46歳留学記㊴ 思ったより社会は適当だ

今日で仲良くなった友達が日本に帰国する。
ああ、このようにしてどんどんみんな帰ってしまう。
ってアタシも今日であと5週間で帰るけども。


さっき寮でゴロゴロしていたら仲良くなった大阪の方とばったり会う。彼女も明後日帰ってしまう。
いろんな話を聞いてもらった。
これまでの仕事の話や日本の教育の話。子育ての話も。
さっきは仕事の話になった。


そこで話題になったのは「今までの上司の話」
やだ、言葉は自分に返ってくるから気をつけなければ。
強さやがめつさ、無神経さが無いとやっていけないことも適材適所のひとつなのだということ。
その分野ではその人はそれが長けているのだ。だからそのポジションにいる。納得。
社会はそのように出来ており、みんな割り切って働いているという話。
この年になってやっと実感だよなぁ。

今まで何回も書いたけど、自分は真に受けすぎる、真面目すぎる、考えすぎるの三点セットなのだ、本当に。
力を抜く、適当にやりすごすことでもっと生きやすくなるだろうに、と自分で自分に思う。
社会は自分が思っていたよりもっと適当で、
ジェーン・スーさんが言っていた「社会は自分を傷つけないためにデザインされていない」のだ。
じゃないともっと争いや戦争が起こっているはず。


自分と合う人ばかりの世の中ではないから、そうじゃない人と出会った時に自分がどう対処出来るか。
今後ももし仕事をした時に今までと同じような状況は起こりうる。
ぶつかる壁はいつも同じ種類だった。
話が噛み合わない人がいると苦手意識が働くし、話し合っても拉致があかないと「どうしてこいつはこうなんだよ」とその考えに囚われてしまう。
いい加減諦めろよなぁ。
多分うちの母親タイプが嫌いなのだ。
まあこんなところにまで。根っこはまだあったな。
そうね、諦めるって大事。無駄な時間なのだ。
自分の母親との関係を諦めた時に人生が200度ぐらい変わったのだ。
でもそのぐらいの衝撃が無いと変化は無いのかもしれない。
とてもいいきっかけだった。
それもうちのお母さんが人生をもって教えてくれたことの一つか。


仕事で子どもたちの個別支援計画書に書いていた「やりすごせるようになる」って本当に難しいな。
そしてもっと自分はどうしたいか、自分と相談してすごせるようになりたい。あと、何も考えない練習(笑)


同じことを何度も書きたいのは自分に言い聞かせたいんだと思う。

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