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(自己紹介シリーズ③)ソトナカプロジェクト発起人、片岡です。

 はじめまして。ソトナカプロジェクト発起人の片岡修平です。
 コンサルやファンドを経て様々な中央省庁で計10年と少しになります。 
スタートアップ企業/大企業の新規事業の促進政策の企画立案や、ロンドン駐在における英政府・英アカデミア・第三国外交官等との積極的ネットワーキング手法、「ソト」から来てはじめて知った霞が関(政府)の仕事の魅力は非常に多くあります。
 正直、10年前に「ナカ」に入る前は「霞が関って中身がブラックボックスで不明瞭&働き方がブラックそうなところ」というイメージだったのですが、実は、カラフルで魅力的な仕事あり、いい意味で使命感と情に熱く頭の切れる優秀で魅力的な人々がいるなと新鮮に感じたのを今も思い出します。カジュアルに門をたたいて、ぜひ一緒になにかやろう!と伝えたいという想いで、参画しています。

控えめな少年に事件(転校で友達ゼロから再スタート)

 まずは生い立ちから自己紹介させていただきます。
 長男なのですが、幼い頃は控えめな引っ込み思案で、5歳年下の弟ひとりにもイチゴは半分に分けあうなど、気を遣ってすごしていました。読書とカラフルな小物が好き、球技と水泳は苦手、朝が眠くて学校までよく走り長距離は得意になったくらいのよくいる地方の子です。

 しかしながら、小学校4年生の転校で友達ゼロから再スタートとなったことがきっかけで「自らの立ち位置を考え、手挙げするタイプ」となっていきました。転校先が、祖父母の代から同じ地域に住み続ける人が多く「ああ誰々のお子さんがどこそこで…」と親世代の地元意識の高い(同調圧力も強い)地域だったので、自ら動かないと友達を作るのすら大変だとすぐに気が付いたからです。

 例えば、転校して早々の学芸会で、皆が遠慮している主役の王様役に率先して手を挙げました。「早いもの勝ち(First come, first served)で役を演じていけば、軋轢はあってもその過程で、必然的に他の子と喋る機会も増えるだろう。」空気をあえて読まずに手挙げする姿勢はこの頃から身に着いたのかもしれません。

小学生の6年間参加した「ちびっ子マラソン」において瀬古利彦監督との1枚。
(父と同期入社だったらしい。)

  悲しいながら、姿勢だけでは何ともならないことも多々起こります。「地方あるある」かもしれませんが、中学時代に渋谷にて映画のオーディションに臨みました。そこで何とも文化的資本の厚い(都心生まれ都心育ちで、習い事を潤沢に経験して容姿も整った)子たちが沢山いて、その狭い中で更に熾烈な競争があるのを目の当たりにします。地方と都心の差を痛感…。それから、自分の立ち位置をどうしたいのか、他人と同じことをしていてはいけない、今から明らかに勝てないことに時間を遣わない、など勝負する場を考えるようになりました。(とりあえず内申点は大事だし、勉強と陸上部は続けよう、と)

 県立高校では、小中で経験者のいないスポーツ、非球技、かつ楽しそうなものという観点で、体育会漕艇部(ボート部)を選択。

男子舵手付きクォドルプルにおいてCOX(操舵手)をしていました。

 一生の友人に恵まれ、関東大会に二度出場。部員のトレーニング計画や栄養面アドバイスなどを練習外でも趣味的に考え提案してきた流れで、タイム最速プレイヤーではないものの、男女計50人以上いた部の主将を務めさせてもらうご縁もありました。

漕艇部の仲間と関東大会での1コマ。前列中央で腕ムキムキが筆者。
(今はすっかり痩せてしまい…トレーニングがんばります)

 3年の夏で部活を引退し、家計を鑑みると私立大学はいけないなということで国立専願でドキドキする受験。運よく、地元外の国立大学(食品系統)へ奨学金を得て進学。一人暮らしはお金が…あ、寮があった。勉強すれば道が拓けてくる日本という国って結構ありがたいんじゃないかなと当時実感しました。なお、無利子奨学金はいまだに返し続けています(長い・・・)。

海外政府?ベンチャー支援?意外とカラフルな政府の仕事

 大学卒業後は、外資系戦略コンサルティングファームに就職。通信テレコムメディア大手やSier大手の新規事業戦略を考えていくほか、金融大手のM&A支援と買収統合後の営業マーケティング戦略、医療分野のSales Developmentなども経験。利益水準の高低によってコンサルによく頼む強い業界、頼みたくても頼めない業界など色々あるのだなと感じてきます。

 医療分野の投資ファンドの第二創業期における参画と終始一貫した投資経験を経て、1号ファンドの200億円を使い切り2号ファンドの立ち上げに不況ゆえ時間がかかってきたころ、「市場に頼り切らず、社会的意義のあるプロジェクトに投資財源がもっと流れるような、大きな仕組みづくりはないものか」と考えるようになりました。

