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ことばを支えに、やさしさを頼りに、ポジティブを武器に

 前のエントリを書いた時には、思いもよらない出来事だった。
 5月5日、父が亡くなった。2月に発症したコロナとその後遺症で入院し、快方に向かいつつあったものの、医療体制がやや手薄になったGWに悪化して、そのまま帰らぬ人となった。65歳、若すぎると思う。何より、父本人が一番びっくりしているだろう。LINEの「ひとこと」欄には「150歳まで生きてやる」と書いてあった。2年前に原因不明の病気で倒れるまで、風邪ひとつしてこなかった健康体だったし、その病気自体は車の運転や旅行をこなせるまでに回復していたから、急変したと連絡をもらった時は耳を疑った。

 傷心状態の母にかわって、葬式、家業の引き継ぎ、相続、一人暮らしの解除、などを急ピッチで進める必要があったため、服喪休暇や有給を利用して、2ヶ月近く仕事を休んだ。最初のうちは、もともと思い描いていたような仕事の疲れを癒やす休暇にはなり得なかったけど、多くの友人たちのおかげで最近、精神面もようやく落ち着いてきた。しっかり、仕事復帰できそうだ。月並みな言葉だが、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

 同世代で父を亡くした人は当然少ないわけで、皆どんな言葉をかければ良いか分からないだろうに、僕の今後の憂鬱や愚痴を黙って聞いてくれる人、事細かく経過を聞いて心配してくれた人、あえて父の話題に触れない人、皆、それぞれのスタイルで優しく僕に接していただいた。

 「今は、人生の岐路に立っているんだね」と声をかけてくれた人もいて、意外にそれがすごく救われる言葉だった。親を看取るということは今後多くの人が経験することで、今それを少し先取りしているだけだ、と。

 「今楽しい方向に行きたいんだったら、自分から誘わないとダメだよ」という彼女からの言葉も、僕にとっては"気づき"だった。"悲しい人意識"みたいなものは、本人が取り払わないと無くなっていかない。その言葉を励みに、いろいろな人たちに遊ぶ予定を仕掛けた。6月は、ほぼ毎日家にいても何かしらのタスクが発生して先行きが思いやられけれど、皆が誘いに応えてくれたから、隙間でリフレッシュできた。

 じきに、仕事に復帰する。父が背負っていたものは大きすぎた。たぶんこれからも、タスク"家のこと"が無くなることはない。でも、何も考え事や問題が無くなったら、解決する爽快感も味わえないわけだし、無味なものになって生きがいがなくなるんじゃないか?とも思う。

 仕事と並行でやっていけるかは、やっぱり不安だけれど、行き詰まった時にこの2ヶ月間のことを思い出せば、前を向いて行けるのかもしれない。「いざとなったら誰かがいる」という安心感はすごい。今は辛いことばかりかもしれないけど、いつかはきっと。。。

 とまぁ、えらくポジティブな締め括りになってしまったが、自分にカマかけているつもりなのだ。そう進んでいくしかないのさ。

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