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ヘドロ飼い主と猫 その3

 先代の猫は野良の子猫だった。道端で動けなくなっているのを見つけて、夏休みに部活(ちなみに美術部)に行く途中で拾ってきた。

 たぶんそのままだとカラスやその他の動物の餌食になっていただろう。目は目ヤニで固まり、耳には耳ダニがギッシリ詰まっていて、ガリガリに痩せてお腹にも虫がわいていた。

 そういう境遇だったからか、先代の猫はとにかく食べるのが好きだった。若いころはひたすらガツガツと、与えただけ食べていた。それですごいデブにしてしまったのだがそれはさておき。

 それと比較すると、聡太くんは人間の家で生まれ、母猫の乳をたっぷり飲んで育ち、子猫用のキャットフードを食べて成長したので、とうぜん健康体である。健康診断のとき獣医さんに「ちょっと瘦せてるけど健康」と言われた。

 その「ちょっと瘦せてる」を挽回する程度に、与えられたキャットフードをよく食べている。

 境遇のせいか、先代の猫はあまり人間が得意でなく、よほどしょっちゅう遊びに来る人以外だと母氏のピアノの調律師さん(超動物好き)くらいにしか愛想をしなかった。

 しかし聡太くんは、我が家にきてすぐ父氏の膝で昼寝した猫である。

そうか、そんなに父氏の膝がいいのか。


 人間の家で生まれ育ち母猫も飼い猫なので、人間がそれほど怖くないのだろう。怖い人間がいるとしたら獣医さんだろうか。おもいっきり体温計を尻に突っ込まれ、耳がちょっと汚れていると耳掃除されていたので……。

 猫も育つ環境で人格、 猫格? が変わってくるらしい。まあ当然のことだと思う。

 ちょっと脇にそれるが、我が家には時々叔父上が遊びに来る。母氏の弟で、今で言う1stガンダムを観たかったけれど住んでいるところに系列局がなく主題歌の楽譜を手に入れて母氏にピアノを弾いてくれ、と言った、元祖オタク、本家オタクみたいな人である。

 叔父上は先代の猫にわりと好かれていて、近寄りこそされなかったが逃げられもしなかった。聡太くんがどんな反応をするか今から楽しみである。

 その叔父上もそうだし、母氏もけっこうなオタクだし、父氏も漫画を描いてみようとつけペンに触ったことがあるという血縁から生まれてきたわたしはサラブレッドオタクである。
 オタク幼児洗礼こそされなかったものの、わたしは子供のころからミイラだ古代文明だオーパーツだ毒薬だ錬金術だ、みたいなことばかり吸収して育ち、いまは朝ドラオタクをやっている。そんなんだからヘドロ人生になったのではないかというツッコミはつらいのでやめてほしい。

 毒薬や毒草に興味があったので、庭に植えてあるスズランだとか、父氏がスパスパやっているタバコだとか、そういうもので簡単に死ねるということを、わずかに通った高校時代ずっと考えていた。

 高校をいったん休学して1年生を2回やることになったとき、わたしはクラスの冷たい空気に絶望した。完全に針のむしろだった。そして小さいころからずっとわたしをいじめてきた一個下のやつが隣のクラスにいて、なにやら悪口を言っているのを聞いた。

 もしかしたら悪口は統合失調症の幻聴かもしれない。でもそのとき、わたしははっきりと、「ああここにいたら本当に死んでしまう」と思った。それで高校をやめた。

 よく通信で高卒資格を取れる! みたいな広告を目にするが、わたしが欲しいのは高卒の資格でなく、「楽しい仲間たちと幸せに過ごした高校時代」なのである。

 しかし中学が保健室登校だったからそれはおそらく初手から無理だったのだろう。

 高校中退から成人式くらいまでの記憶はあんまりない。「されど罪人は竜と踊る」の、ガガガ文庫版が出たのを楽しみに買って、でも結局読めなくて従弟(叔父上の息子)に渡してしまったというのがいちばんはっきりした記憶だ。

 そんなヘドロ人生でも、先代の猫たまちゃんの世話は続けたし、母氏はよく「たまちゃんがいなかったら一家離散してたよ」と言う。

 たぶん、たまちゃんはわたしが弱り切っていたころ、わたしをお姉さんにしてくれたのだと思う。家の中でいちばん弱いものでなく、小さいものを世話する立場にしてくれたのだ。

圧倒的感謝。


 猫というものは、家の中をよく見ている。家族のなかでいちばん優しいのはだれか。キャットフードをくれるのはだれか。遊んでくれるのはだれか。そういうふうに家族を見ている。

 ちなみに聡太くんがいちばん優しいと思っているのはおそらく父氏で、遊んでくれると思っているのは母氏だろう。母氏はよくスマホにイヤホンをつけてYouTubeを観ていて、そのイヤホンのコードが聡太くんには面白いらしいのである。

 ただの「ご飯をくれてトイレを片付けてくれる人」だとしても、聡太くんのなにかになれたことは間違いない。聡太くんはわたしに頼ってくるのだ。

 というか聡太くんを夜一匹にしておくのが心配で、母氏と交代で聡太くんのいる茶の間で寝ているのだが、聡太くんはうちにきた初日から布団に入ってきたらしい。わたしの枕元にもきた。かわいい。

 聡太くんはいま、「吾輩は猫である」の主人公の猫が子猫だったころみたいに、なにも考えていないから怖いものもあんまりないのだろう。

 聡太くんがでっかくなるのがいまから楽しみである。油絵の先生が飼っているオス猫軍団は、みんなビックリするほどでっかい。あの大きさに育つならドアに挟むこともないだろう。

 とりあえず聡太くんが大きくなるまえに、玄関の靴箱の上に並んでいる葉っぱだけのシクラメンとヒョロヒョロのシャコバサボテンをどかさねばならない。かじったら毒だ。

 いつ茶の間から外にいかせるかはまだ決めていない。動きがちょこまかしなくなったらでいいだろうと考えている。

 大きくなったらかわいい首輪をつけてやりたい。先代の猫は首輪をつけると首がハゲる猫だった。

 まだ聡太くんとの暮らしは始まったばかりだ。わたしは聡太くんの幸せを願ってやまない。

 わたしは先代の猫に救われた恩を、聡太くんに返したいのである。

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