曦宗達日記:2019年6月(〜14まで)

注意:この記事は脅迫的な要素、過激な描写や怨恨が所々記述されます。中には気分を害するような表現も含まれておりますゆえ、不安な場合は閲覧を中止することをお願いします。

二〇一九年六月一日

ここまでやってきた自分を褒め称え、感謝してほしい。全人類全ての生き物よ。僕はここへ来るのに足の甲を半分切断された時の感覚が来てなぜかストレスが溜まっていた。動くことも、起き上がれないなら起き上がれるとために運動ストレッチすればいいのにそれすらやれない。だからこそ僕が起き上がってこれたことに大感謝しろ。僕は過去の自分と、両親と、学校とに後悔した。天才になれなかった、天才にさせてくれなかった僕は、理不尽の中で生きてきたものだ。今日も一日の終わりは「クソ。」で締める。なぜなら何度も起き上がっては何度も部屋の鍵をチェックしたり時計設定を確認したりするからだ。クソみたいな状態になると記憶や頭もクソになってしまうことは間違いなく言えるかもしれない。でも僕は決して母のようにバカとは言わない。なぜならバカの定義が曖昧なことを知っているからだ。大げさかもしれないけど哲学、倫理学的にいえばそんなもんだ。結局ねれずにこうやって打ち込むことになった。これはこれですげー辛いけど、楽しめるものかなあと思う。膝が痛い。統合失調病になりそうだ。かといって金山のメンタルクリニックには行けないかもなあ。僕は研究者になるのか。メディアアーティストにはなれないのか。小説家には向かないのか。もっと幼い頃からずっと何かに没頭していればよかった。北川教室も環境はあれだったが楽しかった。なのに母校が・・・。僕はもう母校自体には行きたくない。たとえ個々の先生や後輩先輩同級生がよかったとしても、僕はずれることができなかった。なぜ、まじめに平凡に行こうとしていたのか。あの時の自分が憎いものでもあった。早う寝ようか。こんな時にバイトか。くそったれ。


二〇一九年六月三日

数学とメディアアートを学べる大学や教育がいいなあと思う。最近テクノロジーのコミュニティを学べるラボを見つけた(浜松)。そこは世界的に有名なグループの日本支部の一つとしてカウントされるが、そこは豊橋や金山、名古屋と違うのか。もし僕の求めた世界と合わなかったら、また絶望してしまうのだろうか。国際的に有名ならば、うまく世界のアワードやアルスエレクトロニカと合わせられるのだろうか。名古屋や豊橋のは国際性、メディアアートはできるのか。もともとwikipediaに名前が乗りたくて芸術を始めたが、今はアートの精神を貫きたいと思ってる。(今でもwikipedia掲載を早くから願っているのだが。)緊張とワクワクが混ざっており、複雑でこれまた大変なのだ。今はとにかくメディアアートを学べるチャンスであり、無駄にはしたくない。


二〇一九年六月五日

僕は母校を八〇%の確率で恨んでいる。こんな学校、芸術家なんて、人の個性なんて育つわけがない。やっぱり僕個人としては母校が大嫌いだ。一般的すぎる教育だった当時、僕はその地獄だった。今思えば、なんで僕は善良なる良識者として学校生活を突かれてまで、身を滅ぼしてまで、使えない馬鹿になるにまで、非効率的行為をされてまで学校に行ったのか。あいつらの方が、今思えば充実しているようにも思えた。怒りは呪いに、呪いは死に、死は廃校に。もちろん先生の中で良かった方はいた。それはいいとして、僕は地元の中学校から逃げるために母校へやってきた。しかし、母校も中学時代は問題だらけだった。先生方はみんな手を焼いていた。僕も嫌な気分だった。当時はあまり気にしていなかったが、今思うとあまりにひどかった。それでも教育カリキュラムはまだマシだったし都会だからいろんな世界が見えた。だが、僕の個性は終わった。殺された。アートもできないまま、授業科目や受験科目をやらないと殺すというような脅迫にまみれた感覚だった。なんで学校というものは自発性を学ばせず、ホリエモンや落合陽一、哲学などをやらなかったのだろうか。僕は不登校しておけば良かった。東進なんて行かない方が良かった。僕は競争ができなかった。そんな人間だった。とりあえずそんな生活は消えたし、僕のこどもにはあまり学校行く必要もなければいろんなことにチャレンジしてもらいたいと思う。無人島生活とか・・・。大人の大半は芸術家などを嫌う。だが、それはあんたたちがそういうことに夢中にならなかったからである。それが問題だ。僕のことを冷遇する人もいるかもしれないが、これが僕なのだ。僕はみんなよりレベルが低い。そういう人間だから、今追いつこうと必死になっても無駄に転ぶ。だったら大いに外れるってことも、一つの手ではないのだろうか。
あと、いい名前ネットが怖い。信じたくないのだけど・・・。


