「レッテル張り」のススメ
本来ネガティブなイメージしかない「レッテル張り」という言葉だけど、全てありのまま受け止めるのはしんどすぎるので心を守るためにはレッテル張りも必要だよね、という話。
ただし自分の心に留めておいて口にはしないことだけ徹底しよう。
全ての人を理解なんて出来ない
世の中には理解しがたい人たちがいる。
ニーチェの言葉で「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という有名な一説があるが、実際には前段に
という文がある。あまり深く問題を考えすぎると善悪にかかわらずその思想に共鳴してしまうので考えすぎないようにしようという意味である。
大谷翔平さんや藤井聡太さんはその能力の高さ故に凡人である私には全く理解できない。OPSやレーティング等各種指標に落とし込まれ、他の一流選手と比較してようやく「超一流なんだなぁ」と実感するのが関の山だ。
もし深淵を覗いた結果身も心も大谷翔平になれるなら願ったりかなったりだ。ぜひのぞいてみたい。心だけ大谷翔平の怪物が出来上がってしまうとは思うが。
当然、その逆の人間もいる。
「視座が低い」とでも言えばいいのか、特に目標を定めるでもなく、社会性や他人との距離感を全て自分中心で考え、不都合なことは全て環境や他人が悪いといって憚らない人間だ。
こちらは特にニーチェの忠告にしたがい、あまり深く考えない方がいい。むしろ深淵だ!と思ったら逆方向にダッシュで逃げるべきだ。どうせ理解できないので残るのは不快感だけだ。
積極的に理解しない方法
ので、こういった人間に対してはなんとなく合わないなぁと思った時点で「あぁ、こう言う人ね」と積極的にレッテル張りをしてしまった方が精神衛生上いい。
本来レッテル張りは忌避される行為だ。もしあなたが政治家で、常に多数の支持を受けたいなら絶対に行うべきではない。
しかし大多数の一般人にとって、SNSをはじめとした日々のコミュニケーションでいちいち心を消耗するのは良くない。全員に紳士に向き合う事が出来るメンタル化け物魅力的な大人もいるが、それはその人たちが優れているのであって一般人全員に求める必須スキルではないはずだ。
なので自分はこんな風に考えているという具体例として、「ヒーローおじさん、ヒロインおばさん」という定義を提唱したい。なお「ヒーローおばさん、ヒロインおじさん」も存在しうるので、ジェンダー問題に紐づけないでほしい。そういうクソリプが来た場合はまた新しいレッテルを自分の心の中に作るだけだけど。
理解できない人の具体例
事例1:ヒーローおじさん
『ヒーロー』は正当性を笠に着て延々と相手を攻撃し続ける人間に対して使用する。主にモンスタークレーマーが該当する。彼らはこちらの些細な非を無意味に拡張して攻撃してくる。
例えば街中で肩がぶつかったとしよう。大した衝撃ではなかったが、相手は持っていた手提げかばんを落としてしまった。
幸いなことにお互いが転ぶようなこともなかったので軽く会釈して通り過ぎようとしたところ、相手から呼び止められる。「なぜ謝罪しないのか」と。
お互い様だよね、と思いつつ無難にやり過ごすため謝罪をしてしまうと彼らの思うつぼだ。「被害者=自分、加害者=あなた」という構図が出来上がったとたん、急に強い言葉を浴びせてくる。
「会釈で終わらせようとするなんて軽く見られたようで不快だ」
「こちらはかばんを落とした。普通は腰を折って謝罪すべきだ」
「人間としてあり得ない」
などと独自解釈を織り交ぜながら集中砲火を浴びせてくる。
実際は肩がぶつかったことはお互い様だし、貴方は会釈で謝意は示しているのだ。そこから先のカバンを落としたことはこちらの非ではないし、いわんや会釈が謝罪と受け止めなかったのは相手の気持ちだけに依存する。
彼らは巨悪に悠然と立ち向かうヒーローなのである。その巨悪とはなにか、どういう事象かなんてことは考えなくていい。自分を不快にさせた相手は例外なく巨悪なのだ。
事例2:ヒロインおばさん
対して『ヒロイン』は一度被害者だと感じると延々と周りに呪詛をまき散らす人間に使用する。三日三晩誰かによしよしされないと収まらない。
先の肩がぶつかった例に倣うと、実際に事が起こった時には何も言ってこない。が、時間がたつにつれ本人の中で沸々と怒りが湧いてくる。
「肩をぶつけられた。」
「カバンを落とされた!相当の衝撃だったはずだ!」
「あれだけの衝撃だったのだから故意だ!!まともな謝罪もなかった!!」
「ワザとぶつかってきて吹き飛ばされ謝罪もせず逃げ去っていった!!!」
と事実と関係ない妄想を連ね、極まった所で周囲に呪詛をまき散らす。
当然周りは事情を知らないし同情する。
これが他人であれば大したこともないのだが、同じ学校や会社に所属する身内だと話がこじれる。
混ぜるな危険
盛大に尾ひれがついた話がコミュニケーション内に蔓延すると、ヒロインの近くにいるヒーローが「怒ってるから謝った方が良い」と進言してくる。結果やってもいないことに対する謝罪をコニュニティーから強要される。わかりやすい例としてSNSで話題になった動画を貼る。
沈んでいる女性がヒロイン、何故かいる女性の友人がヒーロー。タイトルにもある通りこれはホラーだ。恐怖の根源とは自身の理解が及ばないことから始まる。動画はコンテンツとして極端に表現しているが、多かれ少なかれこういった事が起こりえる。
たいていの場合、彼らの周りには同タイプで固まっている。普通の人はかわいそうな自分を延々と語るかまってちゃんに対して一定の距離をとるので、真摯に慰めてくれるのは気持ちを理解してくれるヒロイン、あるいは偏った情報を鵜呑みして憤るヒーローだけだ。そうして永遠にリアルエコーチャンバーを起こし続ける。
末路
上記2パターンの共通点は客観視が極端に苦手なこととあなたは特別な存在であるという教えを妄信していることだ。端的に言えば大人の中二病なのだ。ヒーロー、ヒロインというのはネガティブな感情を直接相手にぶつけるか否かという分類に過ぎない。
根拠のない特別感なんてものは思春期に多くの人が通る道。人は誰しもヒーロー、ヒロインの両面をもって生まれてくる。ただし20代にもなると通常そういった特別感は薄れ、社会の一員であることを否が応でも自覚する。そうでないなら社会から排斥されてしまうからだ。
結論
最初に書いたように一番いいのは何も気にしないことだ。しかし、我々人間は嘘に心が乱される生き物なのである。
我々は嘘、例えば聖書や死後の世界、貨幣価値など何の根拠もないものを心から信じるようにインプットされている。だからこそ集団で価値観を共有し、国家という大きな単位で団結し、今日の繫栄を謳歌している。
なので、批判や言いがかりについて理解できる言語で見聞きした以上、これをまったく気にしないというのは人間の性として難しいのだ。
であるからこそ、心に留まってしまうのは仕方がないものとして、いち早く捨てる技術を身に着けるべきではないだろうか。消耗してしまう前にさっさとレッテル張りをして、感情を整理しよう。
ただしそれを口にするな。その瞬間に話はこじれる。