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私はどんな障害者だろうか

AmazonのPrime Videoで海外ドラマを観ている。最近観はじめたのは、Modern Loveというオムニバス形式のラブストーリーなのだが、これがとても興味深い。

とても心温まるストーリーが続いたあと、3話目だったろうか、双極性障害の女性が主人公のストーリーがあった。ハイで輝いているときにナンパした素敵な男性。でも次のデートの時は鬱で、彼がドアベルを鳴らしても出迎えることができない。もちろん彼は去っていく。クローズで働いていた弁護士の職も無断欠勤で首になる。とにかく散々なのだ。それでも彼女はそれなりに生きていく、そんな感じのエンディングだった。同じ病気の私としては、ものすごく共感できるだけに胸を締め付けられるような思いがした。

いきなり本題からそれてしまった。本当に話したかったのは別のストーリーについてだ。

ある若い男女がデート中、男性(ロブ)が腕にけがを負う。術後、当分は片腕が動かせず、色々と苦労するロブ。女性(ヤスミン)はそれを微笑みながら見守るのだが、病院のカフェテリアで二人はこんな話をする。

ロブ:僕がもし障害者になったら、怒りと自己憐憫で確実にアル中になるだろうな。訴訟に人生を費やし、僕に親切にしてくれる女性をみな後悔させるだろう。

ヤスミン:私はどんな障害者になると思う?

ロブ:君は社会の良い刺激になるよ。すぐに状況を受け入れて、他の障害者の支援を始めるだろう。それからパラリンピックのアーチェリーチームに入る。講演もするし、化粧品の開発もするな。君は21世紀の美の基準を完璧に作り変えるんだ。

「この腕のけがはすぐに治るから良かったけどね。」二人はそう言って笑い合う。

私はうーんと考え込んでしまった。私は障害者であるが、どんな障害者かなんて考えたことがなかった。ありがたいことに障害年金をいただいていて(ごめんなさい)、障害者手帳も持ち、障害者施設で働いている。障害者であることを思いきり受け入れて生きている。

私が初めて障害を得た14年前はどうだったか。あまりにも具合が悪すぎてあまり覚えていないのだが、双極性障害と言われたときは、ああそうか、こんなに具合が悪いんだから当然だ、と思っただけだったかもしれない。それより、発達障害と言われたときには涙が出た。ショックの涙ではない。今まで生きてきて本当に辛かった。その辛さに説明がついたことへの安堵の涙だった。

10年後、同じような精神障害を持つ女性のサークルを作った。精神障害者の女子会は珍しいため、今では多くのメンバーさんが来てくれて、毎月楽しくおしゃべりしたり、お出かけや外食をしている。

自分が改良を重ねてきた活動記録表も、一度は出版の話が立ち消えになったものの、noteで販売することができた。これが同じ双極性障害を持つ人の助けになれば嬉しい。

ただ、サークルを作ったのも、活動記録表を公開しているのも、よくよく考えれば「私は少なくとも自分の出来る範囲で何かをしている」と自分を安心させるために始めたことだ。純粋に他人のためにお役に立ちたいから、という崇高な理由ではない。

講演をしたり、パラリンピックに出場したり、社会の誰かの良い刺激になることはないけれども、状況を受け入れて、それなりに生きている。何かを成し遂げようともがいている。結局は自分のためだけれど。

生産性のない障害者は死んだほうがいい。そういう主張を最後まで曲げなかった大量殺人犯がいた。確かに私には生産性がない。障害年金を受け、自治体からも様々なサービスを受け、納税者さんの税金を使わせてもらっている、社会に何の役にも立たない存在だ。夫や、国や皆さんの支えなしには生きていけない。そんな身でありながら、自分のことばかり考えているのは本当に情けないことだ。それでも、皆さんに生かしていただいている命だからこそ、命を大切にしたい。「こんな自分なんか」でもできる仕事を一生懸命やっている(あまり生産性のない仕事だ)。「こんな自分なんか」だからできることに挑戦し続けている。

もちろん前向きな時ばかりではない。死ぬことを計画したり実行に移してしまうこともよくあるし(脳の誤作動だからどうしようもないと思っている)、辛すぎて自分を傷つけてしまう癖も治らない。思いきり障害に負けて、良い顔ができないことも多々ある。それでも、苦しみながらも、生きている。

いろいろと考えるきっかけをもらったドラマであったが、結論、「ほとんど社会の役には立っていなくて、自分のためではあるけれども何かを成し遂げようともがいている障害者」が今の私なのかなぁ。

あなたはどんな障害者ですか?どんな障害者になると思いますか?

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