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【歌合 乱舞狂乱'19】考察①:刀ミュ式夢幻能<小狐幻影抄>調査報告

超自然的な存在が、その「場」と、自らの過去に関わる特別なエピソードを語る。そして真の姿を現し、謡い、舞い、何らかを契機として妄執を解き放ち、最後には成仏する。

そんな「夢幻能」という能の構成を知った時、
私が思い出していたのは「小狐丸」「小狐幻影抄」のことでした。

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公演期間中、運営が観客にネタバレ禁止をお願いするという異例の公演「歌合 乱舞狂乱2019」の幕が下り、もうそろそろ1年が過ぎようとしています。
大千秋楽は1月23日。奇しくも刀剣男士・小狐丸の実装日から5年目の節目の日でした。

歌合の考察記事は、2020年7月下旬のBlu-rayリリースに合わせてアップしたいと思っていたのですが、激動の2020年、予定していた調査活動が思う通りに進まず…

…ですが、本当に思い出深く大好きな公演なので、それから受け取ったものを1度は形にしておきたく「壽 乱舞音曲祭」の開幕前に、現時点でまとめられそうな部分だけ何とかしてまとめた次第です。
(※後編は「歌合」の全体構造にフォーカスした考察を予定しています)
(※「菊花輪舞」のみ記事を分けるかもしれません)


本稿は「小狐幻影抄」と刀ミュ本丸の小狐丸についての考察になります。
古典芸能と刀剣にまつわる伝承を調べ、その結果のもと「小狐幻影抄」について気付いたことをまとめたレポートのようなものです。

------▼21/3/5加筆------
本稿を大幅改稿し、WEB未公開の調査結果も加筆したものを
2021年冬のコミケ目指しで冊子化することにしました。
同人誌は初めて作るので一歩一歩がんばります。
本稿は【WEB版】としてこのまま残します。

------▼22/5/5加筆------
本稿を大幅改稿し、さらに2万3千字ほど加筆したものを「小狐丸調査録Ⅰ」と改題して冊子化しました。

22/5/4のスパコミにて頒布開始しました。
初版はイベントで完売しましたので、増刷して2022年5月中に通販を行う予定です。
「刀剣乱舞-ONLINE-」の小狐丸の考察や、最古の「小鍛冶」の謡本の調査を中心にまとめた「小狐丸調査録Ⅱ」は2023年春の頒布を予定しています。

------加筆ここまで------

おことわり

①筆者は歴史研究や芸能研究に関しては素人です。
今回の考察を書くにあたり、複数の資料を参考にしていますが、最新の学説に基づいていなかったり、筆者が読み違えている可能性もあります。この記事は「いちファンが書いた感想」と見ていただけますと幸いですが、ミスに対してのご指摘は大歓迎です…!

本稿は、古典芸能や各地に伝わる「小狐丸」の伝承を踏まえつつ、
ミュージカル刀剣乱舞シリーズの小狐丸を振り返り、その上で「小狐幻影抄」の構造を紐解くという大変長々しい記事になっております。3万字以上あります。
「小狐幻影抄」の部分だけ読みたいという方は「4.小狐幻影抄の物語構造」まで飛んでください。
約11ヶ月に及ぶ調査のたまものなので、全部読んでいただけたならありがたい限りなのですが、決して無理はしないでください。

文章の性質上、ミュージカル刀剣乱舞シリーズの下記公演に関するネタバレが含まれますので、ご留意の上お読みください。

「歌合 乱舞狂乱2019」
「阿津賀志山異聞」
「真剣乱舞祭2016」
「つはものどもがゆめのあと」
「真剣乱舞祭2017」
「阿津賀志山異聞 2018 巴里」
「葵咲本紀」

0.はじめに

ミュージカル刀剣乱舞に詳しい方ならおそらくご存じかと思いますが、刀ミュにはふたつの小狐丸がいます。

ひとつは北園涼さん演じる小狐丸。
そしてもうひとつは「阿津賀志山異聞 2018 巴里」東京凱旋公演で岩崎大輔さんによって演じられた小狐丸。

北園さんはフランスでの公演直前に網膜剥離という大変なアクシデントに見舞われました。パリ公演には声のみの出演という形で参加し、現地の病院で手術した後にぶじ帰国しましたが、東京凱旋公演はドクターストップもあり出演を見合わせることとなりました。
プリンシパルの一人が不在になるというかつてない危機的状況の中、急遽の代役を引き受けたのがアンサンブルの岩崎さん。
刀ミュ最初期からアンサンブルとしてダンサーチームのリーダーとして座を支え、同じくアンサンブルの伊達康浩さんと共に仲間内から「ミスター刀ミュ」と呼ばれることもあります。

「阿津賀志山異聞 2018 巴里」は公演を終えることができ、同年冬に開催された「真剣乱舞祭2018」より北園さんは小狐丸役に復帰することも叶いました(目を労わるためだと思うのですが、北園さんはこの公演からカラーコンタクトを着けていらっしゃらないようです)。
そして刀ミュの小狐丸は今に続いています。

2019年から年跨ぎで開催された「歌合 乱舞狂乱2019」。
この公演はオムニバス短編劇とライブシーンによって構成されていますが、
本稿で扱う「小狐幻影抄」という演目では、プリンシパルの小狐丸とアンサンブルの小狐丸、ふたりの小狐丸が登場しました。

白狐の面をかけ、小狐丸の装束をまとう踊り手が現れた瞬間、あの夏を知る人は思ったのではないでしょうか。
あれは岩崎さんでは―――と。
私もそんな観客の一人でしたが、演者の正体は最後の最後まで、もしかしたら公演が終わってもパブリッシュされないのではと思っていました。
ところがどっこい、大千秋楽後に北園さんと岩崎さんが上記のようなツイートをしてくださって…!

咽び泣きましたね。もちろん、うれしくてね。
(※Blu-rayに収録されているバックステージ映像では、小狐丸の姿の北園さんと岩崎さんが話している様子も複数ありました。今剣役の大平さんが「ダブルもふもふ」していたところは眼福でした…)

…そんなわけで、演者が誰であったか、という、いわゆる「ガワ」の部分は明かされたのですが、作中では「白狐面をかけ小狐丸の装束を纏ったもの」の正体は明言されませんでした。

そこで、本稿では、小狐丸と縁深い能の演目「小鍛冶」や、「小狐丸」と呼ばれる刀剣の周辺情報を踏まえ、ミュージカル刀剣乱舞に蓄積された「刀ミュの小狐丸」の情報を掘り返して再検討するとともに、

「白狐面をかけ小狐丸の装束を纏ったもの」について、
「小狐幻影抄」について再考していこうと思います。

1.能と刀ミュの浅からぬ関係

日本の伝統芸能のひとつとして知られる「能楽」は、
神秘的で超自然的なものを題材にした「能」と呼ばれる歌舞劇(明治時代以前は「猿楽」と呼ばれていました)と、
世俗的かつ喜劇的な要素の強い科白劇「狂言」から構成されます。

このうち「能」は、イタリアでオペラが誕生するよりも前、14世紀後期に、猿楽師の親子・観阿弥と世阿弥の手によって大成した芸能です。

「ミュージカル刀剣乱舞」は妙にこの「能」を意識しているようなところがあります。刀ミュは2015年秋「トライアル公演」からはじまりましたが、その時から既にこのようなセリフがありました。

三日月「序破急
加州 「なに突然。もろきゅう?」
小狐丸「『風姿花伝』―――世阿弥ですね」
三日月「その通り」
加州 「ごめん。全然わからないんだけど」
三日月「舞い、踊ることはもののふの嗜み。剣術だけで剣を極めることはできない。舞を極めることはまた剣を極めることにつながるのだ」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」トライアル公演 第2部MC)

江戸時代の生まれで、刀剣男士の中では比較的若い方と言える加州清光が「なぜ『刀剣男士』なのに歌ったり踊ったりするのか?」という疑問を投げかけ、古刀である三日月宗近がそれに答えるという構図です。

もしかしたら、加州は「風姿花伝」も「世阿弥」も知っていたのかもしれません。ですが、ここであえて観客側に立った質問をすることで、観客のメタ的な疑問を解消することに一役買っています。

そして1年後の「真剣乱舞祭2016」では、加州はこんなことを言いました。

加州「三条の連中が、変なオモテみたいなのつけてさ、俺のこと攫おうとして、それでほら、安定たちが助けに来てくれて……」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2016)

「オモテ」とは「面」と書きます。
能は仮面劇の一種でもあるのですが、使われるお面(能面)は「オモテ」と呼ばれます。
もしかしたら加州はもともと「オモテ」を知っていたかもしれませんが、三条派と関わったことがきっかけで得た知識かも…と妄想したら…なんだか楽しいですね。

さて。本稿でメインとして扱う刀剣男士「小狐丸」は、その能の演目「小鍛冶」に登場する剣の名前としても知られます。

2.能「小鍛冶」について

「小鍛冶」は平安時代の京の都を舞台とした物語です。
刀鍛冶の三条宗近が、氏神である稲荷明神の力を借りて時の帝に捧げる剣を作り上げます。
そしてその剣こそが「小狐丸」です。

現在、「小鍛冶」は、能の四座一流(観世・金春・宝生・金剛・喜多)、どの流派でも演じられている比較的ポピュラーな演目です。
1537年2月24日に石山本願寺にて金剛大夫がシテとして演能したもの(「石山本願寺金剛大夫演能」)が今のところ最古の上演記録として残っている(*1)ようです。

金剛太夫は、その名の通り金剛流の人で、このことが関係あるのかないのかわかりませんが、伏見稲荷大社の機関誌「朱」の創刊号には、金剛流の能楽師である金剛巌氏が「小鍛冶」について寄稿をされています。そういえば小狐丸役の北園さんが観能した「小鍛冶」も金剛流のものでしたね。

「小鍛冶」の作者と成立時期は不詳とされていますが、この猿楽師が作者なのでは?という説は複数見つけました。
私は中世芸能の研究者である石井倫子氏が提唱(*2)した金春禅鳳作者説を大変興味深く見ています。

(※金春禅鳳は、室町時代後期の猿楽師であり能作者で「猿楽四座」のひとつ金春流の宗家の生まれの人です。金春家は他の流派と同様に京都の伏見稲荷大社の創建に深い関わりを持つとされる始皇帝の子孫・秦氏の末裔を自称しており、そして禅鳳は京都の三条粟田口方面に住んでいたこともあるようです。
(※この辺りを掘っていくと本論からどんどん脱線していってしまうので、また別の機会に調査結果をまとめようと思います)

能楽評論家の八蔦正治氏によると「小鍛冶」は当初は別のタイトルであった可能性もあるようです。嚴島神社の宮司の野坂氏が所蔵する「金春禅鳳本八郎本転写三番綴」によるところでは「小狐」という題名が見られ、室町後期に成立したと見られる能の曲目一覧「いろは作者 註文」には「小狐」さらには「宗近」という題の謡曲も見られます。
八蔦氏はいずれも「小鍛冶」の別名であった可能性を指摘(*3)しています。

この「小鍛冶」が「刀ミュの小狐丸」のキャラクターメイキングにも大きな影響を与えているように思いましたので、さらに掘り下げていこうと思います。

■「小鍛冶」の登場人物
前シテ:童子(or 老翁 or 喝食)※演出によって変わる
前ワキ:三條宗近
後シテ:稲荷明神
後ワキ:三條宗近
ワキツレ:橘道長
アイ:宗近の召使(or 稲荷明神の配下の神)※流派・演出によって変わる
■用語説明
シテ→主人公
(シテが演目の前半と後半で変身する「複式能」と呼ばれる演目の場合、「前シテ」「後シテ」というように示されますが演者は同じ人です)

ワキ→主人公の相手役
(「小鍛冶」ではワキも前半と後半で変身するので、「前ワキ」「後ワキ」となります。現在の「脇役」の語源とされていますが、能のワキは脇役ではありません

ワキツレ→ワキ方の助演
(「小鍛冶」には登場しませんが、シテ方の助演である「シテツレ」も存在します)