 当時実施していた若手勉強会においてキャリア官僚の経験者採用が始まるよということを友人から教えられ、筆記試験やら面接やら受けてみた結果、ご縁があって中央省庁へ転じることとなりました。28歳、全く想定していなかったキャリアチェンジです。

 余談になりますが、こうして人生何が起こるかわからない偶然の産物(Serendipity)に出会う場ともなる官民若手勉強会の機会。若いうちから省庁横断で会える話せる機会は大事だとの原体験があり「霞が関ラボ」と名付けて複数幹事・招待制・非公開で細々と5年で33回、続けています。

 2016年からは内閣官房に出向し参事官補佐を経験、残業時間規制や兼業複業の促進など働き方改革実行計画を作る過程での党対応(議員さんへのご説明や会議設定)が主な担当で、霞が関の感覚では地味な役回りとされますが、どうせ説明するなら全力でわかりやすく、説明しながら地域のニーズを汲み取ってみよう、とやる気を出し1日に何件も議員会館を巡る日々。

 ある地域のお話で「自動車運転免許試験場の大手は、1年で春休み2月3月と夏休み7月8月だけは忙しくて月間の残業時間が100時間になってしまう、でもその他の月は暇すぎて掃除、実家の農作業。だから月の残業上限60時間とか単体ルールを全国で、はめられるだけだと大変つらい。」←これって年間で○時間以内などのルールが併用されたらいい感じなのでは。などと政策の細部にわたるヒントに出会えることもあります。現場インタビューを重ねていると意外な示唆を得られる瞬間がくるというのはコンサルやファンドにおける勤務時とも共通する現象でした。

 2017年からは内閣官房の中で部署異動し、スタートアップ企業や大企業新規事業部の新技術実証・新ビジネスモデル実証の促進政策(規制のサンドボックス制度)を主担当として企画立案に携わります。いかにスピーディーに仮説をもって、当該企業や海外政府に聞いてプロジェクト全体への示唆を出していくか、コンサルティングファームでの所作が活きた場面でもありました。

 冒頭で、霞が関の仕事はカラフルと申しましたが、このように本当に多様です。
 数多くのスタートアップ企業へヒアリングし、既存の法令解釈への不安を聴き取り、イノベーション促進政策として規制のサンドボックス制度を打ち出し、当時サンドボックスで実績を上げ始めていた英国、及びアラブ首長国連邦(アブダビ及びドバイにも出張しました。当時は公務出張前例も極めて少なく、民間企業の方からはまずアポ取りが困難だよと教えられた地域)への政府機関へ非公開情報のヒアリングを前提としたアポイント取得、出発前日までに取り付けきれず、続きはついた先の空港でメールチェックかなと、気絶しそうになりながら渡航…。

 ドバイ国際空港に着いたら入国審査で「なんだこの見慣れないパスポートは!」と疑われ、軍服姿の方々に別室に連行されるなど…ドキドキの連続です。(日本の国家公務員は、公用旅券という緑色のパスポートを発行してもらい海外出張を行います。外交官用の茶色いパスポートよりも数は少ないので、見慣れないのも無理はありません。)

アラブ首長国連邦への出張時のワンシーン
(外気温は昼40度前後、冷房のある車移動が必須です)
同じくアラブ首長国連邦にて政府系機関と面会後の1枚。逆光ですが左端が筆者。
(スマホより重いものは持たない意思決定権者と、彼に億円プレイヤーで雇われる英国の実務家)

 さらに、帰国してからもこうして得たTipsの反映、有識者会議への報告と追加議論、制度設計に関連する法案や政令についてご説明のため、関連する霞が関各省庁へのご説明とお願い(このときはじめて警察庁や防衛省にも往訪しました)。首相官邸まで至る長い長い決裁の道のり。はじめてのタスクばかりですが、とにかく、やったことある人を探して、聞いて学んで、最速で回していく。霞が関でわからないことに出会っても、仕事を進める手順として基礎的なところは民間企業の勤務時代とそう変わりません。焦ることはない。わからないことは率直に聞けばよいのです。

 制度が実装されてからの運用面では「政策をぜひ使ってもらうため」、知人友人の伝手、なんでも使い、様々な企業・団体やアクセラレータ・インキュベーション施設等に出向いて営業のように講義と質疑応答を重ねる。本件の企画立案から運用開始までの1年間でまさに1,100枚の名刺を消費し、靴底を減らして歩き回りました。

 その後、運良く、かねてより希望していたロンドン駐在(外交官)となる出向機会を得て3年間、英国政府からの情報収集と関係性構築。英国アカデミア、英国スタートアップ企業やアクセラレータ等とのネットワーキングを通じた課題解決に取り組んできました。着任して最初の1年半で気が付いたら名刺1,500枚を消費。面会ほど肩肘張らないaperitif(食前酒)のようなちょい雑談する時間の大切さを重視。カジュアルに集まれる機会を創り広くお声がけする。イノベーション促進政策や日本の経済・文化など自分から惜しげなく伝え発信する。気が付けば自分も別の機会に呼んでもらえるようになる。情報は発する人の元に集まる。大変貴重な経験でした。

