や価値観、話し方のニュアンスから育ってきた環境をまざまざと目にした。
 よく映画や小説をたくさん見聞きすると、自分では体験できない他人の人生を擬似体験することで、他の価値観や人生観を味わうことができる。と言われるが、そんな感じで様々な擬似体験ができた。そうやっていろんな人の輪の中で、良い影響を与えてくれる人々の輪、暗黒面に引きずられる輪があり、良い影響を与えてくれる輪の中では、他人が自分を分析して褒めてくれたり修正してくれたち、勇気付けてくれ、新しい可能性を示してくれる。自分でなんてなかなか出来る物ではない。そして新しい価値観を見せてくれる。ただそこには依存や頼り切った丸投げがあれば、それは誰も受け止めてはくれない、give&takeと言われるが、受け取るだけでは仏様でも振り向いてはくれない。仲良しこよしの馴れ合いの輪の中では誰も与えてもくれない。夫婦でさえも他人、そんな他人が集まってリスペクトするのならそこには礼儀を思いやりが無ければいけない。
 と、結局話しはまとまらないままに、まとめに入ってしまいました(笑)

 最近僕の心の響いている井上陽水の「青空ひとりきり」の歌詞を置いておきます。

井上陽水
青空ひとりきり

楽しいことなら 何でもやりたい
笑える場所なら 何処へでもゆく
悲しい人とは 会いたくもない
涙の言葉で 濡れたくはない
青空、あの日の 青空、ひとりきり※

何かを大切に していたいけど
身体でもないし 心でもない
きらめくような 想い出でもない
ましては我が身の 明日でもない
浮雲、ぽっかり 浮雲、ひとりきり

仲良しこよしは 何だかあやしい
夕焼け小焼けは それより淋しい
一人で見るのが はかない夢なら
二人で見るのは たいくつテレビ
星屑、夜空は 星屑、ひとりきり

歌:井上陽水
作詞:井上陽水
作曲:井上陽水
https://j-lyric.net/artist/a00071f/l002298.html

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