アイ→前場と後場の間(「中入」と言います)に登場する狂言師
(アイが中入で演じる狂言はその名も「間狂言」といいます)
■補足
「小鍛冶」には大きく分けて演出が3パターンあります。
大きな特徴として稲荷明神の「頭(カシラ)」の色が変わります。
通常演出では赤色なのですが、特殊演出では白や黒になります。
「小鍛冶」の稲荷明神は「狐戴(こたい)」と呼ばれる狐の飾りがついた冠を被るのが習わしですが、演出によっては被らないものもあります。

●通常演出(「小鍛冶」)
前シテ:童子
後シテ:稲荷明神(赤頭で、面は「小飛出」)

●特殊演出(「小鍛冶 白頭」「小鍛冶 白式」など)
前シテ:尉 ※老翁のこと。この老翁は稲穂をもって登場します
後シテ:稲荷明神(白頭で、面は「大飛出」)

●特殊演出(「小鍛冶 黒頭」など)
前シテ:喝食 ※神社仏閣に使える稚児のこと。
後シテ:稲荷明神(黒頭で、面は「蛇狐」)

百聞は一見に如かずといいますので、後シテのお姿をご覧ください。
徳島能楽振興会さんが、観世流「小鍛冶 白頭」の稲荷明神の写真を上げてくださっています。

私はいままでに
金剛流の「小鍛冶 白頭」、
観世流の「小鍛冶 白式」、
宝生流の「小鍛冶」を観能しましたが、
このうち観世九皐会さんの「小鍛冶 白式」で登場した稲荷明神は、
上のツイートにはある「狐載」が無く、また右肩の表着を脱いだ「肩脱ぎ」と呼ばれる姿で登場しました。

…つまりね、刀剣乱舞の「小狐丸」のシルエットにかなり似ていたんですよ、白式の稲荷明神様。初めて見たとき興奮と驚きでソワッソワしました。

そんな「小鍛冶」の物語は具体的にどんなものなのか。
観世流の謡本「小鍛冶 観世流謡本特製一番綴」を元に私なりにまとめてみました。

時は平安、一条天皇の治世の頃。
夢の中で「宗近に剣を打たせよ」という不思議なお告げを聞いた一条帝は、刀鍛冶の名人である三条宗近のところへ橘道長を勅使として送り出します。

【前場】
道長が宗近の家を訪れ、ことのあらましを語る所から物語は始まります。
宗近は道長から勅命を拝聴したものの、相槌を打つ者がいないことから辞退しようとしました。しかし道長の強い説得により引き受けてしまいます。

宗近は困った挙句、神仏に縋るよりほかないと氏神である稲荷明神を詣でます。すると、そこに不思議な童子が現れました(※「白頭」の時は稲穂を持った老翁が、「黒頭」では神社仏閣に仕える稚児が現れます)。
童子は、日本の創世神話における「草薙剣」の威光を語り、宗近も草薙剣のような素晴らしい剣をきっと打てるはずだと励ますのでした。
それにしても、なぜ先ほどの勅命の内容をこの童子が知っているのか?
宗近は童子が只者ではないと思い、その正体を訊ねましたが、童子はそれには答えず、剣を打つ用意をして待てと告げるとどこへともなく消えてしまいます。

【中入】
シテとワキは着替えのため退場し、アイによる間狂言が披露されます。
「小鍛冶」の間狂言は、宗近の召使(流派や演目によって稲荷神社の末社の神になります)が、前半のダイジェストを語るという構成ですが、能楽研究者の飯塚恵理人氏によると過去にはそれ以外の構成のものもあったようです(*4))

【後場】
刀を打つ用意を整えた宗近が(ここで宗近の衣装は「肩脱ぎ」と呼ばれる状態になります)鍛冶場で祝詞を唱えると、なんと稲荷明神が現れました。
稲荷明神は神ながらも宗近に跪いて礼を尽くし、この時ばかりは宗近の弟子となって相槌を打ちます。
そして一振りの剣が完成します。
「小狐丸」―――表に「宗近」と、裏に「小狐」と銘を刻んだ「天下第一の二つ銘の御剣」です。
稲荷明神は小狐丸を勅使の道長へと渡すと、雲に乗って東山にある自らの社へと帰っていくのでした。

……ここからは、刀ミュの小狐丸についても書いていこうと思います。

3.刀ミュの小狐丸の今まで

ミュージカル「刀剣乱舞」では、小狐丸は以下の公演に出演しています。

2016年
★「トライアル公演」
★「阿津賀志山異聞」
〇「in 嚴島神社」
〇「真剣乱舞祭2016」
2017年
〇「つはものどもがゆめのあと」
★「真剣乱舞祭2017」
2018年
★「阿津賀志山異聞 2018 巴里」
〇「真剣乱舞祭2018」
2019年
〇「歌合 乱舞狂乱2019」
2020年(※出演予定)
〇「壽 乱舞音曲祭」
(★:本公演 / 〇:ライブ公演)

3-1.「阿津賀志山異聞」の小狐丸

刀ミュのオープニングナンバー「刀剣乱舞」では、刀剣男士それぞれに自己紹介のようなソロパートが充て振られています。
公式MVがあるのでご覧ください。小狐丸のソロは1:02あたりからです。

歌詞はこのようになっていますね。

金色の野生 踊ればほら 雷鳴轟く

(出典:茅野イサム 作詞「刀剣乱舞」)

▼3-1-a.小狐丸と雷と髭切の関係って?

日本神話における雷神といえば、イナザミが生んだ8柱の「火雷大神」や、雷の神であり剣の神でもある「建御雷神」がありますが、
「小狐丸」と縁深い雷神といえば「北野天神」でしょうか。北野天神とは、平安時代に実在した公卿・菅原道真を神格化したものです。

道真は藤原氏の陰謀によって失職し、大宰府へと左遷され、その後朝廷へ戻れないまま生涯を終えましたが、彼の死後、干ばつや疫病のような「災い」によって都は荒れ、御所には雷が落ち、多くの死傷者が出ました。
それらが道真の祟りではないかと恐れた藤原氏と朝廷は、道真の罪を赦すと同時に贈位を行い、そしてその霊を慰めるために神社を創建しました。

それが「北野天満宮」
重要文化財の「鬼切丸 別名 髭切」を所蔵しており、刀剣乱舞の髭切ファンの聖地のひとつでもあります。

で、この道真の怨霊から天皇を守るという説話に登場する太刀は「小狐」といいます。

天子には三種の神器有。臣下には三宝あり。
(中略)
三には小狐の太刀なり。此小狐の太刀と申すは、菅承相百千の雷となり、朝廷を恨み奉り、本院の時平公を殺し、晝夜雨風やまず。
おそらしかりし此のなかにも、猶はたゝお神のおびたゞしく御殿さくる計になりさかりし時、御門大いにさはがせ給ひ、「今日の番神はいかなる神にておはするぞ」と貞信公にとはせたまへば、御はかしのつかゞしらに、白狐の現じ給ふを見て、「御心安くおぼしめされね。稲荷の大明神の御番にておはす」と答へ給ひければ、程なく神もなりやませたまひ、雨も晴れはべしとなり。其御太刀を小狐の太刀とは申侍る。
(出典:松永貞徳「戴恩記」1664年)

…私なりに意訳してみますと、

冤罪で朝廷を追われた菅原道真は、死んでもなお朝廷を恨み続け、藤原時平を殺し、昼夜問わず都に雷雨を降らせていた。
祟りを恐れる醍醐天皇は、藤原忠平に「本日、私をお守りくださる神(番神)は?」と尋ねる。
すると忠平の太刀の柄頭に白い狐が浮かび上がったので、忠平は「本日は稲荷明神様がお守りくださいますのでご安心ください」と答えた。
そしてその通り、間もなく雷は止み、空が晴れた。
このことから、忠平の太刀は「小狐の太刀」と呼ばれるようになった。

…という感じでしょうか。

ただ、この伝説には元ネタというべき話がいくつかあるようでして。

雷公落-人家-事、希有事也、可-恐々々、
  ニ  一        レ
後聞、前関白-太刀-名小狐名誉物也、打-払雷公-云々
     ニ  一        ニ   一
(出典:三条公忠「後愚昧記」1370年)

藤原氏の三条公忠の日記である「後愚昧記」では、「小狐」という名の太刀が雷公(道真の怨霊のこと)を討ったとあります。

今日ノ宿直ノ神ハタレニカト、御尋アリシカハ、稲荷明神トナノリマシ/\テ、御殿ニカケリ、御衣ノハシヲ延喜ノ御門ニウチカケ、カクシマヒラセシカハ、サシモヲソロシクヲハシマシ丶、天満自在天モ、稲荷ノ神威ヲハ丶カリテ、ミツケマイラセラレサリシカハ、災口五時躰ヲカシマイラセラレサリケリ、メテタカリケル御事也
(中略)
大臣ノ御目ニハヲカマレサセタマヒケル□、大臣ノヌキ給タル御太刀二、命婦ノ御形ノカケウツリ給ヘリケルコソ、フシキニメテタクヲホヘ侍也
(出典:「稲荷記」1332年書写)

伏見稲荷の縁起書のひとつ「稲荷記」では、
「稲荷神が道真の怨霊から帝を守るために、衣で覆って帝の姿を怨霊から隠した」という旨の記述と、
「太刀を抜くとその刀身に命婦の姿が浮かび上がった(稲荷の雌狐の霊は「命婦」という女官の位で呼ばれることがあります)」という記述は分けられ、小狐の太刀が道真の怨霊から天皇を守った直接の理由にはなっていません。

また、北野の、神にならせ給ひて、いと恐ろしく雷鳴りひらめき、清涼殿に落ちかかりぬと見えけるが、本院の大臣、太刀を抜きさけて、
「生きてもわが次にこそものし給ひしか。今日、神となり給へりとも、この世には、我にところ置き給ふべし。いかでか、さらではあるべきぞ。」
とにらみやりてのたまひける。
一度はしづまらせ給へりけりとぞ、世の人申し侍りし。
されど、それは、かの大臣のいみじうおはするにはあらず、王威の限りなくおはしますによりて、理非を示させ給へるなり。
(出典:作者不詳「大鏡」1080年頃成立?)

それより古くに成立したとされる「大鏡」では、
道真の怨霊を静めたのは藤原時平……ではなく時の帝の威光だったとされています。そして、このエピソードに関する記述の中に、太刀に狐が浮かび上がったというものは見られません。

国文学者の松本隆信氏の主張に依るところ(*5)では、北野社(現在の北野天満宮)と稲荷社(現在の伏見稲荷大社)は対抗意識を持っており、稲荷明神の威光を示すために「稲荷記」の記述は生まれたのではないか…とか…

北野 vs 稲荷…

私はこの説を読んだ時に「真剣乱舞祭2018」のある場面を思い出していました…
「ハレハレ祭り」の後半で、髭切と小狐丸が超至近距離でメンチ切り合うという衝撃的なショットがありましたが、
あれ、まさしく北野 vs 稲荷では…???


……なんかこじつけっぽいですね。すみません。
ともかく、北野天神と小狐の太刀の関係性は、いくつかの説話や伝承が混ざってできたとみていいんじゃないかな。

それにしても、こうして見てみると、小狐丸がなんだか雷除けの太刀のように思えてきますね。

なお、三条小鍛冶宗近が「小狐丸」を鍛えた地とされているのが、伏見稲荷大社の境内社「御劔社(長者社)」です。
ここに祀られている神は、稲荷明神や宇迦之御魂神ではなく「加茂玉依姫」というのですが、この女神は雷神(別雷神)を生んだとされており、
御神蹟とされる巨石は「劔石」「雷石」と呼ばれています(案内板によると、異形の僧侶が石に雷を封じ込めたという伝説があるとか)。

「雷(鳴神)」「稲荷明神」「狐」
これらが直接的に結びつくような資料が見つかったら、北野 vs 稲荷が雷神の対決とも見ることができるぞって思ったんですが、
当たらずといえども遠からずな関係なんですよね…もどかしいな…

…尻すぼみですみませんが、この辺りは同人誌にする際にもっと掘ってみようと思います。

▼3-1-b.「小狐丸」の本体はどこに?

