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母が自宅で亡くなった時の、救急と警察と葬儀屋と親戚のお話し

ひとり暮らしの自宅で逝ってしまった母と第一発見者の息子

 先日母が旅立ちました。自宅で亡くなると警察の取り調べが大変。とか、死亡認定に時間がかかる。病院や施設で亡くなれば割と手続きは簡単だ。そんな話しもよく耳にしていた。そんな一人暮らしの母を母の自宅でこの息子が発見してしまい、その後のメンタルが下がった中で、救急隊員や警察、刑事に葬儀屋と対峙した苦労話しをここにまとめておこうと思う。できればそんな場面に遭遇した方の心算にでもなればと思います。いやぁ〜大変でした。
 母はずっと怠いとか食欲がないとか、ヘトヘトだとか電話で話していた。とりあえず健康状態が不安なので毎日毎朝、安否確認というか元気づけも兼ねて通勤途中に電話をかけていた。

そんな様子は家族も感じてはいたが思いのほか早く訪れた

 前の晩に家族LINEで皆とも会話したりしていたが、その朝は何度電話をしても出ない。LINE電話に切り替えても出ない。いつも電話の後に買い物に行母が、この日に限って先に買い物にでも行ったのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、会社に着くまで何度も電話をする。仕事場でまた何度か電話するも出ないのでこれば絶対に何かあった。そう思い、ここ数日の電話越しの様子からも最悪な事態も想像は簡単だった。このことを会社に伝えて母の自宅へ向かった。
 鍵はかかったまま。後から気づいたのだが、茶の間の灯りもつけっぱなし。寝苦し暑い日々が続いていたが窓も閉めっぱなし。ベッドにはパジャマが置いてあったが服を着たまま、ソファーの下でうつ伏せになったまま、呼吸もせずに、ムッと蒸している室内の中、身体も少し冷たく、さすっても声をかけても反応もない。そのまま119番に電話をして事を伝えると10数分で到着しますとのこと。それまで待機する。ふと冷静になり窓を開け、外の空気を取り込み、喉が乾っからだったので水道から水を飲んだのだけれど、コップも使わずどうやって水を飲んだのかよく覚えていない。
 救急隊がかけつけ、母の様子を確認し、いろんな機器を使い、いろんな数値をみて、搬送には至らないと結論付け、警察が到着するまでに、ここまでの様子を質問され時系列に従い報告をする。

今度は制服警官が多数押しかける

 救急隊員は割と優しく、ゆっくりと話しかけてこちらの様子を案じながら、メンタル的にも体調を崩される場合もあるので一度座ってみましょうかと声をかけられた。
 少しの間が経って今度は制服警官が4〜5名現れ、先ほど救急隊員に伝えた同じ内容を、また一から聞かれ、僕はもう面倒くさいなという気持ちが湧き出てきた。そして、現場を現状のまま確保し、証拠を集めなければいけないからと、僕は奥の部屋でドアを閉められ母のいる茶の間は見えないようにされた。靴下のまま歩き回ると指の指紋のように僕の足形がそこらじゅうに残るらしく、歩き回らないようと言われた。正直僕は容疑者なのか?と少し憤慨したが後々嫁さんに「そりゃ密室で第一発見者なんだから一番怪しい人になるよね」と言われ少し納得した。
 鑑識の方なのかあらゆる写真を一通り撮り巻くり、母と僕のスマホのLINEの画面や発信記録も一眼レフに収められた。その頃今度は刑事と名乗る私服の人が3人現れ、また同じ話をいちから質問され、流石に今どきタブレット等で情報共有や鑑識班の撮影映像を閲覧できないのか?なんて時代錯誤に少々戸惑った。
 とりあえず事件性の可能性はないか、外部からの侵入および外傷による形跡はないか、このまま遺体を警察署で引き受け、死因等を確認する作業に入るそうでそれが終わるまではこちらは何もできません。ただひたすら待つのみ。ここで不審な外傷や事件性が疑われるものが見つかれば監察医、法医学者等が出てきて病理検査や解剖に至るケースもあるとのこと。その場合は最短でも2〜3日以上かかるとのこと。それまでは当然葬儀もできません。
 とりあえず母は「葬儀はいらない」「身内だけでひっそりと送ってくれ」そう言っていたけれど、警察からも「お母さんを引き取る際には葬儀社と来てください。お母さんを搬送してもらいます」とも言われた。
 午前中の早い時間に母を発見しここまでですでに午後の14時。とりあえず引き取りも依頼しなければいけないので、スマホで検索して高齢の親戚等も考慮し公共交通機関最寄りの場所を優先し、上から順番に直接相談できるか電話をかけまくる。この段階では嫁さんも駆けつけていたので、電話をかけたのは嫁さんなんですけどね。

