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現実エッセイ #3 就寝前

 僕が1日を終えて布団に潜るのはいつも深夜1時半くらい。お風呂から上がったばかりのまだ濡れた髪をタオルで乾かしながら帰りの電車の時点でもう死んでしまっていたiphoneを充電器に繋ぎ、僕はベッドに寝転がった。


※これは僕が就寝前に行った実験的な試み。ベッドに入ってから寝てしまうまで、止まらず実際に喋り続け、それをを文字起こしし、加筆修正したものである。


 今日の制作は面白いほどうまくいったな。やはり曲を書かなきゃという使命感で机に向かう時より、今自分が考えていること、見えている景色をメモ的に残そうとした時の方がサラサラと筆が進むんだよね。それでいうと今日よくあのタイミングで散歩に出たよ、自分。散歩に出かけなかったらあの真っ白な午後2時の月を再確認することもなかったんだよね。それにしても今日の午後2時の月は油断しすぎていたからな。夜光ることが月の本業ではあるけれど、昼も人前に現れる仕事をしているのだから、いつだって気を抜いてはいけないはずじゃん。なのに今日の昼間の月と言ったら。真っ青な空にかき消されてしまうくらい薄くて真っ白で。油断しすぎていた。人間にちやほやされて、かぐや姫を抱えたことで調子に乗った月の"おごり"が見えた散歩だったってこと。しかし、お陰で曲が書けたね。さて、この曲のタイトルはどうしようか。空に浮かぶ月がテーマだし、「うわの空」を使うとか?でも少し狙っている意味とは違うんだよな。ストレートに「油断」でもいいだろうか。じゃああの月のことを何と呼ぶのがいいだろう。昼間の月?白月?いや、でも夜の月も白い時があるか…。白昼月(はくちゅうづき)とか!いいんじゃない?いやあ、口で伝えた時にすぐに漢字が頭の中で連想するのが難しいか…。いや、これは、シンプルに「昼間月の油断」だな。ドクターXの蛭間院長みたいだけど。そういやドクターXはもうやらないのかな。悲しいな。でも僕はコロナ禍のシーズン、2話までしか見ていないじゃんね。そんな人に次のシーズンを楽しみにする権利はないよ。そういえば、ドクターXはどうして秋クールにしかやらないんだろ。同じ類の制約を受けたドラマとして相棒が挙げられるけれど、あれは右京さんにコートを着せるため、らしい。とてもテレビのフィクションらしい、素敵な理由だよな。


少し眠たくなってきた。


この程度の眠気ではまだ思考もしっかりしている。

そういえば今日久しぶりに新宿駅で大江戸線に乗り換えたが、都営新宿線・大江戸線のエスカレーターらへんの工事はいつになったら終わるのだろうか。「大江戸線はもう一つエスカレーターを降りたところです。」って一日中言い続けているあのおじいさんはいつになったら迷宮・新宿から解放されるのだろうか。新宿駅都営新宿線乗り換え周辺は僕の中の『この工事いつ終わんねんランキング』堂々の一位です。まず何の工事をやっているのかすらわからないところがかなり芸術点が高いポイントなのさ。たぶん向ヶ丘遊園・登戸周辺もかなり上位にランクインしてくるだろうね。特に向ヶ丘遊園は、カイロソフトのゲームの初心者がやっているのではないかと思うほど、街づくりが下手くそで愛らしい。ここがかなり加点要素なのさ。


はい、意識が体から離れ始め、口が自動で喋っている感覚に到達しそうです。合宿で深夜先生に隠れて友達と喋っているのに、眠くなってきて途中で意味のわからない、そして当たり障りのない返答をしている時のあの感じです。


ぐらが今日、明日は大学院で大事な発表があると言っていたな。今頃頑張ってプレゼンの準備をしているのかな。その姿の映像やら画像やらが今、頭の中で流れています。どうやら意識が朦朧としてくると論理思考ベースではなく、映像や画像ベースの思考になるらしい。机に向かっているぐらの映像?画像が頭に浮かんできます。カメラがパンして…その背後にはドランクドラゴン塚地武雅がいますよ。今日も幸せそうな顔をしてて。あー、ぐらを応援してくれているんだ。ありがとう。あれ、でも塚地武雅?知り合いじゃないよな。ぐらの後ろにいるわけがない?そうか、この段階にきたんだね。ここからは現実との地続きにつながる無限の大地、超現実なのです。

(超現実編へつづく)

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