オセローを読んで

※シェイクスピア作、『オセロー』の感想です。物語の結末まで書いているので、読んでいない人は今すぐ読もう。シェイクスピアはいいぞ。

オセローを読むのは2回目になる。私はシェイクスピア作品を基本2回読むようにしている。2回読まないと作品を半端にしか理解できないからだ。それはあまりにもったいない。

オセローはシェイクスピア四大悲劇に数えられる傑作だ。オセローを恨む旗手イアーゴーの奸計によって、オセローが自分の妻の不貞を疑い、嫉妬し、破滅していく様を描いている。

この作品で語られるのは『嫉妬』である。七つの大罪の一つにも数えられる人間を罪に導く感情。それの恐ろしさが描かれている。

オセローはとても高潔な人物だ。武にも智にも優れありとあらゆる人から尊敬されている。だが、それが嫉妬に身を落とした途端、常に苛立ち疑い深くなり、『あいつらを殺してやる』と殺気をみなぎらせる悪鬼となる。当然周囲からの信頼はあっさりと露に消え、『あの男は気がおかしくなったのではないか』と疑われ始める。

『嫉妬というものはみずから孕んで、みずから生まれ落ちる化け物なのでございますもの』

これは第三幕第4場で、イアーゴーの夫であるエミリアのセリフだ。嫉妬の本質を表したこの言葉は、この物語を読み進めるとともに何度も頭に浮かび、変わり果てたオセローを哀れに思わせる。

オセローを悪鬼に変えるきっかけを作ったのは、彼を陥れようとしたイアーゴーである。だがイアーゴーの言うことを聞き入れ、デズデモーナにとって有利になる証言には耳を塞ぎ、産まれ出た嫉妬を育んだのはオセロー自身なのだ。

オセローは最後までこれに気づくことができずに、デズデモーナをその手にかけた。そして真相が明かされ、自分は嵌められたのだと気づいたオセローは絶望する。

そして本国への移送を断り現世から、自身の罪から逃げるかのように自らの手で命を落とすことになったのだ。

かくも嫉妬とは恐ろしい。デズデモーナは何も悪いことをしていないのに、幸せの絶頂から奈落の底にまで突き落とされることになった。神を信じ必死に抗ったが、オセローを包む嫉妬の炎の前では無意味だったのだ。

しかし輪をかけて悲惨なことは、突き落とした本人はこれを『正義の裁き』と信じてやっていたことである。なんて、哀れ。

嫉妬は揺らぐ炎のように、世界を見えなくしてしまう。これに取り憑かれるなんて、考えただけでも恐ろしい。だから感想の締めに、私はこの言葉を用いよう。

『人間、出来ることなら、嫉妬からだけは免れていたいものです!』

第三幕第3場、イアーゴーのセリフである。オセローをあそこまで貶めた悪漢は、嫉妬の恐ろしさをきっと誰よりもよく知っていたに違いない。

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