とりあえず心配な警察案件と葬儀屋案件が落ち着いて一旦安堵

 とりあえず全身がバキバキだったのでこの辺りに暮らしていた当時の整骨院に電話を入れて16時に予約を入れる。とりあえず何か口にしないととマクドナルドでセットを頼むもあまり喉を通らず、ポテトはほぼ残してコーラだけは完飲。整骨院の入口で受付をしていると警察署から電話が来て問題がなかったため、お母さんを引き取りに来てくださいと連絡が入った。えっ?まだ葬儀屋も決めてないのですが?しかも関東から今日中に母に会いたいと慌てて飛行機に飛び乗った親族もいる。流石の僕も頭の中がパニックで深夜でも対応可能でか?と聞いてしまう。まぁ警察署の安置所は狭く専門の担当者もおらず、刑事さんが待っていることになるのだとは葬儀会社の方のコメント。
 とりあず15分だけ整体してもらい葬儀屋へ向かい、ほぼ1〜2時間で全てを決めた。「本当の身近の親族しか集まらない」「通夜はやらないが安置室で面会ができて線香を上げられること」「翌日告別式は無宗教の友人葬でプログラムの予定はないが出棺等の故人と触れ合う時間を有効に活用したい」「とにかく葬儀は飲食や引き出物とお花にお金がかかる。本番の葬儀よりもこちらで金額が膨れ上がるから全部なし」「その分、火葬場までの20人乗りのバスは手配してほしい」「火葬場での控室は予約してほしい」「最後に母にもシャワーで気持ちよく汗を流して、警察署や検死での疲れを癒して、派手好きな母にもしっかり化粧をしてほしい」それでも気がつくと見積もり契約書の金額は70万円を楽に超え、これにその後にかかる細々した諸々合わせれば100万円は行ったかもしれない。
 関東から駆けつけた孫やひ孫も当日中に母と面会が出来、安心というか決心というか、取り合えずみんなここで一時深呼吸ができた。ふと冷静になると出棺時にお棺に添えるお花がアレンジ二個じゃあんまりにも足りないだろ?そう頭をよぎり、勤め先に電話を入れ普段は辞退している従業員による互助会と会社からのお花供物でスタンド花を2個お願いした。また母の兄妹にも電話してお花を用意してもらった。やっぱりなんだかんだとそこから連絡の入った数名からも当日お花が届き、当日のお棺の中は母の好きだった「白い百合の花」でいっぱいに飾られた。そしてスタッフさんが気を効かせてくれ、スタンド花を抜いてラップで包んでプチ花束をこしらえてくれ、お棺に収めてくれた。ありがとうみんな!

