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処方箋を出さない診療所 #5
自分の敵はいつだって自分だ。
自分を信じていたかったから、自分を信じられなくなることが一番怖かった。
先生、今年一年の話を、聞いてもらえますか。
0
「こんにちは」
「こんにちは」
「先日はお手紙をありがとうございました。お茶も美味しくいただきました」
「それはよかったです」
「お手紙を受け取ったのは昨日なんですが」
「そうなんですか。最近は届くの遅いですもんね」
「一人でやってみているのではなかったのですか」
「やってみていますよ。それでも、並行して聞いてもらいたいっていうのはまた別の話じゃないですか。先生だって、お金もらえるからいいでしょう? 年末年始も開けてくださっていて、感謝しています」
「言い訳と暴言と感謝を同時に……」
「伝えたいことは、惜しまない方がいいでしょう?それじゃあ、
いつもの診察をお願いします、先生」
「わかりました」
1
「この一年のお話、でよかったでしょうか」
「はい」
「では聞きましょう。今年一年は、どんな一年でしたか?」
「この一年は、一言で言えば『退屈』と『迷走』でした」
「二言ですね」
「うるさいな」
「はい?」
「なんでもありません。……いや、やっぱりなんでもあります、先生」
「なんでしょうか」
「『いつものことでは?』って顔、やめてもらえますか」
「これこそわたしの『いつもの』顔ですよ」
「いいえ。先生の顔にはっきりと、『迷走なんていつものことじゃないですか、何を言ってるんでしょうこの人』って書いてあります」
「仮にも患者にそんなこと思いませんし、たとえ思っていたとしても絶対に顔には出しません。少しお見えにならないあいだに、だいぶわたしの株が下がりましたか?」
「仮にもって……いや、株が下がったとかじゃないですけど、確かに久しぶりなので、『どこまで言っていいんだっけ?』って距離感を探っているところではあります」
「『年に数回診察する主治医と患者の関係、そこそこ他人』です」
「わかりました。じゃあそのへんで話します。で、『いつものことじゃない?』って顔やめてもらえますか」
「まだ何も聞いていないので、いつものことであるのかどうか、判別がつきません」
「それもそうか。じゃあ話しますけど。全然違ったんです」
「いつものこと、ではなかった、ということですか」
「はい。なんていうか、何をするべきか、がわからない一年だったなって思います」
「何をするべきか、ですか」
「そうです。このへん、ちょっとでも言葉を違えたり足し引きしたりすると、ニュアンスががらりと変わってきそうではあるんですけど」
「ではもう少し、中身の説明をしてもらえますか」
「はい。といっても、すごく難しいんですが……もっと率直に言うなら、自分がどういう状態なのかがわからない、という方が近いかもしれません。元気がないのか、元に戻っているのか。体調が良いのか悪いのか。何かが不足しているのか、あるいは現状で十分なのか。もっと気分の、心の動きや上下が起こるべきなのか、これが普通なのか。何かした方がいいのか、何もしない方がいいのか」
「ご自身での解釈は、どうだったんですか」
「元気がない気がする、って思ってました」
「元気がない気がする、ですか」
「はい。でもその感覚自体も完全に信じられていたわけではなくて。ごはんが問題なく食べられて、いつまでも寝つけないなんてこともなくて、仕事に遅刻することもミスばかりするわけでもない。まあ、多少不調はあったんですけど、人間365日元気だーって人の方が、珍しいじゃないですか。そういう感じで、人に迷惑をかけることもなく、通常の生活が送れる程度でした」
「通常、ってなんでしょう」
「え?」
「あなたにとって、何が通常なんでしょう。お話を聞くに、それがわかっていない状態だったようにお見受けします。でしたら、それが『通常どおり』だったと、思わなくてもいいのではないですか」
「つまり……」
「あなたにとっては、通常ではなかった、のかもしれません。たとえ他人からみて、あなたが『普通に』しているように見えていたとしても」
「……なるほど。そうだったのかもしれません」
「はい」
「本当は少しだけ、SNSを避けたり、友達の関わりを最小限にしたり、していました」
「外からの情報を、抑えていたということですか」
