見出し画像

幸せの価値観

幸せの価値観は、人それぞれあると思います。

私がパニック障害になる前の幸せは刹那的で、埋めてはスルスル零れ、

埋めるを繰り返し、健康で色んな所へ出掛ける機会に恵まれてたのに、

楽しい反面、どこか疲れたり、罪悪感、不足感、虚無感などもありました。

 ある日、パニック発作を起こし命の危機を感じ、初めての救急車を呼ぶ。

検査では異常なしなのに、常にある息苦しさ不安恐怖で心休まらない日々。

最初はお風呂に入れなかったり、近所への散歩も家から数十メートルまでし

か行けずに急いで帰ったり、今まで当たり前にしてたことが、できなくなっ

たのでした。不安と恐怖にどっぷり漬かった数年間。

そんな暗闇の世界から、徐々に抜けるタイミングがやってきて。

ある日の散歩中にふと、日常の景色が愛おしくてたまらくなった。



今までよく見てなかった目の前の草も、花も、近所の散歩道。

周りの景色が今まで味わったことのない感覚で、心に入ってくる。

長い心の冬に、ぽっと、あたたかい季節が訪れた。

日常の景色を、不安や恐怖のない世界から愛でることのできる幸せ。

景色が新鮮でキラキラと見え、スペシャルな感性へと変わった瞬間。



それはパニック障害からの、思わぬ贈り物でした。

ふり幅効果で、より対極を感じ取りやすいのかもしれない。

それから、生まれ変わった感性・感覚で、日常をじっくりと味わい始める。

自転車で探検したり、自然に触れたり、外でおやつを食べたり。

なんてことのない、平穏で素朴なことで、幸せを感じる。

子どもの頃、特別なことをしなくとも、満ち足りていたように。

執拗に何かを追い求めたり、リア充でなくとも、幸せな感覚。

「幸せは、いつもそばにあったんだ。」

「今までマヒしていただけなんだ…」と、思った。


今まで恵みに囲まれていたことに、気づいたのでした。

そうはいっても人は慣れるもので、あのスペシャルな感覚&感性を維持する

のは難しく、少しずつ薄れたりもする。時々、思い出すように立ち還る。

もうあの苦しい世界はごめんだけど、オセロがひっくり返るような

あのキラキラした感覚は、もう一度味わってみたい。

苦しみ明けの特別な、何もかも新鮮に感じられる幸せメガネの宝物。

状況的には周りから心配されたり気の毒に見られることもあったけど、

内面のよい変化の時期もあって、外側じゃなく心が決めるのだと思った。

”幸せだとされるもの”に合わせようとしてたところがあった。

「その人が心から幸せどうか?」は、見た目にはわからなくて、

外的要因でなく、目には見えない感性の部分が大きいのかもしれない。

時々忘れてしまうけど、目の前のことを味わいたい。

目を輝かせていた、子どもの頃のように。



今日も1日ありがとう🗾

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?