英国駐在時代、ダブリンでFinTechイベントに登壇して日本市場を解説した時の様子

 こうした政府内出向、実は、課長補佐のうちは割と頻繁に機会があります。半沢直樹の世界観のような、子会社等への片道切符な出向とは意味合いが異なり、総合的に政府全体の動きや各省庁の動きを若いうちから学んでいく意義深いものです。なお、海外駐在時は総合商社の赴任と同程度まで給与面も上がっています。コロナ以降は特に、商社含め民間企業の若手中堅駐在数は減少の一途(補充がなく、現地採用に振替えされる傾向)ですが、政府機関は引き続き堅調な海外調査ニーズがあり人員数に変更はありません(…という情勢もあまり霞が関の外には知られていないようなのでお伝えしたい点)。

 イノベーションって結局、何なんだろうか?ある尊敬する内閣府の後輩は、「誰もまだやっていないアイデアを、リスクをとって実行することに他ならないと思いますよ」と言語化してくれました。なるほど。
 他の人がまだやっていないアイデアをやる、これって小学校のときからの行動原理と似ている気がします。
 これだけ複雑性の増す昨今、政策は、自国政府のナカだけのものだけではなくなってきています。海外情勢も踏まえながら、先進的な事業者さんや団体や、ソトの皆さんと一緒に「新たにルールを作っていく」場面が多くなってきています。政府といえどもそんなにカタい物事ばかりではないのです。

ソトナカプロジェクトにこめた想い(そんなに怖くないですよ、ブラックではなくカラフル)

 中央省庁に転職してから少なくとも1000回以上、「なんで転職したんですか?」とあわせて、「ソトから霞が関のナカに入ってすごく困るとか、いじめられるとか、ないですか?」と本当によく質問されます。
 たぶんよく知られていない、わからないものは怖い、となりがちなのだと思います。大丈夫です、まずそんなにひどかったら10年続いていません。働き方もよほど、コンサルの方が激しかったです。

 政府のナカでの働き方に関する不安もよく聞かれますが、私が実践している案として「100%大丈夫そうになるまで何営業日も時間をかけてから上司に報告する」のではなく、プライドはさておいて、「まず60%でも書いて、数時間でクイックに、方向性があっているか、上司に相談する(その際、残タスクをやる場合は所要時間はこれだけかかると見積もり、他タスクとの兼ね合いでどうするかなどをすり合わせる)」など、仕事の進め方を変えてみる工夫が、効くことが多い印象です。

 しかし試している人はまだまだ少ない。「ちゃんと、中身をもっと詰めてから持ってこい」と突き返されることも多いから。
 仮にそうだとしても、下を向かず、「ない知恵を絞って時間を浪費しても不幸なので、ここでぜひお知恵を借りたい」と、賢い上司にがっちり食らいつきましょう。仕事を、自分の知恵を試す場とは捉えず、どう完遂すべきかを優先して動きましょう。

 いついかなるポストに配属されても、自分より賢い上司が必ずいる。これもまた霞が関の素晴らしいところです。これ、お世辞ではなく、本当ですよ。こうして今も、一般的に多忙と言われる部署に居ながら、他律的業務と中長期的業務の担い方を上司に相談・調整させてもらいつつ、長時間残業をせず家庭事情を乗り越え、家庭時間を確保させてもらっています。
 
 このように早めに帰っているからといって人事評価が低かったのではないかとも思われますが、意外とそうでもなく課長補佐級となってから直近8年16期連続で、能力評価(年間)、業績評価(上期、下期)ともに「A評価以上」を得られてきています。これまでお世話になった諸先輩方・同僚の皆さまにはあらためて感謝申し上げます。

 優秀な人材を採りあう人気な民間企業の採用と比較してみると、公募締め切りが早い、入社日が一律で柔軟性に欠ける、面接時の拘束時間が長い、入省するまで自分の年次の扱い、待遇、期待される役割がよくわからない、など不便な面に今更ながら気が付くこともありますが、このソトナカプロジェクトなどを通じて、今後よくできることはよくなるように風を吹かせていきたい思います。
 ブラックという噂だけで目を耳を閉ざすのではなく、実は、政府ならではの仕事には奥深さ、社会貢献、海外を含めたキャリア展開の多様性、多くのカラフルな魅力が詰まっている点を知ってほしいですし、少しでも関心のある方はぜひ来てほしいと強く思っています。

 このnoteをご覧になっているかもしれない、今はまだ霞が関のソトで働いている方々へ。いざ転職まで至らずとも、政策と戦略、パブリックセクターとプライベートセクター、水と油ではなく、コーヒーとミルクのように融和していく世界ですので、よろしければ、我々の発信にしばしお付き合いをいただければ幸いです。

 また、本件に限らず、私は官民若手勉強会の運営、対外講演や意見交換に日々伺っていますので、いつでもカジュアルにお声がけください。貴方のビジネスに役に立つ意外な情報もお届けできます。よろしくお願いします!

※2022年6月事務局追記:片岡さんはおよそ10年間務めた省庁を退職し、現在は民間企業で働いています。


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