「神道大系 : 稲荷(1991年)」によると、伏見稲荷大社の由緒記のひとつとされる「水台記」に以下のような文章があると紹介されています。

鍛匠宗近ト云フ者、于當社ニ利劔ヲ願フ
野狐于彼ノ家ニ来テ
相興ニ槌ヲ撲ツテ之ヲ得タリ
利劔後世良治ノ之名ヲ得タリ

(出典:「神道大系 神社編9 稲荷」所収「水台記」1694年)

刀鍛冶の宗近という者が、稲荷の境内社に「利劔」を願ったところ、野狐が宗近の家に現れ、相槌を打ち「利劔」をともに作った…という内容です。

ただ、今回の調査中、伏見稲荷大社に「小狐丸」という刀剣があるという話は見つけられませんでした。
見つけられませんでしたが、別のものを見つけました。

伏見稲荷大社の機関誌に、昭和時代の刀剣研究家・小笠原信夫氏の論考が掲載されていました。その中で小笠原氏はこのような主張をしています。

刀剣には、神像や神号を刀身に彫刻することが鎌倉初期よりみられる。稲荷の神号を刻んだものは古くには見られず、実際には三条宗近と稲荷信仰を結び付ける資料は何もない。

(出典:伏見稲荷大社社務所 編「朱(13)」所収,小笠原信夫「伏見稲荷大社の刀剣」1967年)

……しかし、稲荷から離れてみると、奈良県天理市の石上神宮の縁起書には、こんな記述があるのです。

其内先有 小狐太刀。此御劔、三条小鍛冶興 稲荷大明神打而、奉天子御劔也。長二尺七寸、有藤英、有□字。浦又有狐、依之名小狐

(出典:「神道大系 神社編12 大神・石上」所収「和州布留大明神御縁記」1446年)

そしてね、石上神宮は、現在「小狐丸」という号の太刀を所蔵しています
ただし、宗近ではなく備前の刀工とされる「義憲」の銘が刻まれています。
そして石上神宮の「小狐丸」には、仔狐に乳を授けてくれた人間の女に報いるため、母狐が刀鍛冶の弟子に化け、相槌を打って刀を作り、女にお礼の品として贈ったという報恩譚と、女が刀「小狐丸」を振るい悪さをする蛇の化生を斬ったという異類退治譚も伝わっています。

そういえば、石上神宮って「物部(もののべ)氏」と大きな関わりがありますね……もののべ………

「小狐丸」という号を持つ刀は他にもあります。

まずは福井県福井市の安波賀春日神社に伝わる「小狐丸」とその影打ちである「小狐丸影」。影打はふつう無銘なのですが、この小狐丸には訳あって真打に「影」と銘入れされている…というエピソードもありなかなかに興味深い。ただし、こちらはいずれも明治時代に行方不明になっているようです。

それから、大阪府東大阪市の石切劔箭神社所蔵の「小狐丸」
「宗近」の銘を持つ刀ですが刃長は54cmほどと脇差くらいの長さの刀です(ただし、茎が折り返し銘になっており、太刀だったものが摺り上げられて現在のような姿になってたのではという見方もあります)。

そういえば【懐かしき音】で、
石切丸と小狐丸がこんな会話をしていました―――!

石切丸「(中略) 玉砂利を踏みしめる音…!」
小狐丸「あぁ!懐かしいですね!」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」乱舞狂乱 2019「懐かしき音」)

まさかの刀ミュ4年目の新事実。
刀ミュの小狐丸って、石切劔箭神社の小狐も入ってる…んです…?
もしか、宗近銘じゃない小狐丸も入ってる…んです…?


「小狐丸」の実態、なかなか捉えられませんね……この辺りを掘っていくとそれだけで記事がひとつ作れそうなので、今回は紹介に留めることをお許しください。
刀ミュの小狐丸の話に戻ります。

▼3-1-c.「阿津賀志山異聞」での役割

「阿津賀志山異聞」の小狐丸は、メインキャラではありますがサポート役です。
隊長であり、新々刀であり、実戦刀である加州清光と、
(※【21/11/22 訂正】沖田総司の刀である加州清光は新々刀ではなく新刀であるというご指摘をいただきました。ありがとうございました。当時の事実誤認を残すために修正はせず、原文のままといたします)
隊員で、古刀で、御神刀の石切丸は、
戦うということに関して真逆の価値観を抱いており、そのため対立してしまいます。そこで小狐丸は二人が和解できるようさりげないアシストをします。

…ですが、この公演で小狐丸のセリフにも注目すべきポイントがありましたのでご紹介します。

▼3-1-d.小狐丸が「近侍」だった可能性について

第1部の第6場。
出陣前に第一部隊の男士(三日月、小狐丸、石切丸、岩融、今剣、加州)が大広間に集まって会話をするシーンがあります。

小狐丸 「なぜ、大きいのに小狐と?遠慮ですよ。
加州  「聞いてないよ、じゃなくて聞いてよ小狐丸。
     三日月がこれから出陣だってのにのんびりお茶を。」
ふんわりと手で制し、毛並みを整え始める小狐丸。
小狐丸 「ぬしさまはこの毛並みがいいとおっしゃる。

    (中略)

小狐丸 「そこの子ども。」
加州  「失礼だろ。何?」
小狐丸 「お姫様だっこをしてほしい……とな?
加州  「言ってない!っていうかアンタら自由過ぎるだろ!」

(出典:御笠ノ忠次「戯曲ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞」)

加州は三条派の刀剣男士を「個性的っていうか自由っていうか…」と評します。このシーンではまさに小狐丸の「個性的」かつ「自由」な物言いと、それに対する加州の冷静なツッコミの対比が描かれています。

引用部分で太字にしたところに注目していただきたいのですが、この小狐丸のセリフは、すべて原案ゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」で、小狐丸を「近侍」に設定した時の本丸セリフと一言一句違わぬものになっています。

刀ミュの刀剣男士が原案ゲームのセリフを言うこと自体は珍しいことではありません。しかし、この「阿津賀志山異聞」において本丸セリフを言うのは小狐丸だけなのです。他の男士は3種類ある本丸セリフを1つも喋りません。

このことから、私は、加州が第一部隊隊長(近侍)に任命される直前までは小狐丸が第一部隊隊長(近侍)だったのではないかと推論します。
…実のところは、どうなんでしょうね?

▼3-1-d.英語字幕における「小狐」

てけさん(@taka_koro)のツイートのお陰で知ったのですが(ありがとうございました!)、「阿津賀志山異聞」には英語字幕版のDVDがあります。

小狐丸は「Kogitsunemaru」と表されるのですが、
「小狐」と言った時の表現が全部違ったのが大変興味深いので紹介させてください。

「なぜ、大きいのに小狐と?遠慮ですよ。」
(You ask why I'm called the small fox even though I'm so big? I'm just being modest.)

(出典:「Touken Ranbu:The Musical-Atsukashiyama Ibun-」2018年)

↑これは出陣前での本丸でのセリフ。
シンプルに体格の大きさ小ささを表す「small」という形容詞を使っています…

「では、この小狐と一緒に踊りましょう!」
(Let's dance with this fox pup!)

(出典:「Touken Ranbu:The Musical-Atsukashiyama Ibun-」2018年)

…が!第二部のライブパート「えおえおあ」の曲中MCで、こんなことを言うんです。「風姿花伝」という言葉はさらっと出てくるし、仲間の衝突はスマートに解決に導くのに
pup!?仔狐ちゃん!?

「(中略)またこの小狐と踊りましょう」
 (dance with this little fox again.)

(出典:「Touken Ranbu:The Musical-Atsukashiyama Ibun-」2018年)

そしてカーテンコールの挨拶ではこうなってます。

「small」と「little」は意味の上ではとても似ていますが、客観的事実のみの形容、主観的感情がこもった形容という点で異なります。

そうです「small」に感情が乗ると「little」になるのです……単に小さいという事実だけでなく……そうたとえば、小さくて愛らしいという感情が乗ると「little」になります……(※個人の解釈です)

これもまた私の解釈ですが、刀ミュの小狐丸ってかなり純真だと思うんですよ。だから「pup」も「little」も至極真面目に言っている気がする。
それともまだまだ伸びしろがありますからって遠慮の表れかな?
いずれにしても、いとけなくて可愛いくてグッときますね!好きだ!

このDVDが発売されたタイミングは「つはものたちがゆめのあと」の後ですが、作品時系列的にこれを見てから「つはもの」を見るとわりと得心が行きました。
たしかに「あつかし」のミュこぎさん、littleだしpupだわ…
そして「つはもの」を通してfully-matureになっていくんですね…

3-2.「真剣乱舞祭2016」の小狐丸

「境界」や「対立軸」を作っては壊しカタルシスをもたらすことに定評がある刀ミュですが、その方向性をある意味強烈に印象付けたのが「真剣乱舞祭2016」ではないでしょうか。

この公演は、「彼岸と此岸の交わるところ」で、
「阿津賀志山異聞」で加州と共に出陣した三条派の刀剣男士と
「幕末天狼傳」で加州と共に出陣した新撰組(&蜂須賀虎徹)が
加州を手に入れるために様々な勝負事をするという構造から成っています。
もちろん小狐丸は三条派として登場します。

▼3-2-a.三条派の面(オモテ)について

面は、能においてとても重要なものです。
たったいま私は「もの」と書きましたが、面は単なる「物」ではなく、神聖なものが宿る「依り代」と見なされ、演者にとってとても尊きものとされています。

面をかけることによって(面は「つける」ではなく「かける」といいます)演者には役が憑依し、そして演者は、「神」「武将」「怨霊」「狂女」「鬼」…といった自分ではない何者かになるのです。

冒頭パートで三条派がかけていた面は、まさに上記のような効果をもたらしています。
堀川国広以外の幕末天狼傳の男士たちは、三条派が面を掛けていることに気付かなかったようで、堀川は衝撃を受け、観客席は笑いに包まれることもありましたが、
これ、もしかしたら笑い事じゃなかったかもしれません。

幕末天狼傳に出陣する刀剣男士の中で、なぜ堀川が見破ることができたか。

それは彼が「脇差」で、隠ぺいや偵察の値が高いから。
…というそんな原案ゲームでの特性は無視できません。
ですが、私はもう一つ理由があるように思います。それは堀川国広を作った刀工は「新刀の祖」と呼ばれる人物であったということ。
古刀と新刀のはざまで活躍した刀工から生まれた堀川は、新刀でありつつ古刀たちの霊力的な何かを感知できたのかもしれません。
(※個人の解釈です)

また、観客が三条派が面を掛けていることにすぐ気付けた理由もちゃんとあります。
それは我々が「審神者」だからです。
審神者はシャーマン(=巫覡)に神霊を降ろし、見極め、託宣を引き出し、時には戦い、神がかりを解く力があるとされています。
ですので、審神者はあの五振りが面を掛けた三条派ということに気付けたと言えるでしょう。

(さらにメタ的なことを言ってしまえば、役者はその身に役を降ろす、つまりシャーマン的なところもありますので、観客が役者の演じる役を見てさまざまな反応をするのはある種「審神者らしい」ことをしているとも言えます)

……さて。らぶふぇす'16における小狐丸の面はこのようなものでした。

画像2

この面はイノウエコーポレーションで扱っているものと同型かと思われます。ウェブサイト上には「白狐面」と書かれています。

この面は、能や狂言の狐に関する演目では使われません。
「小鍛冶」で稲荷明神を演じるシテがかける面は「小飛出」「大飛出」「蛇狐」ですし、詳しくは後述しますが「殺生石」という狐の精霊が出る演目では「野干」という面が使われます。
狂言には「釣狐」という演目がありますが、使われる狐面は上記の白狐面とはまったく違うものです。
小狐丸と能は切っても切り離せない関係にあると思いますので、このような面が選ばれたことは意外でした。

せっかくですので、小狐丸以外の三条派の面についてもご紹介します。

三日月宗近の面:白式尉
 →能の「翁」で翁の舞の時に用いられる
(翁は「能にあって能にあらず」という言葉がついて回るほど、古来より特別な神聖な演目とされています。観世流と金剛流においては「神歌」と呼ばれています)