「そんな感じです。今は、誰のどんな話をきいても、自分が揺らいだり、後悔したり、恥ずかしくなったり、とにかくプラスの感情を持つことが難しそうだと思ったんです。と言っても、そうしようと思っていただけで、振り返ってみると、結局いろんな人に関わってもらって、助けてもらっていたんですけど」
「それもいいんじゃないですか。そうしようとした、という意識が、あなたにとって大事なのかもしれません」
「そうですね……人と会うべきか、会わないべきか。一人で考えるべきか、人から話を聞いたりあるいは聞いてもらったりして、考えるべきか」
「ええ」
「一年過ごしてみて、そのあたりは、結局答えが出ないままでした。答えが出なかったということは、その観点に、自分が問題だと思っていることを解決するヒントはなかったのかもしれません。今思うと、ですけど」
「そうかもしれませんね」
2
「少し前まで、よく舞台に行っていたんです」
「観劇がご趣味だと、言われてましたね」
「はい。舞台が趣味というか、住んでいる土地を離れて、どこかへ行って、舞台を観る。そこまでが一セットでした」
「はい」
「近頃はあまり行っていなかったんですけど、この間、久しぶりに行って」
「いいですね」
「素敵な劇場でした」
「どんなところだったんですか」
「地下にある劇場で、入口から、螺旋階段を降りていくんです。壁は一面、本棚の模様になっていて、秘密の図書室へ下りていくような道でした。たどり着いた先のロビーは狭くて、座席に入ると、緑色の静かな空間が迎えてくれました。ファンタジックで、夜の林に輝く星や、冷たい冬の風がそこにあるようでした」
「素敵な場所ですね」
「――どうしても、聞き役に回ってしまうことが多いんです」
「聞き役?」
「はい。あ、ちょっと話が変わります。いずれちゃんと戻ります」
「わかりました。聞きましょう」
「ありがとうございます」
「それで、聞き役ですか」
「はい。それはあえてそうしている、といった方が正しいかもしれないんですが。自分のためが半分、相手のためが半分です」
「自分のため、というのは」
「自分のことを話したくないからです。それは相手への親密さによって、左右されたりはしません。相手と親しくても、初対面でも、あまり変わらない感覚で。自分の『考え』を話すことは好きなんですが、自分のこと、情報、起こったことを話すのは、とても苦手で」
「親しくても、なんですね」
「はい。それで、相手のためというのは、『その方が相手は嬉しいだろうな』と思って聞き役に回る、ということなんです。わたしも自分のことを話すのが苦手ですが、話を聞いてもらうことが100パーセント嫌いなわけではありません」
「はい」
「ひょっとしたら、自分のことをちゃんと伝える技術に自信がないし、その拙さによって相手に誤解されたり、ちゃんとわかってもらえないことを恐れているせいなのかも。なので、話を聞いてもらうのが嬉しい、という感覚はわかるんです」
「だから、話を聞いてくれたら嬉しいな、という相手の気持ちを予測して先回りしていると」
「そんな感じです。なんか改めて言うと、すごい上から目線みたいですね。半々じゃなくて、100パーセント、自分のためなのかもしれません」
「それを実際、どう感じていますか」
「どう、ですか?」
「『聞き役に回る』をした後、どう感じますか」
「そうですね。よく言われるんです。『自分ばかり話しちゃって、あなたのことが聞けなかった』って。それは嬉しさ半分、寂しさ半分でもあります」
「なるほど」
「まず、自分のやろうとしていたことが成功した、っていう嬉しさがあります。相手が、『話を聞いてもらえた』と思ってくれる。それが自分が上手に話を聞けていた、ということなのであれば、それは目指していたところなので、嬉しく思います」
「はい」
「寂しさ、というのは、自分のことを話そうと思えなかった、できなかった、という無力感です」
「無力感、ですか」
「はい。自分のことを話せないのは、相手のことを上手に信用することができていないからかもしれない、と思っているんです。相手が聞いてくれない、ではなく、わたしが話す心の準備を整えられていない、みたいな。あるいは、自分の話す技術の低さを隠すためか。話すなら、相手を楽しませたいじゃないですか」
「はあ……わたしは何かを話すときに、相手を楽しませようなんて考えたことがありませんので、同意はしかねますね」
「そうなんですか」
「わたしが何を話そうと、どう話そうと、結局相手が楽しいと思うかどうかは、相手の感性によるものでしょう。毎日多くの人に出会って、毎回、その相手の感性を探ろうとしたり、全員分の感性の癖を覚える労力は、割く必要がないと思っています」
