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コーヒー豆に思うこと

私が通っている作業所では、単純作業が中心ではあるものの、ほぼ毎日違う仕事が入ってくるので、飽きることなく毎日作業に当たっている。

ただ、なかには常に受けている作業もあって、その一つが「コーヒー豆の選別」である。どこか遠方の、とっても豆にこだわった喫茶店から受けている仕事だそうだ。

ローストする前の生のコーヒー豆をひとつずつひっくり返しながら、いいものと悪いものに分けていく。相当に根気のいる作業だ。

そうやってひたすらコーヒー豆をひとつずつ眺めているわけだが、よく考えてみれば、コーヒーのパッケージ写真に出てくるような、きれいな楕円形で真ん中にしゅっとまっすぐ線の入った「パーフェクト」なコーヒー豆にはまだお目にかかったことがないと気づく。

どれも、線がぐちゃっとなっていたり、形が反っているもの、三角形、貝殻のようだったり。自然のものだもの。見ていると、それぞれに「私こんな風になっちゃいました。テヘ!」と言っているようで、それが良い個性であって、みんなかわいい子たちだ。

とにかく単純な作業なので、いろんなことを考える。

私が豆だったら、どの子だろうか。この割れちゃってるやつかな。形は人並みだけど中が虫食いで真っ黒になっちゃってるこれだろうな。

パーフェクトな「ザ・コーヒー豆」はまだ見てないけれど、あるとすればスーパーモデルかバービーちゃんみたいな超希少なもので、大多数はちょっといびつで、だからこそ愛すべき豆たちだ。豆だって「私ももうちょっと形が整っていたらかわいいのに」なんて思うのかもしれないが、俯瞰した目でみれば、どれも立派に「コーヒー豆」している。

人間はどうだろう。どうして自分はスーパーモデルや芸能人みたいに素敵じゃないんだ…って自己嫌悪してしまいがちだけれども、外から大きな目で見れば、自分だってそれなりに愛すべき存在であって、人間としての役割をちゃんと果たしていて、自分そのままで十分に幸せなのではないか?自分個人に置き換えればなかなかそこまで開き直ることはできないが、そう思えるようになりたい。

不幸にも虫食いで真っ黒になっていたりするものは確かに味が変わってしまいそうだが、ちょっと反っているとか、線がぐにゃっと歪んでいる豆は何か問題があるのだろうか。こういう豆もNG豆としてはじかれるのだが、このあとこの豆たちはどうなるのかなぁと思ってしまう。はるばるどこかの国からやってきたのに、私が「NG」と判断したおかげで捨てられちゃったりするのだろうか。心配だ。

あまりにも単調な仕事なために、そんなどうでもいいことをつらつらと考えていた今日の作業であった。

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