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メメント・モリ

志村けんさんが新型コロナ感染で亡くなり、日本人の新型コロナ感染に対する意識がガラッと変わった。

僕たちは、小学校の頃から志村けんさんのコントを見て育った。

会ったことはなくても、すごく身近な人が死んだような喪失感を感じている。

志村さんが新型コロナに感染したというニュースが流れた時、ほとんどの人は志村けんさんが亡くなるかもしれないとは思わなかったはずだ。

僕はまず悪い冗談だと思い、次に数週間後の記者会見で「だいじょぶだ~」という志村さんを想像した。

でも、そんなのは僕の幻想でしかなかった。

志村さんは70歳のヘビースモーカー。

感染してしまった時点で、亡くなることは十分考えられたはずだ。

新型コロナウイルスのニュースが毎日のようにニュースで流れ、感染者数や死亡者数や感染率などのたくさんの数字が流れている。

でも数字は無機質で、自分や自分の家族が死ぬかもしれないと連想することがすごく難しい。

もし僕の家族に感染者が出たら、きっと僕は平常心ではいられないだろう。

でも身近に感染者や死者が出るまで、たぶん本当の意味で自分事として考えるのはすごく難しい。

死が隠蔽されている

先日、野村克也さんが亡くなった時、息子さんがTwitterに亡骸の写真を投稿して物議を醸した。

日本人に限らず、メディアで死体を見ることにアレルギー反応を起こす人は多い。

ほとんどの視聴者が、死体を見るのに慣れていないからだろう。

現代では死が巧妙に生活から切り離されていて、親族が亡くなりでもしない限り人間の死体を見ることなんてほとんどない。

2011年の東日本大震災では約1万8000人の死者・行方不明者がでた。

でも僕は、震災で亡くなった方の亡骸を一つも見ていない。

あの当時被災地にいた方でない限り、ほとんどの日本人は死体を見ていないはずだ。

そのくらい、死は巧妙な演出で隠されている。

死に驚くことの奇妙さ

天気予報が70%の降水確率と言っていたら、あなたは傘を持って出かけるし、雨が降っても驚かないはずだ。

でも、自分や身近な人の死に直面すると、ほとんどの人は驚く。

よく考えてみれば、これはおかしな話だ。

人間は遅かれ早かれ、全員100%確実に死ぬからだ。

天気予報よりよっぽど正確だ。

回りにいる人を見まわしてみてほしい。

100年後には、ほぼ全員がこの世からいなくなっているはずだ。

凄くあたりまえのことだ。

でも驚く。

驚くのは、自分や周りの人間が死ぬという事実を忘れているからだ。

今日一日分死ぬ

人が死を意識できないもう一つの理由は、人は年をとるまで死なないと漠然と信じているからだろう。

日本人の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳だ。

日本人はこのことを感覚で知っていて、自分も80代まで死なないし、周りの人も80代まで死なないと、何となく思い込んでいる。

死は人生の最後に待っているもの。

80歳くらいになってから起きる問題で、今の自分には関係ないという考え方だ。

あなたがいま40歳だとすると、あなたはあと40年生きられる。

あなたにとって、死は40年後の問題だ。

でも本当にそうだろうか?

あなたは今日車にひかれて死ぬかもしれないし、来月癌で死ぬかもしれない。

考えてみれば、当たり前のことだ。

あなたの人生は、つねに死と隣り合わせだ。

だとすれば、あなたは生まれてから40年分死んだと考えたほうがいい。

あなたが一日の仕事を終えてベッドに入る時、あなたは今日一日分死んだと考えるべきだ。

メメント・モリ

メメント・モリという言葉がある。

ギリシャ語で、「死を忘れるな」という意味の言葉だ。

メメント・モリは、昔からアートや文化の重要なテーマだった。

昔から死は身近な存在で、かつ多くの人の興味を引いてきたからだろう。

死を思いながら生きるというと、何か暗い印象を受ける人も多いかもしれない。

でも実はそうでもない。

自分が明日は生きていないかもしれないからこそ、今この瞬間を大事にできる。

家族が明日生きていないかもしれないからこそ、今日家族との時間を大事にできる。

新型コロナで入院した患者が、家族と会うことなく最後のメッセージや電話で別れを告げるという悲しいニュースがたくさん流れている。

この人たちだって、数日前まではあなたと同じように家族で夕飯を食べていた普通の人たちだ。

僕たちは、新型コロナで亡くなった人たちをみて、自分も家族も友達も死と隣り合わせの人生を生きているということを自覚するべきだろう。

新型コロナの恐怖は、僕らから遠ざかっていた死を、身近なものとして思い出させてくれた。

もしあなたが自粛疲れでイライラしているなら、呪文のように唱えてほしい。

「メメント・モリ」

もしあなたが家族と喧嘩をしたなら、呪文のように唱えてほしい。

「メメント・モリ」

もし仕事がうまくいっていなくて落ち込んでいるなら、呪文のように唱えてほしい。

「メメント・モリ」

死を意識することで、ほとんどの問題は些細なことに思えるはずだ。

そして、今この瞬間が限りなくいとおしく思えるだろう。

「メメント・モリ」


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