「先生ぐらい、まっすぐ話せたらいいかもしれない……」
「円滑に人的資源が築けるかの保証はしかねますが、そう非生産的な方法でもないとは思いますよ。けれどあなたは、相手を信用できているか、ということについて考えるんですね」
「ああ、はい……だから、いつも、今日こそはって思うんですけど、だいたい、聞き役で終わってしまうんですよね」
「なるほど」
「それで、舞台の話に戻るんですけど」
「はい」
「一人で舞台に行って、その前後を自分の時間として過ごすのが好きなのは、『話を聞いてもらえるから』、というのも大きいのかもしれないな、って思ったんです」
「聞いてもらう、ですか」
「はい。あ、『誰に?』って思いましたか」
「いいえ。なんとなく想像がつきます」
「さすが先生。そうです、『自分に』です。自分の感じたことを、めいっぱい自分だけで受け止めていい。他の人の意見を聞かなくていいし、気遣う必要もない。舞台を見ている間は自分と、舞台と、自分の思考の3人だけです。誰にも邪魔はされません。その前後、一人でいることができたら、始まる前の舞台への期待、あるいは終わった後の感想も、全部『聞いてもらう』ことができます」
「自分が考えていることに、時間に、他人が介入する余地がない、ということですね」
「はい。それが、他人と一緒にいたって上手くできる人はいると思うんです。あるいは、共有することで『聞いてもらう』の感覚を得られる人も。でも、わたしはできなくて。人といると、その相手とのことで自分の全部が埋まっちゃうんですよね」
「そういう方もいますね」
「先生は、他人と過ごしていても、自分の思考のテリトリーを保っていられるタイプに見えます」
「そんなことはありませんよ。でも、そうですね、常に1割ぐらいは、自分のための余裕を残すようにしているつもりではいます。それでもその1割では全然足りないから、他人と過ごすことは苦手です」
「過ごす」
「ええ。他人と何かをする、のは嫌いではありません。でも、過ごす、というのは、人それぞれに与えられた寿命の中、それぞれの時間を生きるということです。ですから、それを他人と共有したいとは思いません」
「先生も難儀な考え方してるなあ」
「ありがとうございます」
「この話、もう少し続けて良いですか」
「どうぞ」
「その、舞台で見た内容の話なんですけど」
3
「観た舞台、あ、朗読劇だったんですけど。『ジョーのたかだか一部の物語』っていうタイトルなんです。ある天才スターと、彼を一番近くで支えたマネージャーと、そのスターを応援してきた友人たちの物語でした」
「朗読劇ですか。いいですね」
「はい。言葉以上に想像力がかき立てられて、舞台とはまた違う面白さがあるなあって感じました。そのお話には、色んな側面があったんですけど……その中で、長く、濃い時間を共に過ごしてきた相手について、多くのことを知っているつもりでいたのに、実はその人の一面しか知らなかった、という描写があったんです」
「なるほど、それで『たかだか一部の物語』ですか」
「先生、先読みしすぎると物語はおもしろくなくなりますよ」
「すみません、性でして」
「まあそれで、先生の言うとおり、『自分はその人の”たかだか一部の物語”しか知らなかったな』と気づくわけなんです。あ、ちょっと話は逸れますけど、これも先生の言う『過ごす』にあたるかもしれませんね」
「続けてください」
「過ごすは、共有ではないんです。それぞれ生きている。でも、それを共有とイコールにとらえてしまう人もいる。共に過ごせば、相手のどんなこともわかるようになると」
「ああ、そうかもしれません」
「そのたかだか一部の物語、というフレーズを、舞台の出演者の方々も、ジョークのように使っていたそうなんです」
「ジョークですか」
「たとえば、『今日なになにするんだ』みたいな話をするときに『でもそれは、自分のたかだか一部の物語でしかないからな』って付け加える、みたいな」
「なるほど。今日のわたしの晩御飯が回鍋肉だとお伝えしたとして、でもそれは、わたしのたかだか一部の物語でしかないと。デザートにレアチーズプリンを食べる予定ですが、それを言わなければ、あなたには回鍋肉を食べるという、わたしの物語の一部しか伝わりませんね」
「大みそかに回鍋肉とレアチーズプリン食べるの、先生ぐらいじゃないですか。でも、そういうことです。出演者の方々は、確かに使えるね、って話になってたんですが、わたしにとってはその言葉が、救いになったというか」