石切丸の面:野干
 →能「殺生石」で使われる狐の精の面
(狐の精は物語の最後で「石」になってしまうことから、「石」切丸の名前とかけたものと思われます)

今剣の面:鼻高天狗 ※1
 ※1:能の天狗の役がかける面とはまったく形が異なります(天狗役が使う面は「大癋見(おおべしみ)」と呼ばれ、後述の「熊坂」の面に似ています)。狂言面でも無いようです…伎楽とか神楽で鼻高天狗の面が使われることがあるようなので、元ネタはそちらなのかも…
…今剣のキャラクターデザインは天狗をモチーフにしており、これは天狗に剣術を習っていた源義経の逸話からできた能の演目「鞍馬天狗」に影響を受けていると思われるので、その辺りから引用したのかな…と思われます。

岩融の面:熊坂
 →能「烏帽子折」「熊坂」に登場する熊坂長範という役で用います。「烏帽子折」「熊坂」ともに源義経が登場する演目で、熊坂長範は源義経に討たれる役柄です。

…なんだかバラバラなように思える5振りの面ですが、そんなことない。一つ決定的な共通点があります。
それはいずれも人外の面であるということ。
「白式尉」は神体と見なされることもある特殊な面ですし、
他の四振りが身に着けた面は瞳の部分が金色に塗られています。これはこの世の者ではない超自然的な存在ということを表しています。

▼3-2-b.物なりや 人なりや

「真剣乱舞祭2016」における命題。
「物なりや 人なりや」―――「(あなたは)物ですか? 人ですか?」という質問です。刀剣男士は物なんでしょうか?人なんでしょうか?
オープニングで意味深に投げかけられ、その後も三条派の「試練」がはじまる度に幕末刀の面々はこの質問と相対します。

そして5つの「試練」が終わった後、エンディングで加州はとある選択をします。それは三日月が思わず破顔してしまうほど素晴らしいものだったのですが、具体的にどんなものだったかはぜひ配信か円盤で見てみてください。

ただ、気に留めていただきたいところがひとつあります。
この「物なりや 人なりや」という質問は、
三条派でただ一振り、小狐丸だけはなぜか口にしなかったのです。

3-3.「つはものどもがゆめのあと」の小狐丸

「阿津賀志山異聞」ではサポート役としての印象が強かった小狐丸ですが、続編である「つはものどもがゆめのあと」では三日月宗近と共に物語の本筋にがっつり絡んでくるようになります。

それに伴い「小狐丸はどういう男士か」が、より具体性をもって他の刀剣男士から語られるようになります。

三日月からは「常に全体が見えている」「主の命(メイ)のままに生きている」「俺とは正反対」「お前の心は曇りが無い」…と評され、

また、小狐丸が正気を失った源頼朝の気つけをして本音を聞き出すというシーンがあるのですが、髭切はその時の振る舞いを「結構荒っぽい」と言っていました。

(…これは私見ですが「阿津賀志山異聞」の時よりも、飛んだり跳ねたり殴ったり蹴ったり殺陣自体もかなりアグレッシブになっていましたね。「野性ゆえ」を地で行ってる感じがします)

そしてそして!
この作品は小狐丸のソロナンバーより始まるんです。

▼3-3-b.「あどうつ聲」

「あどうつ聲」は、先述の「小鍛冶」の後場からインスパイアされたと思われる曲です。歌詞を見ながら原典と比較検討していきましょう。

はった はった ちやう ちやう
はった はった ちやう…

うち重ねたる 鎚の音
天地に響きて 夥し
表に彼の名
裏には我が名

打つのは鐘
打つのは心
打つのは博打
打つのは芝居

相槌打ち打ち あど打ち打ち
影向の狐 銘を打つ
相槌打ち打ち あど打ち打ち
依代の刀 脈を打つ

はった はった ちやう ちやう
はった はった ちやう…

あどうつ聲は 唄となり
叢雲晴れる 空に響む
表に彼の名
裏には我が名

(出典:浅井さやか(One on One)作詞「あどうつ聲」)
はった はった ちやう ちやう

これは「小鍛冶」の謡にもみられる文言です。
学研全訳古語辞典では

ちゃう-ど 【丁ど】
 ①がちんと。がんと。ばんと。▽物が激しく打ち当たる音を表す。
ちゃう-ちゃう(と) 【丁丁(と)・打打(と)】
 かん高い音が続いて響くさま
はた-と
 ①ぱしっと。どんと。▽ものとものとがぶつかり合う音の形容。また、勢いよく打ったり切ったりなどする音の形容。
はた-はた-と
 物の当たる音などが連続して起こるさま。また、その音。

…と示されます。
つまり、刀剣の素材である玉鋼を槌で叩くまさにその音を表していると言えますね。
そして!そしてですよ!

うち重ねたる 槌の音
天地に響きて 夥し 

…この部分!
やらさん(@BQum9)のこちらのツイートがきっかけで気付けました。ありがとうございます…!

観世・金春・宝生・金剛・喜多の四座一流の謡を確認したところ、
観世流の謡本(*8)には
「打ち重ねたる鎚の音。天地に響きて。おびたゝしや」とあり、他の流派のものは「打ち重ねたる槌の響き天地に聞こえておびただしや」という謡でした…!

そういえばトライアル公演で小狐丸が口に出した「世阿弥」も観世流の猿楽師ですね…!

相槌打ち打ち あど打ち打ち

曲名にも使われている「あど」という言葉。
「あどうつ」は、応答する、相槌を打つという意味があるようです。
そういえば狂言の世界で「アド」といえば主人公の相手役を示す言葉なのですが(主人公は能と同様に「シテ」と呼びます)、
「アド」の語源はこの「あどうつ」かららしいです。

影向の狐 銘を打つ

学研全訳古語辞典によると「影向」とは「神仏が時に応じて、仮にその姿を現すこと」とあるのですが、「影向」という言葉で思い出したものがあります。

春日大社は奈良時代に創建された由緒ある神社で、を司る武甕槌命を主祭神として、また藤原氏の氏神も祀っています。
…なんだか小狐丸を思い起こさせるワードがたくさんありますね。

その敷地内にある「影向の松」と呼ばれるクロマツは、芸能の神の依代として知られており、平安時代後期から続く「春日若宮おん祭」では、この松に向かって数々の芸能が奉納されます(もちろんその芸能の中には「能楽」もあります)
さらには、能舞台の鏡板に描かれている松の絵は、この「影向の松」であるともされています。

…話がやや脱線してしまいました。「あどうつ聲」の話に戻りましょう。

依代の刀 脈を打つ

「小鍛冶」では、剣に何かが宿ったような描写はありませんでしたので、この部分は「あどうつ聲」のオリジナルですね。
何が宿ったか?
それはもちろん「小狐丸」です。

表に彼の名
裏には我が名

「彼」とは三条宗近のこと。そして「我」とは小狐丸のこと。

「あどうつ聲」は、宗近から刀剣としての姿を、稲荷明神から名を分け与えられた時のことを小狐丸自身が語る歌なのです。

▼3-3-c.「あどうつ聲」はなぜソロ曲だったか

「つはものどもがゆめのあと」には三日月宗近も出演しています。
ですから、稲荷明神役を小狐丸、宗近役を三日月としてふたりで歌い踊ることもできたのでは?と思ったのですが、この作品を最後まで観て、「あどうつ聲」がソロ曲であることに得心がいきました。

大前提として「つはもの」で自己紹介ソングを歌う刀剣男士には共通点がありました。それは「存在が不確実」であるということ。

先述の通り「小狐丸」という号の刀剣は複数実在しますが、その中に稲荷明神と三条小鍛冶宗近によって作られたものがあるかは分かりませんし、おそらく証明することも不可能に近いでしょう。
対して「三日月宗近」は三日月をその刀身に宿す故に「三日月」という号が与えられ、現在まで伝わっています。
「後に形が残った確かな存在」である三日月はここで小狐丸と歌い踊ることはできないのです。

加えて、これは私の想像なのですが
「あどうつ聲」は、おそらく作劇的理由で、
あるべき者―――宗近を欠いているのではないでしょうか。

「つはものどもがゆめのあと」は「歴史」や「物語」とよばれるものの不安定さ・曖昧さを主題とし、そしてギミックの一つともしている作品です。

この作品に登場する刀剣男士の中で、唯一、三日月宗近だけが「後に形が残った確かな存在」とされています。
彼はそれゆえに上記のギミックに対し、非常に自覚的な動き方をします。詳細は配信か円盤で見ていただきたいのですが、三日月のやろうとしていることはある種の禁じ手的なことでした。

小狐丸はそんな三日月に疑念を抱き、一時は本気の斬り合いにまで発展してしまうことになるのですが、髭切のサポートもあって、三日月の面(オモテ)のような表情の下にある心(うら)を知るのです。

それまで「ぬしさま」という圧倒的唯一の評価軸しか持たなかった小狐丸は、複雑極まりない秘密を抱えた三日月を受け入れたことで、新たな価値観と強さを手に入れます。

「つはものどもがゆめのあと」を通して、
小狐は三日月の、三日月は小狐の相槌を打てるようになる。
だからこそ「あどうつ聲」はソロなのだと。私はそのように読み解きました。

▼3-3-d.我思うゆえに我あり

……ここまで「小鍛冶」に絡めて「刀ミュの小狐丸」を語ってきましたが、現時点(2021年1月8日)で、刀ミュの演目内で「小鍛冶」って言葉が出たことは一度もありません。

これ、なんでかなぁって考えてみたら、心の哲学的な分野にまで思考が飛んでしまったのですが、

いま、この文章を読んでいるあなたは、あなた自身の意志で読んでいるのではなく、作者の都合で読まされている。あなたは物語の中で生まれて物語の中で死ぬ。その物語は「〇〇〇」という

……と言ったらあなたは信じますか?
たぶん信じませんよね。

小狐丸は「つはもの」の中で一度も己の存在について考えるようなところが無いです。たぶん彼にとっては「小鍛冶」は物語ではなくれっきとした事実なのではないでしょうか。
それは小狐丸だけではなく「義経記」より生まれた今剣や岩融も「源平盛衰記」の源氏兄弟もそうでしょう(髭切に関しては、なんだか第四の壁を破りそうな感じはありますが) 。

なお、原案ゲームでは、刀帳説明セリフに「小鍛冶」という言葉が入っていますが、能の「小鍛冶」とはイントネーションがまるで違います。
これって「大鍛冶(製鉄業の人)」「小鍛冶(鉄製品を作る人)」って意味で「小鍛冶」と言ってるような気がするなぁ…要検討ですね…

3-4.「真剣乱舞祭2017」の小狐丸

「あどうつ聲」は本公演以外でも披露されたことがあります。
2017年12月に開催された「真剣乱舞祭2017」は、刀剣男士たちが季節外れの百物語をするという筋書きのもとで進んでいきますが、そのトップバッターを飾ったのは石切丸と小狐丸でした。

石切丸は、現存する「小狐丸」と呼ばれる刀剣の一つとともに石切劔箭神社が所蔵する刀剣です。人選(刃選?)としてはこれ以上ないほどぴったりです。

石切丸が「小鍛冶」の物語を語り、そして後場の稲荷明神が登場するところで小狐丸がステージに現れ「あどうつ聲」を披露します。

石切丸は語りの途中でこんなことを言いました。

石切丸「やはり、困った時に参拝するのは良いことだよねぇ…はっはっは」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2017)

▼3-4-a.相槌を打った稲荷明神って?

