なぜ村上春樹を求めるのか

街とその不確かな壁を読んだ。
70過ぎた小説家の、青春小説を、私は貪るように読んだ。
そのキモさはこの動画を見れば、一気に現実に戻される。
むちゃくちゃこれはこれで面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=zWd5tqkSvEo&t=508s

なぜ私は、未だに村上春樹の小説世界に入りたがるのだろうか。
考察してみる。

1.夢を語ることが自由である。
夢を語る、ということは現実ではなかなかできない。それはとりとめもなく、脈絡を必要としないストーリーを語る欲望を人がなかなか実現できないから。確かに読んでいて夢をみている気分と似ている部分がある。

2.何かを確かめ合う、という会話。
村上春樹のキモさは、その「親密さ」のような気がする。人と深い所で思いを共有しているような演出、確かめ合うように言葉を反復する語調も、キモさを裏返せばそのような会話が日常では行われない、もはや、幻想の域に入っている行動が逆によいのかもしれない。

3.迷宮をたのしむ感覚。
私がドラえもんの映画の中で一番好きなのは「不思議のラビリンス」。その迷宮の中で、右往左往しながら、答えらしいものを探す感覚が楽しいのだろう。

4.運命に引きづられながら「やれやれ」という態度を取りたい。
一番大きい理由はたぶんこれ。「やれやれ」と上から目線でありながら、あきらめも含んだ社会に対する態度をとりたい。どのような過酷な物事が起きようとも上から目線でいられる構図が人にとっては心地がよいのだろう。ただ、街と不確かな〜ではその感じは少ない。


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