「救い、ですか」
「はい。自分は今まで、相手の全部を知ろうとしすぎていた、って気づかされたんです」
「なるほど。続けてください」
「これは、わたしの『性』です。相手の全部を知りたいと思う。いや、もっと正確に言うと、相手の『思考』の全部を知りたいと思ってしまうんです。あるいは、自分の全部を知って欲しい、というのもあるかもしれません。これだけ聞くと、なんだかロマンチックな響きに聞こえるでしょう?」
「そうですか。わたしには、全知全能になるための特訓に取り組んでいる人の目標にしか聞こえませんが」
「先生に訊いたわたしが間違いでした。でもよく言うじゃないですか、好きな相手のことは独占したい、みたいな。それが、自分には『思考』なんだと思います。どんなことを考えているかを知りたいし、知って欲しいんです」
「なるほど」
「自分が実際に教えてもらえる程度と、知りたい程度が合致している間は、特に問題はないんですよね。でもそれがずれた時に、大きな悲しみになってしまうんです。わたしはそれを、『失恋』と呼ぶことにしました」
「ロマンチックだったり失恋だったり、忙しいですね」
「他に表しようがないから、便宜上そう言っているだけです。でも、色んなことを知っていると思った相手がそうではなかった、特に、大事な人の結婚なんかはそうです。結婚や恋愛の過程を逐一詳しく聞いていたら違うかもしれませんが、それは本来その相手と共有していく内容であって、第三者にわざわざ明かすことではないと思うんです。でも、わたしはその人のことが知りたいですし、人を大事に思う感情って、その人にとってもすごく大事だと思うんです。大事なものこそ、知りたいじゃないですか」
「なるほど」
「で、そのギャップが埋まらないと決定的に思い知らされる瞬間が、結婚報告、みたいな」
「なるほど……」
「先生にはちょっと専門外の話かもしれませんね」
「見下されてますか」
「いいえ。そうあれたらいいなあとも、それもありだなあ、とも思います。だって毎回大事な人の恋愛話や結婚報告で『失恋』を味わっていたら、もたないですもん」
「確かに。なんだか、自分から傷つく回数を増やしにいっているようなものですね」
「う……だから、最近はこの言葉を唱えるようにしています。『自分が知っているのは、この人のたかだか一部の物語だ』って」
「言葉だけで聞くと、自嘲的な響きに聞こえますが。そういった意味合いではないんですよね」
「はい。ポジティブな意味です。自分が相手のことを知りたいと思いすぎてしまった時、そのギャップが埋まらないことに悲しさを覚えそうになった時、それでも、自分はその人の全部を知ることはできないんだよって。全部を知ることはできないけれど、自分を信頼して打ち明けてくれる部分があって、そうやって信じてくれた部分を『信じて』、生きていくのが大事なんだよって」
「なるほど」
「自分を知ってもらう、も同じです。これも、もうちょっと話しても良いですか」
「いくらでも。ここはそういう場所ですから」
「ありがとうございます。先生は、『心に鍵をかける』ってワード、どう思いますか?」
4
「心に鍵をかける、ですか」
「はい」
「一般的に、大事なものを他人から隠しておく、隠さないと他人に傷つけられて自分が困るおそれがある時に、使われそうな表現ですね」
「そうです。……そうですね。いや、意外とそのまますぎてどうしようかな」
「話、終わってしまったんですか」
「いいえ。終わってないんですけど、字面だけで見ると、私の思うこともそうじゃない方も、同じ言葉で表すしかないんだな、と……」
「ニュアンスの話ですか」
「そうです。さっきの、『自分が知れるのは、相手のたかだか一部の物語でしかない』の話で」
「はい」
「自分のことも、そうだなって思ったんです。他人に、全部わかってもらう必要はないんだって」
「はい」
「この一年、苦しんでいたことの一つに、自分の悲しみや苦しみを、上手く他人に説明できないこと、というのがありました」
「続けてください」
「聞き役だなんて言いましたけど、周りの人はとても優しいので、話すのが苦手そうなわたしのことを、覗き込んでくれようとするんです」
「ええ」
「せっかく自分を心配して、話を聞こうとしてくれているのに、上手く話せない。どんな言葉で覆って、どんな色の、刺繍の、手触りの布を使っても、自分の言いたいことは完成形にならない。言った瞬間に『違う』とわかって腐っていくような、それでも挽回しようとして言葉を重ねて、また泥を塗り固めるような」
