真実と事実
今月から始まったドラマ「ミステリと言う勿れ」
主人公の大学生が、口から生まれてきたんですか?
ってぐらいに屁理屈🤣 なんでけど憎めないんだよね。
以前少しだけ、原作も読んでみたんだけど、
漫画なのに字が多すぎでしょ!?と、斜め読みしたせいか
あまり言葉に印象が残らなかった。
ドラマは、耳と目と2つの感覚から受信するせいか、
しっかり言葉が届いてくる。
原作の第1話(ドラマでも第1話)で、
無実の罪で事情徴収されている主人公が、
真実は人の数だけある、って言葉からの説明(屁理屈🤣)が凄い
AとBがぶつかって、Bが階段から落ちた…っていう話で、
AはBとふざけていた。結果、Bが落ちたという事故
Bは、日頃からAにいじめられていたから故意的に落とされた(犯罪)
第3者のCがいて、Cが見たらまた別の見方がある。
ようするに、一つのできことが(事実)に対して、
それに関わった人達、全員にとっての「真実」がある。という話
なんかね、人間関係や過去のトラウマで悩んでいる要因が
「事実」をみるのではなく、個々の「真実」に囚われていて
しかも、自分にとっての「真実」だけでなく
架空に近い「他者」の真実も、
自分の脳内で再生させた結果なんだろう
って思ったわけ。
例えば、
水が入ったコップを割った と、いうのが事実
割ってしまったのが子供。
それを無言で片付ける母、という背景。
子供は「割ってしまった」という事実から、
→ままに怒られる→悪い子は怒られる→悪い子は嫌われる
結論:ママは、私が悪い子だから愛してくれない
と、思い込んでしまったかもしれない。
反対に、無言で片付ける母親は、
・ぬれたら拭けばいい
・水だから、やけどしないでよかった
・グラスで手を切らなかったかな?大丈夫かな?
と、考えているかもしれないし、
あのグラス、好きじゃなかったから
新しいのに買い換えることができる、ラッキー
と、思っているかもしれない。
ここの2者の間で、きちんと話をしていれば、
「ママに愛されない」なんて、勘違いも生まれなかっただろう。
こういう、自分が作り上げた「他者」の真実によって、
自分で自分を苦しめていることが多いんだぁなって
だから、自分が傷ついた時や、過去に囚われている時に、
あれこれ、俯瞰して物事をみたり、
相手側にたって思考を巡らせてみたり、
いろんな視点から考えて、深堀してみたり、
カルマとか、こういう人生を選んできたとか…
色々、「理由」をつけたがるけど、
事実は「私の心がぐらぐら揺さぶられた」
ということ。
それに対して「私は、こうだった」と、私主観からみて
受け入れて、咀嚼して、消化して。手放す。
すごく、シンプルな作業をすることで、
色々楽になるんだと思う。
物事は、自分が思っているよりもシンプルで、
複雑にしてしまうのは「事実」を無視して
他者の「真実」を主観にいれてしまうこと。
何てことを思う私も、この物語の主人公に負けないくらい
屁理屈な視点からの主張をしているだけなのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?