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考えすぎ成長日記⑩ いろいろ線引したい

買って満足して本棚に並べてあった本を順調に読んでいる。
『HSPブームの功罪を問う』読了。


HSPということばが出始めて、なぜここまで広まったかを解説し、そのメリットデメリット、潜む危険、カウンセリングや宗教などのビジネスなどについて書いてある。


人格や特性についてのブームはいろいろあると思う。
自分もそこに乗っかっているけど、愛着障害・アダルトチルドレン等もこれの一部だと書いてある。
ことばが独り歩きして、正しい解釈や理論が後付になっていたり、湾曲して伝わることがある。報道の影響も大きい。
切り取られて情報が流されてしまうと、いろいろ歪んでしまう。


ヤングケアラー・LGBTQとかも流行りみたいな感覚で、やはり報道やSNSによる情報の拡散が大きいのかな。
どれを聞いても思うのは「外野がうるさい」
当事者が言っている情報の方が少ない気がする。
そして線引きしたい、ラベルを付けたいのも人間の性だなぁと思う。


私も実際、パニック障害という病名が付くまで発作の過呼吸、気を失ってぶっ倒れること、閉所の恐怖感、死にそうになることがどこから来るのかが分かるまでモヤモヤして不安だった。不安障害なのに。
心療内科に繋がるまでが早かったのだが、やはりホッとしたのだ。
また次に発作が起こった時にどう対処したらいいかが分かったから。
病名が付くのはショックでもあったけど。自分が精神疾患になるなんて、と落ち込んだこともあった。
その原因が育った環境からの蓄積だとは夢にも思わなかったし。
受け入れる、というのは大変だけど、受け入れると楽になった。


人が人と比べるのは社会で生きる上でみんながやることで、それで自分に自信を持ったり安心することもある。
何事も程よくがちょうどいいんだと思うけど、良くも悪くも自分にラベルを付けることで人と線引きしたいのもある、と。
メンタル面での話は難しい。
ラベル付けをすることで本人が安心したり落ち込んだりするけど、一番厄介なのは適切な場所や支援に繋がらなくなることだと書いてあった。
現実を受け入れるのは確かに難しいんだけど、受け入れる覚悟やタイミングじゃない場合「これはこういう個性なので」で片付けることで安心できてしまう。生きづらさがもっと根深いところにある場合、それで繋がる機会が回避されてしまうこともあるとの事。
んんん、むづかしいよなぁ。


HSPということばが各々の社会での「生きづらさ」の代弁をしていることは確かで、その人達のニーズに良くも悪くも応えている、と。
分かりたい人にも、そうじゃない人にも応えている。
確かに。
ラベル付けや線引きも、人々が安心するためのものなんだなぁ。
そう考えると指標や診断テストや数値、情報で安心する時代なのかな。
それらは物だけど、それを作っているのは人だから、結局人に頼れているという証拠なのか。
それにしても情報が溢れすぎているから、自分に合う情報を見つけて、でもそれに惑わされない、時には情報を切る必要もある。見極める目が必要なんだろうなぁ、むづかしい。

安心しづらい世の中だからね。

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