「ずいぶん強めの表現を使うのは、言葉の正しさにこだわるからですか」
「そうです。嘘の言葉、大嫌いなんです。嘘と言っても、実際に嘘を吐くこととは違っていて。何か意図があってあえて吐く嘘は、必要だと思っています。そうではなく、単に自分の本心と反することを、自分の意思で口にすることです」
「それは、言った瞬間に『違う』と感じること、ということですか」
「はい。反しているとわかっていながら、口にすることはとても苦痛です。でも話したくて。それは言葉にすることで自分が理解するためでもあるんです。自分で自分を理解したくて、言語化にこだわっているのもあると思います」
「はい」
「でも、『たかだか一部』を、自分にも適用して良いんじゃないかなって思えたんです」
「相手も知ることができるのは、自分の一部でしかない。それでいいと」
「はい。自分の全部を話す必要は、わかってもらう必要はない。自分の大事な部分は自分だけがわかっていればよくて、でもそうでない部分だって自分には重要じゃないわけじゃないから、そういうところを人に話していけばいいんだって」
「なるほど……少し口を挟みますが、良くも悪くも、素直すぎるのではないですか。相手は全部を話してくれると信じていて、だから自分も全部話しているべきだと、思われているようです」
「確かに……いえ、どうなんでしょう。さっきも言ったように、あまり相手を『信じる』ということはできていないような気がするので。そのちぐはぐを、一緒くたにしているせいかもしれません。信じられないのに、自分のことを開示しようとする。パスタを味噌汁であえようとする、みたいな」
「別においしそうですけどね、パスタに味噌汁なら」
「味噌、万能ですからね。味噌スープパスタとか言っちゃえば、それっぽくなりそうですよね」
「今夜やってみましょうか」
「味噌スープパスタを大みそかに食べるのも、やっぱり先生しかいないと思います。おいしかったら教えてください」
「わかりました。おいしかった場合の味噌の分量をメモしておきます。それで、あなたにとって大事な部分は、どうしたのですか。他人に無理に開示しなくなった部分は、それでも大事にあなたの心の中にある。でもきっとそこにあれば、知ってほしいと思うあなたはつい話してしまったりして、結果傷ついたりしますよね」
「はい。だからわたしは自分のいくつかの大事な感情を、しまっておくことにしました」
「心に鍵をかける、ですか」
「イメージです。ハート型の、綺麗なピンク色の宝石の錠。それは外の光を通して、内側の輝きも通して、鍵がかかっていても、中にあるのがとても大事なものだということがわかります。鍵はいつもわたしの右手に下がっていて、開けたい時に開けることができます。その重さも、輝きの色の数も、自分だけが知っている宝物です。わざわざ他人に見せて、その宝物たちに困った顔をさせたり、悲しそうな顔をさせる必要はないと、気づけました」
「そうですか」
「はい。なので唱えています。相手のことでも、自分のことでも――『これは、たかだか一部の物語』だって」
5
「今年の振り返りをしようと思ったのに、ほとんど見た作品の話になっちゃいました」
「いいんじゃないですか。どんなことにしろ、それがあなたの変化にとって大切なことで、出会えたのがハッピーなことであるのなら」
「はい。先生、出会えてハッピー、って語彙、似合いませんね」
「訪れてきた幸運、の方がいいですか?」
「私の思う先生的には、その方がしっくりきます」
「あなたもまだまだ、わたしの『たかだか一部の物語』しか知りませんね」
「おお、早速活用している」
「ふふ、活用してみました」
「同じ舞台の中にあった、『自分の中に確かに本当のことがあるのに』、って言葉も、背中を押してくれました。本物があることを、誰にもわかってもらう必要はないんだということを、認めてもらえた気がして。その話もしたいんですけど、ちゃんと言葉を思い出してからにしたいんです。今、その脚本を注文しているところなので、届いてから改めて、考えてみたいなと思っています」
「そうですか」
「はい」
「ベタですけど、来年の抱負でも聞いておきましょうか」
「抱負ですか」
「いちおう、年の瀬なので」
「確かにそうですね。うーん……」
「今年は、本当に苦しい年でした。
でも、挑戦できたこともいっぱいあるんです」
中学からの友達で二人、ずっと一緒にいるのに今までに一回も泊まりの旅行に行ったことのなかった子がいて、彼女たちと、初めての泊まり遠征や旅行に出かけられました。
