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歌は時おり人を裏切る

歌のない時間ある時間

 しばらく動画の編集や制作に趣味の重点を置いていた頃、歌というよりも音楽、もっというとBGMとして音楽が作り上げる動画のエッセンスとして、ある意味調味料としての音楽が僕の時間の大半を占めて、楽しい動画のための楽しい背景音、ほのぼのとした動画のための背景音を常ずね頭に浮かべ、そんなBGMを散策する日々が続いた。
 環境が変われば物事や周りの空気が入れ替わる。そして音楽が歌に代わって、どんどんと僕の脳味噌の奥深くで眠っていた歌や語りが表に出てきて、こんな歌詞に助けられた、あんな歌詞に勇気をもらった、あの歌声に包まれて暮らしていた。そんな時間が僕を日々突き動かして、歌うこと、思うこと、願うこと、そして伝えたいことがふつふつと蘇ってきた。


人それぞれに何かしらの歌がある

 悲しい時にふと夜空を見上げるとそこには歌があった。寂しい時ほこらで慰めてくれた歌があった。そんなフレーズはずっと昔からあって今でも歌い継がれてきたように思う。失恋した時に優しく包んでくれたのも、挫折して朽ち落ちても立ち上がる勇気をくれたのも歌だった。そうやって様々な歌い手の口から手が差し伸べられてきた。そしてこれからもこれからもずっと。誰しも思い出の歌があり、元気をくれる歌、のんびりと気分を落ち着かせてくれる歌、勇気を振り絞り背中を押してくれる歌。悲しみに満ちた時にずっとそばで話を聞いてっくれた歌。そしてその歌を聞くことでその当時の思い出や、心の揺れ動き、懐かしい人の顔や優しさが目の前に現れたりもする。

歌は友だちいつも側にいてくれた

 僕がまだ幼い頃、転校生だったこともあり、仲良くしていた学校の友達とはすぐに別れが来る暮らしがしばらく続いていた。小学生時代によくある、元気でね、手紙を書くよなんて場面でも、一度や二度のやり取りで時間が新しい軸に移るにつれてどんどんと消えていく。そしてまた少し後ろに下がった位置から新しい輪の中を眺めては、少しだけ違う時間を過ごしていた。
 新しくやってきた僕とずっとそこで過ごした友達との中には、僕の知らない思い出や僕が参加できなかった行事があり、同じ共感を得られない場面というものがそこには横たわっていた。
 そんな折に新しい友達が教えてくれたギターと歌が、僕のひとりの時間に新しい輪をこしらえて、ギターを練習しながら歌ってみて、そしてまたオリジナルに聴き入って、ちょっと不安で寂しい気持ちをそうだね、よくわかるよ、でも前に進まなければ。といつもいつも何度も繰り返し語りかけてくれていた。僕がどこへ行こうと、どんな気持ちの変化があろうが、誰を好きになろうが常に歌はずっとそこにいてくれる。

歌が僕を裏切る気持ち

 そんな僕を勇気付けてくれた、その歌を作った人、その歌を歌ってくれた人はいつも僕に正しくあれよと語っていた。好きな人に好きだと言えない気持ち、好きだと言えなくとも好きでいれよと歌ってくれた歌詞。明日へ踏み出す勇気がなくて立ち止まっても、正直な気持ちで前を向いてと背中を押してくれた歌詞。もう二度と失敗は嫌だよ悲しいよ、だから僕は二度と失敗はしない恐れはしない、勇気を出して前へ進むんだ。そんなメッセージを僕に投げかけてくれた人が、そんなの理想だよ、そんなこと出来るわけなだろ。とでも言っているようにしか見えない行動を見てしまった時に、その歌詞や思いや歌は全部嘘になってしまう。結局あんなこと歌っていたのは全部嘘なんだろ。ひとつ綻べば全てが崩れて、感動も共感も全部が嘘に聞こえてくる。もうこれ以上この歌は聞けない。


時間は解決などしてくれない

 時間が解決してくれるのは、お互いに理解しつつも感情が邪魔をして、その感情が時間とともに和らいで、理解を示してくれる、自分が理解を改める場合であり、間違った事や言葉は時間が経っても消えることなどなく、ずっと目の前にぶら下がり、裏切りは二度と繋がることはない。
 それでもその歌を聴いていた僕は今もここにいる。そしてその歌を聴いていた当時の僕の延長線上に今の僕がいる。傷ついて裏切られ、そしてまた歩き出す時に、またその歌が背中を押してくれる。長い長い時間を越えてまた歩き出す。それはその時に感じた僕の気持ちが今の僕を勇気付けてくれるから。遠いい時間の中で当時のその歌の灯がずっと僕の中で輝いてくれるから。


失われはしないもの

 最近僕の好きな古い懐かしい曲を好きだと言っている方とお話をした。もうずっと昔に聞いた歌の歌詞の意味を、時代を超えて改めて歌詞の意味を考えてみた。若い頃の僕が聞いて当時の自分を投影していた歌詞が、大人になって経験も重ねて改めて対峙する歌詞。そこには年齢による考え方や捉え方、違う立場で再会する歌詞。そういう感覚が当然あって、歌を作ったご本人も決して歌を解説することもなく、聞いた人、感じ取った人が解釈する人それぞれのストーリーの違いを楽しんでいたりもする。
 ただ僕が思ったのは当時は許せなかったもの、今では許せるもの、大人になった今でも許せないもの。そんな物差しで歌詞を見て今でも変わらないものの方が多いようにも思う。変わらない僕の中の物差し。その物差しからはみ出てしまったものは今でも許せなく、そして共有できない場所にあるものであり続ける。


思い出せばそこにあるもの

 お盆も近く、よく故人を思い出してあげてください。思い出し続ければ故人はあなたの中で生き続ける頃ができます。と言われます。歌も同じだと思い、思い出せば小学生だった僕も、中学生だった僕も、告白もできずに胸を痛めていた僕も、何度もすれ違いずっと好きだった僕も、勇気が出なくて諦めた僕も、努力もせずにただ愚痴を言っていた僕も、全部僕の頭の中で歌とともに今も生きている。だからこそ、そんな当時の僕が今の僕に語りかけてくれる。大人だからと嫌いなものに蓋をしていないか。物分りが良いふりをして心を痛めていないか。自己を押し付けて人を傷つけてはいないか。正しく歩き続けているか。人に優しくして欲しければ優しく接しているかい。やりたいことを諦めてはいないか。歌があるからこそ、そんな青臭くて物分かりの悪い、諦めてばかりの僕がそこにいてくれる。そうだね、いろんなものを諦めすぎていたね。まだ終わってもいないね。ありがとう。

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