「小鍛冶」には稲荷明神が登場しますが、どこの稲荷明神かというと、これは明言されていません。謡には下記のような文言がありますが、

また叢雲に。飛び乗りまた叢雲に。飛び乗りて東山。稲荷の峯にぞ帰りける

(出典:丸岡大二「小鍛冶 観世流謡本特製一番綴」)

…京都の「東山」は一つの山のことではありません。
京都の中心部から見て東の方角にある山々(東山三十六峰)をまとめて「東山」と指すようです。筆者は高校で世界史を選択したので、日本史の最終学歴は中学卒業レベルなのですが、そういえば「東山文化」って単語がありますね…あれってこの辺のことを指すのかな…

さて。「小狐丸(子狐丸)は、我が社の稲荷明神の御力添えでできました!」…という旨の伝説が伝わっている神社は、この東山周辺によく見られました。

・伏見稲荷大社(京都市伏見区)
 主祭神:宇迦之御魂大神
(※戦前は「伏見稲荷」ではなく「藤森稲荷」の呼称の方がメジャーだったそうです)
・花山稲荷神社(京都市山科区)
 主祭神:宇迦之御魂大神
・北向稲荷神社(京都市東山区 粟田神社 摂社)
 主祭神:雪丸稲荷明神
・合槌稲荷神社(京都市東山区)
 主祭神:合槌稲荷大明神
・御百稲荷神社(京都市東山区 ウェスティン都ホテル京都敷地内)
 主祭神:御百稲荷大明神

▼3-4-b.髭切・膝丸と稲荷明神

小狐丸と稲荷神社の関係を調べる中で興味深い話を見つけたのでご紹介します。稲荷神の手によって生み出されたとされる刀剣は、小狐丸以外にもいました。
京都府八幡市にある相槌神社には「伯耆安綱と、稲荷の神 倉稲魂様が、山ノ井の水を用い、名刀『髭切』『膝丸』をお造りになった」という伝説が伝わっています。
小狐丸と、髭切、膝丸……
…そういえば、この三振りが登場する楽曲が刀ミュにありますね。

「つはものどもがゆめのあと」の第2部のライブパートで小狐丸のソロ曲があります。「Versus」といいます。
公式試聴動画の、1:18~から聞けるのでよかったらどうぞ。

(※「真剣乱舞祭2018」のBlu-rayには回替わりパフォーマンスとして日本武道館公演での「Versus」が収録されているのですが、小狐丸の凄まじく神々しいパフォーマンスを目の当たりにできます。おすすめです)

この曲、二面性がテーマになっていて、神と人の手によってうまれた刀剣男士にはぴったりなナンバーなのですが……
……本公演の映像を初めて見たとき驚きました。なんと髭切と膝丸がバックダンサーとして登場するのです…!

髭切役の三浦宏規さんと膝丸役の高野洸さんは、ジャンルは違えどそれぞれ目覚ましいダンスのスキルをお持ちです。
それを「稲荷明神の助力を得て生まれた」という共通項で結びつけ、小狐丸のソロナンバーにぶつけたのだとしたら…すごいわ刀ミュ…
そんなことを考えて私は一人勝手に感心して唸っています。

3-5.「阿津賀志山異聞 2018 巴里」の小狐丸

「つはものどもがゆめのあと」の次々作「阿津賀志山異聞 2018 巴里」は、2016年に上演された「阿津賀志山異聞」の再演ながらも、様々な演出変更がなされており「つはもの」と連続性を持った物語として描かれます。

初演で小狐丸と三日月が畑仕事をしていたシーンは、ふたりが歌い踊るシーンに生まれ変わりました。その曲こそ「向かう槌音」です。

▼3-5-a.「向かう槌音」

夢のお告げ 雲の上なる帝より
汝御剣打てとの
命下る
相槌なくては 槌音響かぬ
はてはて いかがしたものか

救い求め 参るは稲荷明神
共に 御剣打とうと
化身現る
相槌手に入れ 槌音響きだす

はったはった
ちやうちやう(ちょうちょう)
はったはった
ちやうちやう

打ち重ねたる槌の音
天地に響きておびただし
表に
彼の名
裏には
我が名

あかあか 揺らめく炎
さえざえ 光る細い月

乱れぬ律動 形を成していく

表と裏
夢と現

向かう槌音
向かう槌音
刻まれた二つの銘

(出典:御笠ノ忠次「戯曲ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞」)

……「あどうつ聲」と比較すると一目瞭然ですが、
「あどうつ聲」を踏襲しながらも「小鍛冶」の物語をより克明になぞるような詞章になっています。
(これは只の感想なのですが、小狐丸が大階段から降りてくるときのすらすらとした足運びが喩えようないほど好きです…)

後半の歌詞「形を成していく」というところは、
東京凱旋公演の大千秋楽映像を見る限りでは、
小狐は「成していく」と歌っていますが
三日月は「成してゆけ」と歌っています。
神(稲荷明神)と人(宗近)で、見えているものが違うんだろうか…たった一文字違うだけで妄想が膨らみますね…いやぁ好きだなぁ…

さえざえ 光る細い月

原典の「小鍛冶」には空の月の描写はありませんので、この「細い月」とは、刀ミュのオリジナル要素になります。
空に浮かぶ三日月が、「小狐丸」の依代となる太刀が生まれるその時を見守っていたのかもしれない。なんだかロマンチックですね。

…「つはもの」を経て完成形になったかと思われた二人の舞ですが、直後に不穏な会話が成されます。

▼3-5-b.槌音はもう一度響くか?

三日月:中々上手く出来たのではないか?
小狐丸:はい。これでぬしさまにも喜んで頂ける。
三日月:おや?小狐丸殿は主に見てもらうために稽古を重ねてきたのかな?
小狐丸:えぇ。三日月殿は違うのですか?

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞 2018 巴里)

…ふたりの舞は表向きは素晴らしい出来だったようなのですが、その実、考えていたことは違ったみたいです。

これは筆者の妄想なのですが、もしかすると、将来、三日月と小狐丸ふたりの舞がもう一度見られる機会はあるんじゃないでしょうか。
表向きだけでなく心も揃った舞が。

それが舞踏になるか、武闘として戦場で発揮されるかはわかりません。
でも「壽 乱舞音曲祭」のパンフレットで、北園さんがあつパリの時の楽曲を振り返っておられましたのでね…
願わくば、黒羽さんの三日月と北園さんの小狐丸による「向かう槌音」を見てみたいですね…

…といったところで、大変お待たせしました。
ここから「小狐幻影抄」の考察に入っていこうと思います。

4.小狐幻影抄の物語構造

冒頭でも書きましたが、「歌合」はいくつかの短編芝居とライブパートにより構成されています。
芝居パートは、
①講師(こうじ)が「万葉集」あるいは「古今和歌集」の和歌を詠み、
②和歌と共通モチーフのある芝居が展開し、
③最後にその演目のシテが改めて和歌を詠み、忌火に短冊をくべる
…という流れになっています。

小狐丸は右方に属すので、右方の講師である堀川国広が歌を詠みます。

 ふたつなき 物と思ひしを 水底の 山の端ならで いづる月かげ
(※私なりに訳すると
「この世にふたつとして無いものと思っていたのに。まさか山と空の境目からではなく、水底に月が現れようとは」
…という感じでしょうか)

ふたつの月―――空に浮かぶ月が水面に映った情景を描いたこの歌は、紀貫之によるもので、古今和歌集の中において、どのカテゴリにも属さない和歌をまとめた「雑歌」という歌集に収録されています。調べる前は夏か秋の和歌ではないかと思っていましたが季節不明のようですね…
(ちなみに「小鍛冶」も季節は「不明」とされている演目(*9)です)

「小狐幻影抄」は、明石国行がまだ顕現していなかった頃、刀ミュ本丸で起きたとされる「一風変わった小さな事件」を描いた物語です。

演者は下記の通り。
能の番組(「番組」という言葉の語源もまた、能の用語からのようです)に当てはめて書いてみました。

シテ
 白狐面の小狐丸
ワキ
 小狐丸
ワキツレ
 明石国行
 御手杵
 長曾祢虎徹
 堀川国広
 鶴丸国永

ワキは観客と視点を同じくする「生きている成人男性」という決まり(*7)があり、そのため面をかけることはありません。
北園さん演じる小狐丸も面をかけたよね?と思われる方もいるかもしれませんが、それについては後ほど論じます。

4-1.明石国行の役割とは?

「小狐幻影抄」の上演時間は約15分。明石は冒頭と最後に小狐丸と会話をしますが、基本的には舞台下手に座って物語を見守っています。

…これ、これね、

「小鍛冶」のワキツレ・橘道長がしていることと同じなのですよ…!

道長は、前場の冒頭で宗近に帝の勅命を伝えるという役割と、
後場で宗近が「肩脱ぎ」にするのを手伝う役割、
そして最後に稲荷明神から小狐丸を受け取るという役割があるのですが、それ以外のシーンは基本的に能舞台の上手端に座って物語を見守っています。

「小鍛冶」の上演時間は約1時間なのですが、そのうち50分くらいは道長は黙って座っているんですね…脚とか痺れないのかな……

4-2.オープニング

ある日の夜。本丸の庭で夜空に浮かぶ満月を見ていた小狐丸は、こっそり自分の後をつけてきた明石国行へ声を掛けました。

明石「いつから気付いてはりましたの?」

明石は驚きます。どうやら小狐丸は最初から尾行に気付いていたようです。
そういえば【懐かしき音】では、鶴丸が「三条(派)の連中は脅かし甲斐が無い」と言っていましたし、
【美的風靡】では和泉守が「謎が多い三条(派)さん」と言っていましたっけ。まるで背中に目でもついているよう。

庭の池にも満月が映っている様を見て、小狐丸はあることを思い出していました。

小狐丸「あの時はまだ、あなたはこの本丸に来ていませんでしたね」

このセリフにより、【小狐幻影抄】に登場する男士の中では明石が一番の後輩であることが分かりました。明石と御手杵は「葵咲本紀」で刀ミュに初登場しましたが、御手杵の方が先輩のようです。

4-3.「狐や踊れ」

この作品は大きく3場に分かれています。
第一場は明石と小狐丸の会話(現在)、
第二場は小狐丸の回想(過去)、
第三場はふたたび明石と小狐丸の会話(現在)です。

第一場と第二場の場面転回の役を担うのがこの「狐や踊れ」。
白狐面の小狐丸が上手の茂みから登場します。全景映像で見ると二人の小狐丸の足運びのタイミングがかっちり綺麗に揃っているのがわかります。

画像2

そして注目していただきたいのが、この小狐丸の、面のかけ方。
白狐面の下に顎がはみ出ているのが分かると思います。
これは能の作法に則っています。面は必ず顔より少し小さいように作られており、能楽師は必ず面の下から顎が見えるように装着します。

怪しい月の 光誘われ
踊れや踊れ 狐や踊れ
人の惑いか 神の戯れか
踊れや踊れ 狐や踊れ

翁も 神も
武者も 亡霊も
乙女も 狂女も
鬼も 獣も


この世にゃ 表と裏がある
狐にゃ オモテとウラがある

(出典:白川ユキ 作詞「狐や踊れ」)
※LIVE CDを元に文字起こし

文字起こししていてハッとしたところがあるので聞いてください。
「翁」「神」「武者」「亡霊」「乙女」「狂女」「鬼」…
これって能面の種類を示しながら、同時に能の「五番立」の流れに則った順で書かれているのですよ…!

