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(自己紹介シリーズ②)ソトナカプロジェクト発起人、東です。

こんにちは!ソトナカプロジェクト発起人の東寛朗と申します。
今回は私の自己紹介を中心に、ソトナカプロジェクトについての思いも書こうと思います!どうかお付き合いいただければと思います。
※記載内容は筆者個人の見解であり、筆者所属組織の見解ではありません。

陽気な音楽少年

真面目な父と常に陽気な母のもとに生まれた私は、母によく似た陽気な子。母が音楽好きだったこともあり、家は日々音楽に溢れていました。

幼少期の陽気な私。

ソトの世界への憧れ

さて、私が暮らしていた地域は、当時、親が公務員や研究者の割合が相当に高いところで、石を投げれば公務員の子に当たるような、今思うとかなりユニークなところでした(今はだいぶ変わったと思います)。
また、当時は電車に乗るにも駅までバスで40分という具合。なんとなく、「外」の世界、「同質でないもの」に憧れを持っていたように思います。

そんな生活をしていたもので、1~2年に1度、母の大阪の実家に帰省したときに立ち寄る「商店街」はもう異世界そのもの。魚屋の店主の威勢のいい声。肉屋のコロッケの油の匂い。喫茶店から漂うコーヒーの香り。シニア御用達っぽい服ばっかり売ってる店。アツアツのたこ焼きを頬張りながら、これや…!これがソトの世界なんやで…!と感銘を受け、大学では絶対に地元を出ようと思ったのでした。

多くの人と協業する楽しさ

大学に進学した私は、好きな音楽を楽しめるサークルを見つけ、仲間と楽器ばかり弾いて日々を過ごしていました。ただ、年次が上がり役職を任されるようになると、徐々に「人をまとめる・動かす」ということをしなければならなくなってきました。

とはいえ、何をしたらよいのかわかりません。「まあ、音楽やりたくて集まってるんだから、良い音楽づくりを追求すればみんなも楽しいはずだし、ついてきてくれるでしょ」程度に軽く捉え、大失敗をします。
立場の違いを理解しつつ人を巻き込み、まとめ上げるという視点を蔑ろにしてしまっていました。当然、サークルへの参加スタンスは人それぞれですから、うまくいくはずもありません。

ここで悪戦苦闘できた経験から、多くの人と協業する面白さに魅了されました。それからというもの、身近なコミュニティに飽き足らず、もっと違う考え方・視点を持つ人と協業ができたらどれほど素晴らしい音楽ができるだろう?という思いで、海外で現地の演奏家とコラボしたりもしました。
私自身、視野がどんどん拡がっていった感覚があった時期です。

仲間と音楽づくりをする私(中央、指揮)。

Unity in Diversity

「異分子」に触れた方が視野が広がる。こんな実感を持っていた私は、日頃からなるべく「異分子」との接点が多い環境に飛び込むようにしていました。ビジネス上でも、多くの業界と関わり、グローバルに仕事ができる環境ならば、異分子との接点がより多く、視点の違いを活かした価値を生み出せるのではないか。そう考え、前職の総合化学メーカーに就職しました。

配属面談で大学でのサークルの経験などを話していたら、人事っぽいと思われたのか、新卒から人事をしていました(誰がそう判断してくれたかはわかりませんが、とても感謝しています)。
途中、サウジアラビア赴任のチャンスを得て、石油精製・石油化学コンビナート運営会社のプロジェクト立上げを人的側面から支援したりもしました。

サウジ勤務時代の私。同僚たち(&ラクダ)。

サウジでは、プロジェクトの円滑な立上げという目的のもと、世界各国から優秀な人材が集まり、日夜議論を交わしました。文化レベルでバックグラウンドの異なる方々と異見をぶつけて議論し、ひとつの会社として建設的な方向に導いていくというのは体力・知力ともにかなりタフ。毎回、会議後は汗びっしょりになりましたが、充実していました。

当時の会社のスローガンみたいなものの一つに「Unity in Diversity」という言葉があります。私がずっと大事にしてきた「立場の違いを超えて協業し、より良いものを創る」ということの大切さを象徴していて、とても好きな言葉です。

公務の世界に

帰国後、今度は厚労省に出向する機会を得ました。出向するまで私は人事部で労働法制への対応などをしていたので、厚労政策の動向は日々チェックしていましたが、「職場」としての厚労省の情報はほぼゼロでした。強いて言えば、なんか相当ブラックらしいぞ、ということくらいです。

実際に勤務してみると、確かに労働時間が長いこともありましたが笑、やはり行政が持つ社会的影響力の大きさは、民間にない魅力だと実感しました。また、職員の皆さん自身、国家を支える公務という仕事に、代えがたい価値を見出して働いていることもよくわかりました。


厚労省勤務時代の私

一方で、組織、あるいは働く職場としてのsustainabilityを高めていく方策を早急に講じるべきではないか、と感じるようにもなりました。惜しまれつつ辞めていく優秀な人材の姿を目にするたび、原因は何なのか、人事のバックグラウンドを活かしてこの状況を何とかできないだろうか、と思ったことが契機となり、会社を退職し公務の門を叩き、今では人事院で勤務しています。


異分子だけど、異分子じゃない

組織には慣性の法則が働くので、初めは違和感を覚えたことも、慣れてしまうと疑問に思わなくなります。そうすると、組織が自らの力で変わるのは困難になります。それ故に、異分子、つまり組織のソトからの目線というのはとても重要で、ナカの人は真摯に耳を傾ける必要があると思っています。他方で、ナカにはナカなりの考え方・背景があり、そこを尊重せずして物事は進まないことも事実です。

でも、ソトもわかるしナカもわかる、異分子だけど異分子じゃない、そんな「ソトナカ人材」の我々なら、この霞が関の現状をよりよくするお手伝いができるのではないか。私がこれまで培った経験を活かすことができるのではないか。
そう考えて、仲間とこのプロジェクトを立ち上げました。

まだまだ立ち上がったばかりのこのプロジェクト。これから誰とどんな協業ができるのか私自身も非常に楽しみです。
趣旨にご賛同いただける皆さま、どうか今後のプロジェクトの活動をご支援いただければ幸いです。


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