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ひとり旅は倉敷から 1日目篇

 先に結論を言ってしまえば元も子も無いのだけれど、今回の旅の満足度はあまり高くない。それは岡山/倉敷が持つ土地的魅力のせいでは一切無く、『準備編』の最終段落に綴ったような「慢心」そのものが原因だ。僕は、"自由気ままなひとり旅"という幻想に囚われすぎていたのかもしれない。
 とにかく、時間に対して無頓着すぎたと思う。
 今夏、日帰り旅行で那須塩原へ行った時には味わうことの出来なかった「街における時間的制約」を、僕はこの旅で目の当たりにするのである。

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 11月10日。午前に前から入ってしまっていたジムを終え、品川から新幹線に3時間半も揺られれば、岡山に到着したのは15時頃になってしまった。道中は、平日にどんどん東京から遠ざかっていく背徳感と期待で目が冴えて、音楽を聴きながら駅弁を頬張っていた。別に平日の旅行は初めてではないけれど、誰からも解放された「わかりやすい自由」が心地よかった。到着後の過ごし方を妄想しているわけでもないのに、だいぶ機嫌がよかった。唯一の心残りは、ジムのトレーニング中から"口になっていた"シウマイ弁当が、品川駅で手に入らなかったことくらい。
 ホテルに荷物を置いて、メインスポットである美観地区に着いたのは16時。最小限の荷物をポーチにまとめて、ホテルから「いざ出発」という時に視界に入った、フロント近くの観光情報マップによれば、行きたかった大原美術館は17時に閉まって、それに合わせるように街のほとんどの店も営業をやめてしまうという。外は夕焼けなのに、旅の雲行きは少し怪しくなる。

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 「ふつうの人」なら、今日はもう諦めて、時間を多くとっている明日に美観地区の観光を回すだろう。しかし、何となく明日に香川県直島への逃避行プランの可能性も残しておきたかった僕は、今入るしかないと思って、閉館まで1時間を切った美術館に強行突入してしまうのである。
 〈東京の美術館では割と早めに見終わってしまうし大丈夫だろう〉〈芸術鑑賞時に時計を気にするのは粋ではないな〉と思って、気持ち少しゆっくり目に見ていたら、全体の8割に達したところで、間も無く閉館する旨のアナウンスが流れ、東洋の陶器などが展示されているスポットは、ただ早歩きせざるを得なかった。なめてた、大原美術館。思ったより見応えがあった。

 こういう時に限って心に残る作品が多く、負け犬の気分を感じていた僕は、せめてもの悪あがきとして、ミュージアムショップでポストカードを大量に購入した。何種類かのセット販売のみに限られていて価格も高く、せっかく発行されたGoToトラベルの地域共通クーポンもここで使用してしまう。
 出口を出た途端に内側の暖簾を下げられて、切なさを感じる。夕食には少し早いなと思い、特技の「あてもなく街中を歩く」をやってみた。この歳になっても自転車に乗れない(乗る機会がなかった、と人に説明している)ために、徒歩は僕のアイデンティであって、関東でもよくやって結構楽しんでいるのだけれど、夕方に、旅先でやるべき事ではなかった。美観地区の夕景はとても綺麗だったけれど、すぐに飽きてしまった。

 18時。ひとまず気を取り直して、ここからの時間帯の目的を「美味い飯を食う」に変更する。美観地区のすぐそばにある『馳走屋 菜乃花』は、外観がとても素晴らしかった。調べれば、築300年の幕末の豪商の米蔵を改装して作られたという。日頃から名店を見つける嗅覚の訓練を受けているわけではないけれど、何か良いものがある気配がして、勇気を出してお店に入る。するとそこには、夢のような空間が広がっていた。そうだよこれこれ、間違いない、アタリだ。席についた途端、まだ何も頼んでいないのにニヤニヤしてしまって、大層おかしな人だっただろう。

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 お客が誰もいない時間帯だったことをいいことに、カウンター席の一番奥に座り、店主を独り占め。常連さんから、きっと怒られる所業だ。
 店主に「初めてのひとり旅で、1泊2日に観光を詰め込みたいんです」と自己紹介をすると、「随分遠くまで来ちゃいましたね」と苦笑されたが、「美味しい物食べるのが旅の醍醐味ですから」と気を利かせて、それから様々なカスタマイズメニューを作ってくれた。岡山千屋牛、黄ニラ、蓮根、刺身、カウンターに並ぶおばんざい、すべてが絶品で、悶絶モノだった。
 "下調べをせずに立ち寄ったお店が最高だった"というシチュエーションも、自分をいい気にしてくれる。店内には"名店印"のサイン色紙がずらっと並んでいる。なんてツイてるんだろう。ノー勉で高得点を取ったテストのような快感に近い。ドーパミンが、一気に放出されていた瞬間だと思う。
 特別に岡山地酒の飲み比べセットも用意してくださり、東京駅や新宿駅の複雑さ等、関東方面の他愛ない話題も提供してくれる"おもてなし"に感動しきっていると、「この後はいろいろと飲み歩くんですか?」と質問された。ふと時計を見ると、まだ19時30分。聞けばどうやら、倉敷はバーの文化が盛んらしい。すでにアルコールは効いていたけれど、先述の美術館での不完全燃焼を帳消しにしたく、案内された近場のバーに入る。

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 「バー リコルド」には、まだ若く、髭の似合うバーテンダーが蝶ネクタイをして待ち構えていた。L字に広がったカウンターからは、棚にびっしりと敷き詰められたボトルたちが目立つ。ウッディで落ち着いた雰囲気に、やや暗めの店内。もちろん、店内には僕ら2人だけだ。自宅近くのバーに一人で通っていた日々は、この最高の夜を味わうためだったのかと錯覚する。
 先ほどと同じように、観光客であることを伝える。どうやら彼は、お喋り好きではないらしい。お酒が回って饒舌になった僕の話に、静かに笑うだけ。唯一、印象深かったのは、彼が駅に隣接するアウトレットパークの話題を出した時。「いいお店が入っているわけでもないし、何が楽しいのかわからない」と強烈に批判していた姿が、ちょっと面白かった。(2日目に僕は不本意ながらもそこに立ち寄ることになるのだが、たしかに、ワクワクする場所ではなかった)彼にどんな悪い思い出があったのだろう。そこをたしかめないまま、一時間くらい過ごしたのち、その場をあとにした。

 少し市内をふらつきながら歩いて、次は観光案内で気になっていた音楽バーに立ち寄った。こんなご時世なのに3軒目とは、全く浮かれた調子である。観光案内の写真で見るよりクローズドそうだった店内を見て躊躇っている僕を、そう多くない常連さんたちは優しく迎え入れてくださり、昔の歌謡曲の話をしながら、店に置いてある楽器でセッションをした。
 突然、近くで買ってきた焼き鳥を、皆で食べようと差し入れしてくださった人もいて、ママは「うちのマスターは採算とかまったく考えてないのよ」と僕に白飯と味噌汁をサービスしてくれた。お客さんの中で僕は圧倒的に若かったので、とにかく可愛がられた。何杯お酒を飲んだだろう。そして上機嫌になって、その日は0時までワイワイやってた。

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