本来、能は、間に狂言を挟みつつ五番立てで行われ(能は演目を数える時「〇番」と数えます)丸1日かけて行うのが本式だったようでして…
そしてその五番立てのことを「神男女狂鬼」と言いまして…!
(※先ほど「3-2.真剣乱舞祭2016の小狐丸」で言及しましたが、「翁」は能の中でとりわけ特別な演目で、披露されるときは一番最初と決まっています)

…「翁」「神男女狂鬼」そして一番最後に「獣」。

「狐」とではなく「獣」としたところが大変心憎いですね。
そして、この「小狐幻影抄」自体、歌合の公式のナンバリングでは6番目の短編劇とされています…ううむ…

▼4-3-a.「あぶらげ」について

御手杵「あんた、さっき、俺と会わなかったか!?口いっぱいにあぶらげ頬張ってたじゃないか!?」

御手杵のセリフの中に気になった部分があったのでその話をば。
筆者の地元では「あぶらあげ」というので、「あぶらげ」はどこかの方言じゃないかなーと思い、調べてみました。
新潟県長岡市のウェブサイトに「栃尾の方言では「油揚げ」のことを「あぶらげ」と呼びます」とありました。

そういえば御手杵役の田中涼星さんは新潟県出身です。
でも、御手杵は新潟に由縁はあったかな…?そしてこの後登場する堀川も「あぶらげ」って言うのですが、阪本奨悟さんは兵庫県出身だなぁ…新潟になにか由縁があったかな…

…単純に、御手杵と堀川が言う「あぶらげ」が「栃尾のあぶらげ」であった可能性は否めないですね。

▼4-3-b.何かが足りない刀剣男士

夜の本丸で、あちこちに小狐丸が現れているらしい。
同時多発小狐丸あぶらげテロとでもいうべき事件に対し、四振りは以下のような見解を述べます。

・長曾祢「どうも小狐丸殿が、色んな場所に同時に現れているらしい」
・御手杵「さっきから小狐丸が色んな場所に現れてるらしい」
・堀川「それは……妖か何かの類とか……」
・鶴丸「小狐丸が二振りかぁ……」
   「こりゃあ、あれだろ!にでも化かされてるんじゃねえのか?」

……なんだか「仕掛けた側」じゃないと分からないようなワードがちりばめられています。鶴丸に関してはもう真相をバラしているようなものですね。

そして小狐丸は、四振りに足りない「あるもの」に気付くとともに、彼らが刀剣男士ではないことを看破します。
カミシモの茂みに逃げ込んだ四振りは、真の姿を現しました。
そう、彼らは白狐。ワキツレではなくシテツレだったのです。

シテ
 白狐面の小狐丸
ワキ
 小狐丸
シテツレ
 御手杵
 長曾祢虎徹
 堀川国広
 鶴丸国永
ワキツレ
 明石国行

4匹の白狐の面は、口元が見えるタイプのハーフマスク。
能面にこの形状のものは無いはずですので、能のお約束やお作法からは逸脱したものと見ていいようです。
このマスクの額の部分を注目していただきたいのですが、4つ全てデザインが違います…!芸細…!

そして「4」という数字も見逃せません。
稲荷神社の参道には、狛犬ならぬ「狛狐」がいますが、伏見稲荷大社の狛狐は4種類(宝玉、巻物、鍵、稲穂をそれぞれ口に咥えています)あるのです…!

もしこの白狐たちが稲荷の御使いならば、稲荷明神の作った刀剣であり、狐の眷属である小狐丸に敵意があるとは思えません。もしかして、本当に遊びに来ていただけなのかも…?

そして小狐丸と四匹の白狐の舞が始まります。

4-4.「狐や踊れrep.」

怪しい月の 影落つる夜は
遊べや遊べ 狐や遊べ
人の欲望か 神の気まぐれか
遊べや遊べ 狐や遊べ

偽も誠も
夢も現も
般若も菩薩も
死者も生者も


この世にゃ 表と裏がある
狐にゃ オモテとウラがある

(出典:白川ユキ 作詞「狐や踊れrep.」)
※LIVE CDを元に文字起こし

(これは只の感想なのですが、「狐にゃ」のところで小狐丸の腕と袖がしなっている様が大変美麗なので私は大好きです)

この歌で特筆したいのは、太字の部分の歌詞です。
相対する二つのものごとが並んでいますが、歌っている男士に多かれ少なかれ関係する言葉なのです。いいですねぇ…

偽⇔誠:長曽祢
(虎徹の真作ではないが、元の主・近藤勇が信じた真心を抱き「虎徹」を名乗り続ける)
夢⇔現:御手杵
(葵咲本紀、実体が焼けた過去の夢と、実体が無いのに存在する今の対比)
般若⇔菩薩:堀川
(元の主は「鬼の副長」の異名と「慈母に似たり」と人物評を併せ持つ土方歳三)
死者⇔生者:鶴丸
(北条貞時が墓を暴いて手に入れたとされた、「陵」という異名があったと…という五条国永の刀にまつわる逸話が付与されることがある)

この曲のアウトロでは、笛と鼓と附け打ちの音が入ります。
これ、能の早笛(鬼や神のシテが登場する時の囃子)を意識している感じがあってとってもいいなぁと思います。
(※個人の感想です。本式の早笛とは全く違いますのでご注意ください)

白狐たちが消え、舞台奥から白狐面の小狐丸が現れます。相対した小狐丸はこのような言葉を発しました。

小狐丸「さてさて...…これが真打ちかな」

原案ゲームで小狐丸を隊長にしている時に聞けるボス到達時のセリフです。(まさかこんなところで聞くことができるなんて―――!)

小狐丸「この私がどこぞの狐に化かされようとは!」

このセリフ、彼の誇り高さがビシバシ声に乗っていてとっても好きなのですが、私の好みの解釈の話はいったん置いておきます。

抜刀した小狐丸が振り返ると、そこには同じポーズで、ただし太刀ではなく扇子を構えた白狐面の小狐丸が。

▼4-4-a.扇子と太刀の関係

能では、扇子で「太刀」を表すことがあります。
観世流シテ方の松野浩行さんが動画で紹介しているのが大変分かりやすいのでご覧ください。

(1:30くらいのところから扇子を太刀にする時のモーションが見られます)

これを踏まえて「小狐幻影抄」の全景映像で白狐面の小狐丸を見てみると、扇子を太刀にするようなモーションは微塵も無いですし、扇子そのものも固く完全に閉じられているのもわかると思います。
小狐丸は「刀を抜く気は無いのですねぇ」と言いますが、
まさしく、文字通り、白狐面の小狐丸は刀を抜いていないのです。
腰の太刀も抜かなければ、扇子も。

裏表がない。
ふたごころが無い―――!

そして、この場面には扇が太刀の型をしていない、ということに加えて、
3つ、重要なポイントが存在します。

まず一つ目。
白狐面の小狐丸は、小狐丸へ向けて立礼するのですが、あれを見て小狐丸とともにハッとした方もいるのではないでしょうか。
そうですそうです、あれは「阿津賀志山異聞」初演の時からずっと続いてきている「小狐丸」の礼……!

そして二つ目。
本来上位であるはずのシテがワキに礼をするという状況。
これって「小鍛冶」で稲荷明神が宗近にしたことと同じですよね……!
神でありシテであるはずの稲荷明神が、人でありワキの宗近の弟子となる。これにより、小鍛冶は稲荷明神と宗近を両シテであるという見方(*10)もあるのです。

つまり能の番組風に書くとこうなる可能性もあるというわけで…

シテ
 小狐丸 / 白狐面の小狐丸
ワキ
 明石国行
シテツレ
 御手杵
 長曾祢虎徹
 堀川国広
 鶴丸国永

そして三つ目。
立礼を目の当たりにした、小狐丸の反応です。

小狐丸「お前は……もしや……」

刀ミュの小狐丸の二人称は「あなた」です。
「お前」と言ったのはこれが初めてです。

刀ミュはカーテンコールの時も演じた役のままで挨拶をします。あつパリ大千秋楽の時、岩崎大輔さん演じる小狐丸はこのようなことを言いました。

小狐丸「ひとり戦っているの思いを胸に駆け抜けて参りました」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞 2018 巴里 大千秋楽カーテンコール)

小狐丸が特定の誰かを「友」と呼んだのはこの時が初めてだったのですが、ここで言う「友」は、復帰に向けて療養中の北園さん(そして彼が演じる小狐丸)のことを指していたのは明らかでした。
そしてこの一言により、北園さんと岩崎さんの演じる小狐丸は別個体ということが公の事実となったのです。

「白狐面をかけ小狐丸の装束を纏ったもの」―――

あぁ、やはり。
彼は、代役として舞台に立ったあの小狐丸だったのですね。

▼4-4-b.小狐丸が相手の正体をすぐ見破れなかった理由

小狐丸は立礼を受けるまで、相手の正体を看破することができませんでした。この理由として、私は白狐面の小狐丸の方が上位のものであったから、という案を挙げたい。
白狐面の小狐丸は、基本的に観客から見て右側――上手から登場し、小狐丸と舞う時もほぼ上手側のポジションを取ります。
それが小狐丸へ面を手渡し、去っていく時になり、初めて下手側に位置取るのです。
能舞台でもシテとワキの定位置は舞台中央を挟んで反対側となっていますので、ワキである明石がいる下手側が下位側のポジション、そして上手は上位側のポジションと言えるのではないでしょうか…どうかな…?

4-5.「二つの月」

この身は一つなれど 月光に宿る影は二つ
一つは私 一つも私
姿かたちは同じなれど 心は一つのみ非ず
一つは私 一つも私

静と動 表と裏
私とお前 お前と私

鏡合わせのこの心 向き合えば影の如く
溶け合えば鉄の如く 今一つに戻るだろう
今一つに戻るだろう

人なりや 物なりや 神なりや 妖なりや
人なりや 物なりや 影なりや 我なりや

(出典:白川ユキ 作詞「二つの月」)
※LIVE CDを元に文字起こし

二振りの小狐丸の舞。
この時の扇子を広げる所作も能のお作法に則っているのが実に良い。
扇子の色はそれぞれ異なっていて、小狐丸は金。白狐面の小狐丸は銀でした。宮中の祭礼で対になる祭具に用いられた色。これ以上ないぴったりな色です。
(※扇子にはくずし字で何か書いてありましたが、現時点で解読が完了していないので端折ります)

そしてバックスクリーンに映る二つの月が姿を変えていきます。
夜空の月と、水面に映る月が身を寄せ合って融け合って一つの月になるのです。

「二つの月」の主旋律は北園さんの生歌ですが、副旋律は被せ音源になっています。初めて聞いた時、白狐面の小狐丸がハモっている可能性も考えて私は勝手に震えていましたが、被せ音源も北園さんとみて間違いないんじゃないかな…
(…と言いつつ、ラストの「我なりや」の部分の裏メロは、北園さんの歌のカラーがばっきばきに削ぎ落されているので、別の誰かが唄っている可能性を未だに考えてしまいます…)

▼4-5-a.「二つの月」の「影」とは?

日本語の「影」という言葉には「shadow(影)」「light(光)」「shape(形)」…などいくつかの意味があります。
影と光は対立する事象ですし、無形の光と形もまた対立しているといえますね。
たとえば「月影」「星影」の「影」は「light」ですし、
「面影」の「影」は「shape」寄りの意味合いです。

「二つの月」で「影」という言葉は二度使われていますが、文章そのまま素直に受け取っていいのかウンウン考えてました。

月光に宿る影は二つ

「月宿る」とか「宿る影」といえば、月の光が何かに(それこそ水面とか)映ってる様を差していると思うんですが、
月の光に「影」が映ってるってどういう状況だ…?
それとも素直に現代語の「宿る」と捉えた方が正しいのか…
…気になってから色々調べてみましたけど確たる答えは出ませんでした。

向き合えば影の如く

この部分は後に続く「溶け合えば鉄の如く」のお陰で「shadow」の意だということがわかります。
そういえば、原案ゲームにおける小狐丸の連結操作時のセリフは「溶ければ皆鉄よ」…でしたね…

▼4-5-b.「人なりや 物なりや」

先ほど「3-2-b.物なりや 人なりや」にて書きましたが、
「真剣乱舞祭2016」でついぞ発されることが無かった小狐丸の「物なりや 人なりや」を聞くことができました…!

しかしね、3年前の三条派が「物なりや 人なりや」と問うたのに対し、
今回の歌詞は「人なりや 物なりや」。質問の順番を反転させているのはきっと意図的なものでしょう。刀ミュはまったく一筋縄ではいきませんね…

神なりや 妖なりや

「かみなりや」は「あやかしなりや」と続くので上記のような詩であることが考えられますが「雷や」に聞こえなくもないのが好きだなぁと思います。

影なりや 我なりや

そしてこれ―――!
「影打」⇔「真打」の対比かと思いきや
「影」は「shadow」で「light」で「shape」でもあるので、
「影」が何であるかによって「我」も千変万化を魅せるのですよう…粋だ…どこまで作り手が意図してるか分からないけど素晴らしい…
「a」と「e」で韻を踏んでるのも良い…!

▼4-6-a.白狐面は何を象徴していたか?

