「怪物」について

この文章はネタバレします。

映画「怪物」を言葉にすることは相当に難しいに違いない。
この完璧な映画を、言葉という一断片を切り取る方法で、語ろうとする難しさは、映画を見ればわかる。
簡単な感想を言い合うのも難しいぐらいだ。

だが、少々の勇気を持って語るならば、
私達は憑依し合う存在なのだ、という事がこの映画から分かる。

この映画を見ていると、怪物が憑依していることがわかる。
まずは、靴を片足失う少年(後に両足とも失う)。
もう一つの靴を差し出し、自分も片足になる少年。
自殺しようとする教師の足には靴が片足だけのショットが特徴的に撮られる。
怪物がモノで視覚化されず伝染するような、上手さを感じさせられる。

ここには憎悪の対象として外側にある怪物は描かれない。
もはや浸透されてしまった怪物を誰が担うか、という描き方がされていると思う。

劇中では父親を殺すためにビルに火をつけた彼の怪物性よりも、むしろ徹底して学校を守ろうとする校長の方に恐ろしさを感じる。つまり、怪物を徹底して殺そう、または追い出そうとしている(おそらくこの怪物の出所は校長からなのだ)。

誰も殺す事ができない怪物を、最後はこども達が犠牲になることで、終わりを迎える、と見たほうが私はすんなり納得できる。最後はハッピーエンドのように見えて、今ものうのうと怪物は生きていることを、伝えている。

私は、この映画を見て、「あぁすればうまく行ったのに」とか「こうすれば理解し合えたのに」という想像力が一切及ばなかった。そういう余分な想像力が持てない。

それは私が、この「怪物」を充分理解しているからだろう。
こうなるしかなかった。こうならざるをえなかった。
という感覚が理解できる。

この映画は私達の中に深く問題を提起している。それは現実の怪物を見事にあぶり出しているから。

本当に素晴らしい映画である。

ps この映画における「誰々にとっての怪物」という考え方は、私は止めておいたほうがいいような気がする。ものすごく陳腐になってしまうから。やはり、この映画中の怪物は一つであるのだ。

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