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考えすぎ成長日記⑪ 人と話す事自体がカウンセリングになっている

毎月会う元同業者の友だちの家へ。
療育や相談支援を離れているけど、毎回仕事の話になって止まらない。
友人の職場の職員も仕事で会う人も、いろんな人がいるなぁ、と毎回興味深い。


今回は愛着障害や見捨てられ不安について。
おっと専門分野でアタシは経験者だぞ、語る語る。
友人が話す話題に出てくる人の言っている事が分かりすぎる、説明がいらないぐらい。
経験した人でないと分からないこの思考の歪み。そして思い込みの強さ。
生まれ落ちたその家庭が子どもにとって普通で常識として育つから、
社会に出てからいろんな人の話を聞いたり自分から話したり、本を読まないとそれが「普通ではなかったことだった」ということに気が付かない。
気が付かずに苦しんでいる人もいるだろうし、そのまま最後を迎える人もいると思う。
そのぐらい育ちというのは根っこに残る。
うちは一見普通に見える家庭だったし、目に見えて困っていることが無く端からは分からないので、本当に地獄。
そして親の愛情とやらも、愛情っぽく見えているが実は支配や依存だったりするのでこれまた気づくまでに本当に時間がかかるし苦しい。
私の場合はパニック障害という形で体に出たが、これがまさか育ちが原因だったとは思わなかったし、診断が付いた時点では本当に分からないしショックも大きい。



親から離れて精神的自立を図ろうとする過程もこれまた地獄なのだ。
不安定な親の元、緊張感の強い家庭で安心感無く「自分はこれでいいのだ」という軸が無いまま育った人は、自信がなく大人の顔色を伺って生活しなければその家庭で生きていけないと思い込んできた。自分の軸が無い場合、他人軸で生きるので社会の通説を信じがち、「◯◯であるべき」論を鵜呑みにして生きてきた。母がまさにそうだった。


自分の認知の歪みが分かっているのに40年近くその思考で生きてきているので、変えるという工程が本当に苦しくてしんどい。
こんな考え方やめたいのにやめられない自分が本当に嫌になる。
けど、気づけたことは大事なので、そこから自分を行動によってどう変えていけるかが鍵になるんだろうな、と思う。


この友だちとは自分の全部を話している。
友だちもアタシに全部話している。
元々は仕事の研修で出会ったのがきっかけで、もう10年以上の付き合いだ。こんなに長い付き合いになるとは思わなかった。
彼女と彼女の家族は私のゲートキーパーになっていると思う。
毎回の会話の中で自分の思考が整理され、彼女からの意見もスルッと入ってくる。今回の会話もそうだったけど、彼女が仕事の中で利用者さんと面談した時にも「人と会って話すこと自体がカウンセリングの様な効果があるよね」と話したとの事。
もちろん専門的知識や意見が必要なケースもあるけど、人と会って話すことで視野が広がったり、別の意見が聞けたり、自分を客観視出来るいい機会になっていると思う。
自分もそうだけど専門職って厄介だと思う。専門用語を使ったり、人をジャッジしがち、上から物を言いがちになってしまいがち。がち。
自分の知識を誇示することで優越感が得られたり、人に感謝されることで承認欲求がゴリゴリに満たされる。「アタシすごいでしょ?いい人でしょ??」と自己表現に全力でそれに酔っている人に虫酸が走る。かつての自分もそうだったからかな、同族嫌悪ってやつかなあ。
あーでもこの「自分かわいそう劇場、自分やってきた劇場、自分すごいでしょ劇場」というのはうちの母の姿だから、それが嫌なのかもしれないな。
その血を引いている自分も分かるから、嫌悪感が否めないのかもしれない。


結局、話を聞いてほしい時とか相談したい時って、自分で決める自信が無いからだと思う。背中を押してほしいんだよね。
人は弱いから、誰かにすがりたくなる。
すがる方向性を間違えてしまう時もあるよなぁ。
失敗も経験だ。
でも結局自分で決めて自分で行動しないと自信にはなっていかないんだよなぁ。分かっちゃいるけどやめられない、あーあ。


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