家族だけの小さなお葬式。何度か大手で人を送った僕も1枚に収まる安心見積書

 葬儀の見積りについてはよく分からず気がついたら80万円のコースを選んだはずなのに、オプションオプションで気がついたら300万円に跳ね上がっていた。なんて話をよく聞く。あれ、葬儀屋さんの料金表の基本セットはあくまでも祭壇とお棺とお写真、霊柩車とドライアイス3日と会場使用料程度なのです。
 ここに例えば参列者が50人としよう。この50人に対して香典返し×1500円。お通夜振る舞い食事×5000円、飲み物ビール×ひとり3本?、お泊まりする親族の宿泊用の控え室代×30人分の寝具、朝食×2500円、火葬場でも仕出弁当×3500円。火葬場へのバス使用料20万円。戻って来ての繰上げ供養でお土産の仕出しお弁当×5000円。引き出物×2000円。この他にもどちらかのみの参列者への香典返しやら途中で帰る方のお通夜振る舞い。これだけでざっと100万円は下らない。お花はあれがいい、祭壇は故人の好きだったあのお花で豪華に飾りたい、せっかくだから湯灌で故人をお風呂に入れてあげたい、真っ白な白装束じゃいやだから華やかなものがいい、お棺を覆うカバーも個人の好きだったあんな色や模様がいい。
 最初に戻って祭壇を飾る豪華なお花、それも全部お花ですから例えば100万本のバラで埋め尽くせば気が動転するくらいの金額になるし、レンタルとは言えおしゃれな灯籠や飾り、司会進行係から受付窓口のアルバイト、お寺さんへのお布施や戒名。戒名とはこれを機にお寺の仏門に入部して弟子となり一緒に仏の道を修行するための入会手続きみたいなもの。せめて金額で叶うならスタートから優良会員でプレミアム課金をつけてあげたいと、ちょっと徳のある戒名も欲しいところ。うちは無宗派なのでお寺さんも戒名もございません。この世界で通した戸籍謄本に乗ってる俗名であの世で活躍してください!
 ちなみに結婚式では友人がこしらえたおふたりのムービーなんかが上映されますが、僕は義理父母の時に仮通夜後に一旦自宅へもどり、遺影をフォトショップを駆使して背景を満開の桜にし、故人の近影の動画をまとめてショートムービーを作り、親族へ故人の最後の活動シーンを楽しんでもらった。さすがに自分の親の時のこれをやるとメンタルも体力もボロボロで倒れるなと思って自粛させてもらった。なんて言っても葬儀委員長から喪主から司会進行、運営スタッフまでひとりで兼務したので当日は頭が興奮して一睡もできませんでした。
 やっぱりお金で済むならお金で解決したほうが良い。そういう考えも正しいと思う。まぁみんなに助けられながら、いい葬儀屋さんに出会えてみんな穏やかな表情でにこやかに過ごしていました。
 ということで最近よくテレビCMで眺める小さなお葬式とやらの葬儀屋さんのカタログや資料を取り寄せて、なんとなくでもぼんやりでも、どこに頼むかも後回しでも、とりあえず内容の把握とどこまでやりたい、これはいらない、これは必ず必要、というリストを作成しておくことを強くお勧めします。特にお寺さんが決まっていたり、檀家さんだったりするともう難しいことは全部お任せします。なんてことになれば、選択肢がどんどん狭くなり恐ろく高額な予算になることを覚悟しないといけませんから。
 義理父は公務員でそれなりに立場のあった人なので義理母にそれなりの遺産を残していたので、正直かなり贅沢な葬儀も出来たのだけれども、やっぱり知らない人ばかりが集まっても誰と誰のお別れの儀式かわからなくなるので、親戚兄弟、甥姪、孫の身内だけでその分、飲食で贅沢をさせてもらった。

フレイルとかメンタルとか熱中症とか倦怠感とか

 先日母が旅立つまで、ずっと怠いとか食欲がないとか、ヘトヘトだとか電話で話していた。北海道では1年のうち半年は雪に覆われ足元が悪くなる。数年前に雪道で転倒して骨折。ということを2度ほどやってしまい、またこの前の冬には冬シーズン始めに転倒して尾てい骨を強打して数週間痛みが強く家事も億劫になるほどで、恐怖心でワンシーズン一度も外へ出ることを控えた。これまでに体力つけないと筋力を落とさないよう努力しないと、ひ孫と遊べなくなるしと買い物に、散歩に室内でも筋トレに精を出していたものに、春になり雪が溶けた頃にはそれまでひとりで自信満々にスーパーへ毎日買い物に出掛けていたのに、足取りもおぼつかず、わずか5分程度のスパーへ行くにも娘の手を借りて20分もかかりヨボヨボとようやく歩くまでに衰えていた。夜になると元気にお友達をお酒の場に出かけるのが好きだった母も、お友達に誘われても面倒になり、断る回数も増え、それでも毎日、毎日買い物と散歩と室内での運動に精を出し、スーパーへの買い物はひとりで出かけるまでに回復していたが、きっと内面では身体はかなり衰えを見せていたんだろうなと想像する。
 検死の結果では循環器の不全によるものでCT等での検査でも特に脳内の出血も、心臓や血管での破裂や、瞼裏の出血もなく、脳梗塞のような急に苦しんでた様子は皆無なので、穏やかにすーと眠るように逝ったようですと刑事さんから報告を受けました。
 今年も例年になく猛暑で暑い夜が続き熱中症で搬送される方が増えている中、暑がりの母がカーディガンを着たまま無くなっていたので、これが年寄りの暑さを感じなくなるやつか?そう感じさせた。