斯くして、小狐丸(演:岩崎)は小狐丸(演:北園)へと白狐面を手渡すと姿を消しました。
何事もなかったかのように舞台はふたたび現在の本丸へと戻り、
空と水面の間で融け合ったはずの月は、最初となんら変わりなく、空と水面に一つずつ浮かんでいます。

このあと、小狐丸によって事件の原因が明かされるのですが、それを湿っぽい話にしないところが良いなぁと思います。バランス感覚がとても良いなと。

もし、能面に神が宿るのだとしたら。
それをかけつづけた人間の心(こころ/うら)や情念が、宿るのだとしたら。たぶん、きっと、あの白狐面は刀ミュの小狐丸という役を象徴しているのかもしれません。

あつパリのバックステージ映像で、代役として舞台に立つ岩崎さんが、療養中の北園さんから小狐丸を託された、と話すところがありました。
だから、この演目で白狐面を手渡す、ということは、そういう意味も含んでいるのではないかと。

……2018年の夏を未だに昇華することも払しょくすることもできていない私は、こんな解釈しかできません。
なので、あれを「あぶらげ禁止令」という少し笑える話に置換してくれたのはありがたいですね。救われます。

▼4-6-b.我は付喪神なり

小狐丸「(※中略) 我らはものに宿る付喪神

原案ゲームでは刀剣男士を「付喪神」と定義していますが、刀ミュで初めてこの言葉が登場したのは2019年の本公演「葵咲本紀」からです。
刀剣男士が己をどのように定義するか、まさか小狐丸の口からこの言葉が聞けるとは思いませんでしたね。

4-7.明石と小狐丸とこれから

明石は畑当番をやりたくないようなのですが、そういえば三日月もまた「つはもの」で畑当番から逃げようとした実績がありますね。
明石も三日月も普段はマイペースですが、刀剣男士としての使命にはシビアな考えを持っていて、そして使命とは別に大きな秘密を抱えているようです。
そして何より二振りとも古刀で「確たる存在」でもあります。

共通点は意外にも、いくつも出てきたのですが、
明石は三日月の「歴史の守り方」を知ると、異を唱えましたし、敵対心めいた感情も表情もまったく隠そうとしませんでした(「葵咲本紀」)。

この二振りが今後何らかで接点を持つと思います。
そしてその間には、どちらとも縁がある(=刀ミュ本丸内での縁という意味です)鶴丸国永が入るのではないかと思ってきました。

しかし、小狐丸もそれに加わる可能性がこの「小狐幻影抄」によって出てきました。

神の手と人の手による二つの銘を持ち、語り継がれてきた伝説と物語を核として顕現し、そして表裏一体の矛盾する感情を解せるようになった小狐。

なにかと「境界」を意識させ、試そうとしてくるこのミュージカル作品で、今後彼がなにかひとつ大事な役割を担ってくれるような(もちろんファンとしての欲目もありますが)そんな予感がしています。

4-8.新事実・全ては水面に映った幻だった―――か?

ラストシーン、狐に化かされたような顔をした明石に思わず笑んでしまった人もいるかと思います。私もそうでした。

でも、もしかしたら明石を笑っている場合じゃないのかもしれない。
もし我々も何者かに化かされていたとしたら?

紙芝居作家の若山甲介氏のブログ記事を拝見したことがきっかけで気になったことがあります。

橋懸かりからやって来たシテは、
下手奥から本舞台へと入って約1mくらい、「シテ柱」のあたりで止まります。
そこが最初の定位置となります(=常座またはシテ座)。
シテはやがて、本舞台を左回り(反時計回り)で一巡するなど、移動しますが、
上手(右)にワキがいて、下手(左)にシテがいるという図式は基本的に変わりません。
つまり、右に現実世界、左に異世界があるという構図。

(出典:若山甲介「右か左か、明日はどっちだ?・06」2012年)

若山氏のブログ記事を元に画像を作成してみました。
黄色の人形がシテ、紫の人形がワキです。

画像4

シテは下手にある橋掛かりから舞台に出てきて(①)、
シテ柱と呼ばれる位置(②)を起点に、
反時計回り(③)で一巡する。
ワキは上手のワキ柱のところにいて、
上手(観客から見て右)にワキ、下手(観客から見て左)にシテという図式が基本的。

「小狐幻影抄」では、本来の能と逆のことをやっていませんか?

画像4

シテは上手側から登場し、基本的に上手を起点にしています。
舞台を一巡する時は時計回りが主です(「狐や踊れ」の時の白狐面の小狐丸を見てみてください。基本時計回りで移動しています)。
そしてワキは下手にいます。

【梅 the way】では、明石の作り話の中とはいえ、
小狐丸と今剣が不憫だったので、
【小狐幻影抄】で明石が狐たちに化かされて、これでおあいこかな?なんて思っていたのですが……

実は観客も狐に化かされていた……?

小狐丸は最後にこのような意味深なセリフを言うのですが、

「虚構も事実も表裏一体なのですよ。
 信じてもよし、信じなくてもよし。
 私は信じ、もう一振りの己を受け入れた。それもまた、よし」

……まさか舞台構造が、能舞台と鏡合わせだなんて思いもしませんよ!
このことに気付いた時、私は、もう何を信じたらいいかわからない…と本気で思いました…
(究極な話、刀ミュはフィクションなので虚構だよねって言ってしまえばそれまでなんですけどね)


月見といえば、嵯峨天皇が京都・大覚寺で中秋の名月に池に舟を浮かべて遊んだエピソードが有名ですが、

私が見ていた「小狐幻影抄」は、
それと同様に、水面に映っていただけの事実だったんだろうか…
それとも「冨嶽三十六景 甲州三坂水面」の逆さ富士のような虚構の世界の話だったのか…

そこんとこ、どうなんですかね…
ミュこぎさん…白川ユキ先生…


4-9.座長の小狐丸、「影」アナの小狐丸

上演期間中「終演後の影アナ(影アナウンス)をやっているのは岩崎さんでは?」という声をちらほら聞いていたので、気になっていたのですが、確かめようにも材料が少なすぎて、もうこれはいっそ公式発表してくれないか…!と思っていました。
そうしたらなんと岩崎さんご本人が大千秋楽後のツイート(この記事の冒頭のツイートがそれです)で、影アナをしていた旨を発信してくださいまして…!

…つまり、これは、小狐丸(北園さん)から座長としてのご挨拶をいただき、影アナで小狐丸(岩崎さん)からお見送りをいただいた…という解釈をしてもよろしい…んでしょうか…?

これに気付いてから、歌合のエンディングを見ると真打と影打という言葉が頭の中をぐるんぐるんします…

5.終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございます。
あなたは「小狐幻影抄」をどんな物語と見ましたか?

刀ミュは、小狐丸はとても優しいので
人の数だけ解釈があるし、あっていいのだときちんと言葉にしてくれます。

「虚構も事実も表裏一体なのですよ。
 信じてもよし、信じなくてもよし。
 私は信じ、もう一振りの己を受け入れた。それもまた、よし」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱2019 「小狐幻影抄」)
「答えは知っていますが…止めておきましょう。
(中略)
それは、自ら導き出すことで初めて答えになるものですから」

(出典:御笠ノ忠次「戯曲ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞」)

―――あつパリの夏からずっと動きだせずにいた私は、
あの夏、偶然に始まってしまったふたりの小狐丸の物語を、作り手たちが「刀ミュの歴史」のひとつとして真摯に向き合い、そして「刀ミュの歴史」を存分に詰め込んで昇華させた。

……そのように「小狐幻影抄」を解釈しました。
そして、深く感謝しています。

物語は、始まることも続くことも難しいけど、終わることもきっと難しい。
そして美しく終わるということはもっと難しい。物語内外で絡まった要素があるならば猶更。

だから、あの二振りのひとつの終わりが描かれたことに、そしてその物語がとても美しくて優しくて妖しさもある素敵な物語になったことに、私は感謝しています。

「小狐幻影抄」で脚本を担当された白川ユキさんはこれがデビュー作となりました。今後のご活躍も陰ながら応援しています。

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ここまで色んな事を書きましたが、観劇中に上記のようなことを考えているわけではないです。そんなん無理です。

初めて見たときは「私はいったい何を見ているんだ!?」と
「なんて素敵な話なんだ」とその他言語化が困難な感情の間で、もみくちゃになっていました。

そして歌合が終わり、様々な情報が公の下に出て、感激のあまりさらに何も書けなくなってしまった私は、感想ではなく、小狐の周辺情報を調べて考察という形でまとめることにしました。

その結果がこの記事になります。
2020年の間、断続的ではありますが、ずっとこの記事を書くために調べものをしてきました。

想像以上に「小狐丸」を取り巻く情報の海は深く、刀剣だけではなく古典芸能史、宗教史、神社史、古代史 etc...いろんな分野の深淵を垣間見てしまい、大変なものに手を出してしまった…と思うほどでした。

今回はその中から、刀ミュと絡めて語りたかった事を記事にしましたが、色々あって書けなかったことや検証が間に合わなかったものもあります。

備忘録ついでに挙げていきますと、

扇子のくずし字はまだ判読している途中ですし、
本当は「つはもの」の狐忠信のことや、「らぶえふぇす'18」のTime Lineも言及したかったですし、
らぶふぇす'17で石切丸が語る「小鍛冶」の内容が謡曲本と違っている理由にも触れたいですし、
ウカノミタマと稲荷神とダキニ天の関係とか、
稲荷の眷属の狐が女狐とされやすい理由とか、
「審神者」は阿知女神とどういう関係があるのかとか、
稲荷の神紋や社紋と、小狐丸の紋に類似性が無かった話とか、
「小鍛冶」が盗作された話とか……

…書ききれなかったことを書き、挿絵なんかも足して、完全版としてこの記事を同人誌にするのが次の目標です。


隠されると暴きたくなるのは人の本能だと言う人がいますが、
私もそんなタチです。夢を見るのが好きですが、同時にそのギミックも知りたくてしょうがなくなってしまう、どうしようもなく夢が無い人間です。

ですが、刀ミュも「小狐丸」もやすやすと暴かれてはくれないですし、それどころかこちらを驚喜させてくれる一方です。
そういうところにズブズブのめり込んでいってしまいます。
本日(2021/1/9)より始まる「壽 乱舞音曲祭」も、春からの新作公演も楽しみでなりません。

筆者が次に書こうとしているネタは以下の通り。
刀ミュ三日月の歌考察は「壽」の期間中に書きたいなぁと思っています。

▼刀ミュ関係
①歌う三日月宗近についての考察 2016→2021 -共感覚の見地から-
②「歌合 乱舞狂乱2019」考:「彼」と「彼」が顕現しなければならなかった理由
③「歌合 乱舞狂乱2019」考:終わらない物語と「菊花輪舞」について
④「ミュージカル刀剣乱舞」×テキストマイニング
▼それ以外
⑤「活撃 刀剣乱舞」×テキストマイニング 後編
⑥刀工 備前長船長義の評価についての調査結果
⑦「鶴丸国永」×テキストマイニング(※2021年秋予定)

■ご感想などはこちらへ

普段はTwitter(@soubi422)にいます。
小狐丸と山姥切長義と刀ミュに狂い咲いているだけのモブです。怖くはないので気軽に話しかけていただけると嬉しいです。
匿名で連絡したい方はマシュマロからどうぞ。一言でも嬉しいです。

返信は筆者のTwitter上で行っていますが、返信不要な方はその旨をお書きください。
なお、返信まで結構なお時間を頂戴する場合がありますので、お急ぎの方はTwitterのリプライかDMでご連絡ください。





6.感想

小狐丸が好きなのに、
あのステージだけがどうしても上手に見れなかった。
どのタイミングで誰に何にどこに注目すべきか。
自分はいったい何を見ようとしているのか。
何度観てもその都度分からなくなった。

最後に現地参戦した公演では、ただただ涙が止まらなくて、嗚咽が漏れないように口にタオルを突っ込んで泣いていた。
堀川が和歌を詠みだした瞬間から駄目だったし、小狐が出てきたら私はもう駄目駄目だった。
この目で見たものだけがギフトなのに、次から次に押し寄せてくる記憶と情報の中で溺れそうになって、幸せすぎて、なのにかなしくて、なぜか勝手にボロボロになって、友人には笑われるというざまだった。

