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祖父の爆笑戦争体験記(不謹慎なタイトルです。ごめんなさい)

NHKの朝ドラ「虎に翼」を毎朝楽しく観ています。

今朝は、主人公が夫の戦死を知り、初めて泣く場でした(私も泣いた)。

朝ドラで戦時中が舞台になるたび、当時戦争に行かなくてはならなかった人たちやその家族のことを思わずにはいられません。そして、もし私の夫が徴兵されたら、夫が戦死したら、と想像すると涙が出てきます。

私の父方の祖父は目が不自由だったため、徴兵を免れました。母方の祖父は、戦争から無事に戻ってきました。そのおかげで、いまの私がいます。

戦争の話題に触れるといつも思い出すのが、母方の祖父のことです。

戦後、祖父は警察官として働き、退職後は反社会的勢力を排除する組織を立ち上げて受勲し、趣味の仏像彫刻で数々の作品を残し、あの年齢でパソコンを使い、91歳まで生きました。心から尊敬する人です。

「きれい」を「美しい」、「例えば」を「仮に」と、少しお堅い言葉遣いの上品なおじいさんでした。「孫は8人いるけれど、やっぱり初孫のお前は格別や」といつも言ってくれた祖父。他の孫たちにも「孫の中でお前が一番かわいい」と言っていたのを私は知ってるよ(笑)。

祖父から戦争の体験を聞いたのは、私が記憶する中で一度だけです。祖父が70代だったでしょうか。

お盆に親戚一同が集まった際に、ほろ酔いでゴキゲンの祖父が語りだしたのが「おじいちゃんの爆笑戦争体験記」でした。

戦地に向かう船のなかで仮装大会があり、祖父は女装をして優勝しました。その船は沈没したのですが、(どういういきさつか忘れましたが)仮装のおかげで祖父は助かったそうです。他にも、祖父の尊厳のためにあえて言いませんが、笑えるエピソードが続き、みんながゲラゲラ笑って聞いていたのを覚えています。

絶対に笑いのネタなんかではなかったはずなのに、私には想像もできないような、死と隣り合わせの過酷な戦争の記憶を、あえて「爆笑戦争体験記」として孫たちに話してくれたこと。それ以外には何も聞かせてくれなかったこと。これが祖父の愛だったのでしょう。

「おじいちゃんの爆笑戦争体験記」を思い出すたび、おじいちゃんに会いたい、話したいと強く思います。

当時日本のために命を懸けて戦ってくれた方たち、日本を支えてくれた方たちが願い、作ってくれたのが、現在の「なんでもない平穏な日常」です。

小さな日常、小さな幸せがどれほどありがたいことかを改めて胸に刻み、心から感謝して、この方たちのご恩に報いるためにも、とにかく幸せに生きなきゃいけないと思うのです。

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