冠婚葬祭は支え合いと昔の人が言っていた

 正直僕はそんなお金に余裕もなし、突然目の前に想定以上の金額が現れ「葬儀なんかいらないから、死んだらそのまま火葬場へ直行する」そう言っていた母だが、やっぱり母の兄弟も最後にひとめ会いたいよな。火葬する前にお花を飾りたいよな。骨と灰になってしまったら気持ちがお別れできないよな。このわずか数時間のあいだにいろんな人と話をして、いろんな人の希望を聞いて、そうだよなぁ。と気持ちも新たになた。そして香典を包む意味。それなりに地位もお金もある人はそれなりに包んでくれる。そうでない人もそれなりに身分相応という結構無理して包んでくれる。そして道外からもお花が届く。こうやってみんなで力を合わせて故人を送る。みんなの力を思いを集結してかかる費用を少しは軽減して、みんなの思い出故人を送る。
 昔の田舎では住民皆があつまり炊き出しをして、男連中は力作業を、遠方からの方を送迎したり、女衆はみんなで炊き出しやら通夜振る舞いの用意をしたり、役場関係を手配をしたり。村が一つになって故人を送っている。たまたま僕もそんな葬儀に参列したこともあり、地元の母連中が作ってくれた炊き出しのカレーは美味しかった。家を建てると言えば然り、誰かの婚姻があると言えば然り、誰かが怪我をしたと言えばみんなで支え合う。そんあ原風景を僕もまだ中学生ぐらいまでは見ていた。町内どこのご家庭でも何故か僕のことを皆さん知って爺さんの孫もこんなに大きくなったのかと一方的に話しかけられるおじさんにお菓子をもらった。
 おかげさまでそれなりに葬儀費用の僕の負担は減り、それ以上にみなさんの温かいお気持ちをいただいて、あらためて母は愛されていたんだなと実感を噛み締めた数日の出来事でした。あとはお墓だな。

どこに眠るか。それともどこへお参りに行けるか

 祖父母が眠る海の見える閑静な丘の上の霊園はあるのだが、なにせ遠いい。車がないと、公共交通機関を使えば行って帰ってくるだけで1日が終わる小旅行になってしまう。これを年に何度か、そして僕らもどんどん衰えて、いつかはいけなくなる日がそんな遠くはない。生前にまだ元気だった母に、そういうところで眠ると僕や妹はなかなかお墓参りには行けなくなるよ。また関東に暮らすひ孫だって多分いけないから、どこか市内で電車やバスで通える場所がいいんではなかろうか?と、事あるごとに話していた。母が逝ってしまった後にゆっくりのんびりと兄弟で相談して決めるからね。と言っていた。
 関東で暮らす母の孫とひ孫。お墓を観れるのは彼らしかいないので、初めから永代供養墓にしようと決めている。縁もゆかりも無いがここで新しくできる縁もあってもいいのかもしれない。見ず知らずの方々と一緒に同じところで眠る。そして手を合わせ母を思い出して元気だった頃の母に語りかけ、そして母が繋いでくれるこの縁で、これまでには訪れなかった新しい風景を愛でながら、母に手を合わせながらこれまで僕があまり大切に思ってこなかった縁や支え合いや感謝を、感じながら暮らしていこうと思いました。

#今月の振り返り

#お金について考える

#自分で選んでよかったこと


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