二〇一九年六月七日

メディアアートへ微かな希望が見えてきた。やるべきことのパターンも見えてきた。今度こそは失敗したくはない。積極的に浜松の人や他の名古屋の人にも頼んでみたいものである。浜松はメディアアートの制作には向かなかったが、みんなとの会話はとても楽しかった。南山よりも楽しいものだった。(文学研究会と同じか。)これを次のステップへうまく踏みたいのだが・・・。


二〇一九年六月十日

せっかくいい方向へゆきつつあるのにまたサボってしまった。カレーラーメン食っちまったから頭が働かなくなったのかあるいは疲れたのか。こういう時ってもしかして、今やっていることって僕にとって運命の出会いではないのか。ああ、十一時くらいになって作業等を始めるようになったからいいものを、結局計画していたことが水の泡になってしまった。やっぱ授業は疲れる。肩が凝る。計画が思うように進めない。またQ2が始まるが、どうせサボってサボり続けて勉強はしないまま終わってしまうだろう。みんなは、どうやって勉強を捗らせているのだろうか。僕にはできないことをやるのなら、そうしなければいけないのなら、僕は大学を辞めてやる。
メディアアートに集中できず、かつそれとは関係のない学科、授業をさせられるのであれば、もう嫌だ。うんざりだ。やっぱり朝やっとくか


二〇一九年六月十三日

水槽を買ったため、メディアアート制作を一作、本気で作らなければならないが、今は十六日まで待とう。コンテンツはほぼほぼできた。あとはその日が来るまで。そこからどうなるかはわからない。水槽を買ったことが無駄になるのかもしれないし、全てが水の泡になるのかもしれない。でも後悔はしない。ここまで本格的になったのは初めてだし、そのために、いろんな場所へ赴き、様々な世界観を知った。僕はいろんな人から言語感覚に優れていると言われた。必然的に、僕が目指すものの中で向くものとしたら作家か何かだ。得意として作家、プレゼンター、希望がメディアアーティストというちょっとした複雑な気持ちがある。一日一日を充実させるためにいらないものは捨てなければならないこともあるだろう。ここ最近、何か結果を残したいのを作りたいと思うも、なぜか調子が狂い、途中でやめてしまうものである。しかも小説執筆は厄介だ。小説を書くことに、明確なゴールがない。だから、自分でゴールをあらかじめ決めるか長期的な目で捉えるなど、何かしらの打倒案を練っておかないと僕は死ぬ可能性が大きい。しかも最近は、いろんなことがあってか、小説を全然読んでいない。学術書の読書やアート鑑賞の方がやっぱり早く済むのだ。僕がそういう早とちりなのかは知らないが、小説に影響は出ないのか。小説を読まず、評論や論文などを普段から読む小説家はいるのか。哲学小説や思想小説なんてのもありだが、まあ先ずは小説家=〇〇などという固定観念にとらわれずになんでもやってみようではないか。
僕の文学の冒険が始まった。僕の作品は将来、幾つもの短編集をまとめて一作品にまとめようかと思う。文学研究会にも出そうか迷うが、大学教員の方やフォーラムには、僕からのメッセージを教える?いや、謎解きやらクイズやらの感覚で行こうか。キャロルやアンデルセン、ディキンソンなどのASの作家と同じように。最初は10ページほどでいいから作って、徐々に積み重ねていこう。


二〇一九年六月十四日

影響を受けて、それに憧れて、入りたい、やりたいと思ったとしても、それが自分の不得意分野、環境が合わない、不向きと言うこともある。それも運命かもしれない。本当はメディアアートを作りたかった。しかし、僕は作業療法士の先生から言語感覚に優れていると言われ、そして今日、国文学者の先生からものを書く才能を買ってくれた。これを言われて、最初は複雑な部分もあったが、同時に嬉しくって少々感極まっていた。事実僕は、芸術作品制作やものづくりができるなら何でもいいと思っていた。そして昨日、僕はついに出会ってしまった。そのきっかけは、メディアアート制作のためのコンテンツが一通り終わったと思い、もうアイディアが浮かばなかったために暇つぶしで自分の書き途中の小説を進めてみた。僕はASだ。だから、ルイスキャロルやアンデルセンなどのように謎掛け、コラージュ、パスティーシュなどをやってみたところ、メチャクチャ面白かったのだ。これは単なる作家願望のためというより、本当の趣味感覚で、一作短編を二十一時から〇時くらいまで夢中にやっていた。やっぱりこういうのが楽しいのって、下心がなく、単に書くことが好きだから、得意だからやれるようになるんだなって僕は思った。まあでも、高橋源一郎に一回この作品をみてもらえたらと思う。確かにこの作品を売りたい、世間に見てもらいたい、読んでもらえたらといった気持ちはあるが、僕のような作品は、新人賞などには通らず、結果として、多分売れることはないと思う。あまりにも分かりづらく、いろんな作品を引用しているから。それにいろんな謎掛けやクイズが隠されているため、メッセージ性というよりエンタメ性が強いかなと思う。孤高的に言うと坂口安吾だろうなあ。

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