陶芸に挑戦してみたり、高所恐怖症なのに吊り橋やロングジップラインにトライしたり。
関係性が最悪な時期があった親とも、二人旅行みたいなことをしました。
同じ映画に25回通いましたし、ずっと行きたかった五稜郭の桜を見にいったり、ゆっくり福岡旅行もできました。
街コンやマッチングアプリをやってみたり――これは色々、色々色々と思うところがあったので、良い経験だったなと思うにとどめていますが――もともと好きだったバレーがより好きになって、ワールドカップは男女全試合見て、バレー雑誌を買ってみたり、春高の試合を見たり、初めてプロリーグの試合観戦にも行って。
習い事のテニスは、無事1年半続けられています。
資格も一つ取りました。今年度中に、もう一つチャレンジする予定です。
旅行日記を書いてみたり、資産形成、みたいなのにも興味が出てきました。
ああ、今年のバレットジャーナルは、ノート3冊分になりました。これもお話ししようかなと思いつつ後回しに……とかく、後半は持ち歩くのが重くて。この不要な分厚さに、この一年の迷いが現れている気もします。
大事な縁を、大事でなくなってしまう前に、区切りをつけることもしました。
一方、新しく何かを好きになることは難しかったです。
今まで好きだったものに戻ってみようともしました。友達が好きなものを、自分も好きになろうとしたり。
でも、どうしても、どうしても自分にとっては大事な感情があって。上手く言えないんです。どの感情の名前にも、言葉にもあてはまりません。それを他人にわかってもらうことは難しくて、話そうとして、軽んじられたと感じて傷つくこともありました。もう人には話したくないと思ったことも。
それを、ようやく、そのままでいいんだと思えました。絶対に他人にわかってもらう必要なんてない。形を無理に変えることも、美化することも描写することもできなくても、ただしまっておこうって。そう思えたことを、これから大事にしていくんだって。
自分の生き方を、もっと磨いていきたいと思います。ロールモデルなんていないけれど、楽しんで寄り道しながら、継続を続けながら、自分だけの宝物を大事にしていきたいです。
少しだけ、進めた気がするから。まだ変化も小さくて、これが続くのか、形を変えるのか、途絶えてしまうのかはわかりませんが、できればこの変化と一緒に育って、成長していきたいと思います。
「そうですか」
先生は、小さく息を吐き出した。
「これは受け売りですが」
「はい」
「人は、10年でできることはたくさんあるのに、1年でできることは多く見積りすぎるんだそうです」
「……心に刻んでおきます。先生」
「はい」
「今日も、ありがとうございました」
「いいえ」
「よいお年をお過ごしください」
「はい。よいお年を」
待合室のソファに座る。名前を呼ばれて、窓口へ行く。3割負担の診察料。財布を出そうとして、QRコード決済が可能になったという掲示を見て驚いた。世界は、いつだって少しずつ変わっていく。
紐付きバンジーをしたい、と思う。いや、バンジーは紐がないと成り立たないスポーツではあるけれど。全てを捨てたりしなくたって、生き方は変えられる。
どんな人生にしていきたいかということを、考えていた。いつもよりほんの少しだけ、具体的に。
二者択一じゃなくてもいい。人は簡単には死んだりしない。「やりたいことをやりなさい」と言うのは簡単だけれど、その方法を示してくれる人はいない。自分の理想が、どこかの現実には転がっていないかもしれない。だからって、やれないわけじゃない。
一週間前、池袋の街を歩いた。
胸がいっぱいになって、何度も涙がにじみながら街を歩く時間を、そういった気持ちを失わないようにしたい。それが自分のいちばん望む生き方なのかもしれない。それが無くなってしまうような生き方は、嫌だ。
何かが劇的に変わったり、わかったり、天啓のように降ってくることはなかったけれど、こうして今日もものを書いていたいと思うことが、自分にとっては宝物でした。
先生にそう心の中で付け加えて、診療所の自動ドアをくぐった。
今日の晩御飯のメニューに、味噌汁を足しながら。
※「処方箋を出さない診療所」は、「わたし」と、処方箋を出さない診療所の「先生」のやりとりを記録したフィクションです。自分のことを素直に話すのが恥ずかしい時、あるいは素直に話しすぎたい時、その診療所は開院します。
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