ふたつなき 物と思ひしを 水底に 山の端ならで 出づる月影

この世に二つとして無いと思っていたものがあった、とその歌は詠まれた。
心底羨ましいし、いっそ憎らしく思った。

私が心を掴まれたあの夏は、二つとして無くて、
あの時あの場所にしかないとわかってしまったから。


あの時のこと、あの感情はしばらく忘れられそうにない。
歌合が終わってから当分の間は観劇記録を読み返すだけで目の奥が熱くなったし、「響きあって」のイントロを耳にするだけで、泣けてきてどうしようもなかった。

そんな「歌合」がBlu-rayになり、やっと私は落ち着いてあのステージと相対できている。


ぴたりと揃っているが確かに違う足運び。
太刀を抜いた時の表情がどうしてか艶やかに見えること。
ラスボスとして登場した時の、しなやかに下ろされる両腕。
「月光に宿る影は二つ」のラストでそっと目を閉じる様。
「心は一つ…?いいえ、そうではありませんよ」と優しく物語るような唄いに、やはり歌は歌われてこそ完成するんだなぁと心底思ったし、
「向き合えば 影のごとく」の「影」で軽やかにひるがえったあの綺麗な赤色の歌声にはときめくばかりだ。
紐をほどき、面を渡す指先。
そして面を受け取る指先。
面の下で、セリフと同時に静かにでも確かに動く喉。
ほかにも。たくさん。

自分ではぽろぽろと零すばかりだったシーンがとても綺麗に切り取られて、残してもらえた。嬉しかった。
撮影監督の勝田さんがディレクションしたのであろうその結果を素直に好きだと思えたこともまた嬉しかった。

そしてこの考察を書き終わった今、少しほっとしている。
(まさか、アップ直前のタイミングで書くべきネタが増えたり、タイトルを差し替えることになるとは思わなかったけど)

白狐の面をかけ終わり、何か確かめるように金の扇子を開いては閉じ、開いては閉じ、扇子の骨をいじっていた彼も、
植込みのセットに垣間見た彼も、
残念ながら、どんどん記憶の色は抜け落ちておぼろげになる一方だ。
しかし意外にも私は穏やかな気持ちでいる。

私はただの観客でモブでしかないけど、
あの夏のあの瞬間でずっと足踏みをしているような、
そんな感覚に囚われていた何かが、やっと前に進みそうだ。

楽しみだなぁ。
「壽」を目前にして、かつてないほど気持ちはニュートラルだ。
こうあったらいいなぁと願うもの、微かな憧れが、
今回も何かひとつでいい、叶いますように。

--------------

■参考資料

(*1)「観世(42-1)」所収, 八嶌正治「作品研究「小鍛冶」」1975年,p6
(*2)石井倫子「<小鍛冶>の周辺」2003年,p11
(*3)「観世(42-1)」所収, 八嶌正治「作品研究「小鍛冶」」1975年,p12
(*4)飯塚恵理人「《小鍛冶》試解―間狂言が示す上演への過程―」2016年
(*5)松本隆信「中世における本地物の研究(四) : 本地物の成立と北野天神縁起」1977年,p241
(*6)伏見稲荷大社社務所 編「朱(13)」所収,小笠原信夫「伏見稲荷大社の刀剣」1967年,p33
(*7)三井記念美術館「美術館で観る知る学ぶ 能面」2015年,p11
(*8)丸岡大二「小鍛冶 観世流謡本特製一番綴」2020年,p10
(*9)丸岡大二「小鍛冶 観世流謡本特製一番綴」2020年,p1
(*10)金井清光「能と狂言」1977年,p151
【書籍・論文・同人誌・ブックレット】(順不同)
・鹿住エリコ「刀剣と能 其の一『小鍛冶』」2018年
・御笠ノ忠次「戯曲 ミュージカル『刀剣乱舞』阿津賀志山異聞」2018年
・深草稲荷勝保会 編「深草 稲荷」1998年
・やら「能ととうらぶ」2020年
・マンガでわかる能・狂言編集部 編「マンガでわかる能・狂言」2020年
・村戸弥生「遊戯から芸道へ 日本中世における芸能の変容」2002年
・石井倫子「<小鍛冶>の周辺」2003年
・重田みち「 「夢幻能」概念の再考 -世阿弥とその周辺の能作者による 幽霊能の劇構造-」 2016年
・日本美術刀剣保存協会「刀剣美術 第761号」所収,後藤三夫「三条小鍛冶宗近駐槌伝説考」2020年
・三井記念美術館「美術館で観る知る学ぶ 能面」2015年
・丸岡大二「小鍛冶 観世流謡本特製一番綴」2020年
・丸岡明「神歌 観世流謡本習物一番綴」2020年
・宇高通成「能面の見かた - 日本伝統の名品がひと目でわかる -」2017年
・三浦裕子「面からたどる能楽百一番」2004年
・戸井田道三 監修/小林保治 編「能楽ハンドブック 第3版」2008年
・天野文雄「現代能楽講義-能と狂言の魅力と歴史についての十講-」2004年
・三宅襄「能の鑑賞講座〈2〉」1997年
・野上豊一郎 著/水垣久 編
 「解註謡曲全集 巻六(補訂版)」Kindle版 2019年
・野上豊一郎 著/水垣久 編
 「解註謡曲全集 巻五(補訂版)」Kindle版 2019年
・野上豊一郎 著/水垣久 編「謡曲 小鍛冶 解註謡曲全集(215)」Kindle版 2019年
・野上豊一郎 著/水垣久 編「謡曲 翁 解註謡曲全集(1)」Kindle版 2019年
・野上豊一郎 編「謡曲全集 : 解註 第6巻」1951年
・神道大系編纂会 編「神道大系 神社編9 稲荷」1991年
・神道大系編纂会 編「神道大系 神社編12 大神・石上」1989年
・伏見稲荷大社社務所「朱(1)」所収,金剛巌「能楽「小鍛冶」について」
・伏見稲荷大社社務所「朱(5)」所収,永島福太郎「稲荷明神の世阿弥演能の御所望」
・伏見稲荷大社社務所「朱(10)」所収,上田正昭「名乗りの源流」
・伏見稲荷大社社務所「朱(11)」所収,知切光歳「稲荷の神紋」
・伏見稲荷大社社務所「朱(13)」所収,小笠原信夫「伏見稲荷大社の刀剣」
・伏見稲荷大社社務所「朱(18)」
・伏見稲荷大社社務所「朱(35)」所収,伊原昭「稲荷と「白」と鳥」
・伏見稲荷大社社務所「朱(39)」所収,松本公一「稲荷明神と北野天神―「渓嵐拾遺集」にみる説話の変容―」
・伏見稲荷大社社務所「朱(57)」所収,澤野加奈「能〈小鍛冶〉における稲荷明神の姿」
・紫明の会「紫明 (39)」所収,飯塚恵理人「《小鍛冶》試解―間狂言が示す上演への過程―」2016年
・石井倫子「風流能の時代 : 金春禅鳳とその周辺」1998年
・野上豊一郎「能の主役一人主義: 能――研究と発見 Ⅰ (風々齋文庫)」Kindle版 2019年
・野上豊一郎「ワキの舞台的存在理由: 能の幽玄と花 Ⅵ (風々齋文庫) 」Kindle版 2019年
・ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会「ミュージカル「刀剣乱舞」壽 乱舞音曲祭」公演パンフレット」2020年
・永青文庫「季刊永青文庫 No.111」所収,増田正造「翁めも―現代の視点から」2020年
・能楽評論の会「能楽評論(48)」所収,田口和夫「<小鍛冶>の背景―――名刀「小狐」のこと」1981年
・「花傅隋脳記」所収「舞芸六輪次第」1584年以前成立(三省堂「国語国文学研究史大成 8 増補」)
・「二百拾番謡目録」(三省堂「国語国文学研究史大成 8 増補」)
・「いろは作者註文」1594年(三省堂「国語国文学研究史大成 8 増補」)
・金井清光「能と狂言」1977年
・石上神宮 編「石上神宮宝物誌」1929年
・内藤正敏,小松和彦「鬼がつくった国・日本: 歴史を動かしてきた 「闇」 の力とは」1991年
・折口信夫「鬼の話」Kindle版 2012年
・高桑いづみ「鬼の囃子の古態 ―<早笛>でハタライた可能性―」1993年
・岩田勝「「審神者」考」1989年
・阿部寛子「「衣通郎姫」伝承考.-その(1) さかし女・くはし女の視点から-」1991年

【映像作品】
(順不同)
・ミュージカル「刀剣乱舞」トライアル公演(2016年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞(2016年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」プレミアム会員限定LIVE@赤坂ACTシアター(2016年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」in 厳島神社(2017年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2016(2017年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」つはものどもがゆめのあと(2018年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2017(2018年)
・Touken Ranbu:The Musical-Atsukashiyama Ibun-(2018年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」阿津賀志山異聞 2018 巴里(2019年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2018(2019年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」葵咲本紀(2020年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱 2019(2020年)
(※以下、台詞確認のため参照)
・ミュージカル「刀剣乱舞」幕末天狼傳(2017年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」三百年の子守唄(2017年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」結びの響、始まりの音(2018年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」三百年の子守唄 再演 2019(2020年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」幕末天狼傳2020(2020年,配信映像)

【ウェブサイト】
(順不同)
・ガルスタオンライン 、和海かおり
  「『刀ミュ』刀剣男士18振り出演、豪華絢爛な歌合(うたあわせ)が開催!
・鮎「刀らぶ京都聖地地図 19/4/30版 相槌神社
・福井市立郷土歴史博物館「小狐の太刀の話
・kokoro「『宝剣小狐丸』と夜の方に 二.忘れられた祭礼
・春日大社「世界遺産 春日大社/春日若宮おん祭
・琴屋「三条小鍛冶宗近~相槌打ったは稲荷明神の使い~
・ランプリイ「小狐丸関連(自分用まとめ)
・幸たま「歴史上の小狐丸についての考察
・半魚文庫「小鍛冶
・滋賀県立大学能楽部 二期生C.U「能楽「小鍛冶」
・郡山の宝生流謡会「小鍛冶
・郡山の宝生流謡会「草薙
・神の木の隠居「道成寺攷3 序論道成寺…地理的考察… 第二章天音山千手院道成寺
・能楽勉強会「小鍛冶の舞台
・松山隆之 「小鍛冶 黒頭について
・関裕二「ヤマト建国の謎、物部氏はどこからやってきた?
・sazanamijiro
 「奈良の春日大社の謎・純白の磐座は藤原氏に乗っ取られたのか?
 「石上神宮に連なる不思議な聖地・北極星が示す藤原氏への怨念
・ART RESEARCH CENTER「F1-3 能面「泥眼」. - 日本の伝説 異界展
・I「鬼と呼ばれたもの
・鎌倉能舞台「能学入門
・わかやまこうすけ「右か左か、明日はどっちだ?・06

【配信トークショー】
・御笠ノ忠次「こんなもん見てないで早く寝ろ vol.2」(youtubeライブ,2020/4/27)

【展示会】
・平安宮廷スポーツスタジアム~御大礼の儀式と装束~令和の初春 梅花の宴(2020/1/2~2020/1/15)

【CD】
・刀剣男士 formation of つはもの「ミュージカル「刀剣乱舞」 ~つはものどもがゆめのあと~」
・Team 三条 with 加州清光「Lost The Memory」~阿津賀志山異聞2018 巴里~ 公演 @パレ・デ・コングレ・ド・パリ 大劇場 2018.7.15(2019年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会「ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱 2019 彩時記」特典LIVE CD(2020年)

【公演】
・ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱 2019(2020/1/4)
・横浜能楽堂普及公演「眠くならずに楽しめる能の名曲」(2020/12/12)
   トークショー 中村雅之「能の神 狂言の神」
  「小鍛冶 白頭」(金剛流)
・観世九皐会12月定例会「小鍛冶 白式」(2020/12/13)
・宝生流五雲会「小鍛冶」(2020/12/19)


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