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ひとり旅は倉敷から 2日目篇

 気づけば、年が明けてしまった。『準備篇』を書いた時から嫌な予感はしていたけれど、シリーズモノを書こうとすると、必ず途中でジャマが入って挫折してしまう、というのがブログ時代からの悪い癖だ。ストレス解消策としてnoteを書いているのに、後編が書けないために、新しく記事が更新出来ないストレスが生まれてしまうというのは本末転倒である。乗り越えるためにも、昨年の秋の出来事を、今更ながら思い出していこうと思う。

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 2日目、起きたのは9時頃だった。1泊目のベッドは体に合わず早起きしてしまう自分には珍しく、よく眠った。天気は晴れだった。けれど、午前中はすこぶる体調が悪く、(不謹慎だけれど)とうとう感染してしまったかとも考えた。のちに、ただの二日酔いだったことが分かって安心するのだけれど、これがこの日の僕の動きを、さらに効率悪くする大敵であったのは間違いない。身体を思うように動かすことができず、昨日の楽しかった思い出たちは後悔の念に一変し、午前中はとても長く感じた。

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 チェックアウトの定刻に合わせて、部屋を出る。大浴場には間に合ったけれど、朝食は取りそびれてしまったので、目指すは腹ごしらえの場所。地元の純喫茶でモーニングを、という理想は崩れ、時刻はすでに昼近い。仕方なく駅周辺で済ませようとして、昨夜の音楽バーでもおすすめされた有名チェーン、ぶっかけうどんの「ふるいち」に向かう。うどんが消化に良いかは分からないけれど、店員さんの慣れた手つきで提供された定番のコレは、身体に優しく親しみやすい味で、体力は割と回復した。

 まだ昼間だから"取り戻せる"と信じて、第2候補地にぼんやり設定していた直島までの経路検索を行うと、フェリーでの移動も含めて結構時間を食ってしまいそう、ということが判明する。片道2時間かけた上に、島内の移動はレンタカーが必須だとか。この先なかなか行けないであろう場所で魅力的だったけれど、ひとり旅には向いていない。昨日の反省をもってここは諦め(駅前をひとり右往左往するほど諦めは悪かった)、1日目は夕暮れ時だったためにあまり観光できなかった美観地区方面に再び向かうことにした。

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 程よい人加減で賑わった美観地区、それとは正反対に閑散としていた(けれど、美しかった)倉敷アイビースクエアの周辺をそぞろ歩くと、通りにお洒落な雑貨店が立ち並んでいることがわかった。国産デニム発祥の地である児島が近いためか、ハンドメイド精神が地域に根付いているのだろう。キャップのひとつでも買っていこうかなと思ったけれど、それなりに高い値段にどうも踏ん切りがつかず、いろいろな店を出入りして、雰囲気だけを味わわせていただいた。本当に良質な物を判断できず、つい世間で持て囃されているブランド物ばかりに惹かれてしまう、自らの腐ったセンスを知る。

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 地図も地図アプリも見ていなかったために、美観地区とアイビースクエアが繋がっていたことを知らず、大きく回り道をしてしまっていたら、大量のビクター犬に出会った。おもちゃと貯金箱の博物館らしく、倉敷随一の珍スポットらしい。ガラスの向こうに薄ら見えるおもちゃたちの雑多さに、集合体恐怖症の僕はちょっと嫌な予感がして、店前のこの光景を写真におさめるだけにした。けれど、今となっては立ち寄ってみればよかったなと後悔している。これこそ、「回り道に面白いものがある」じゃないか。

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 目的地を決めずに歩き続けるので、元気は出ても、足だけはしっかりと疲れていく。座る場所を探して辿り着いたのは、有名な「くらしき桃子」のカフェ。ドライフラワーが至る所に装飾された店内、ターゲティングどおりの女性客が数名いたけれど、まるで絵画のように素敵なシャインマスカットのズコットを平日の午後一番に味わう、この優雅なひとときは、ここにいた誰にも負けていなかったと思う。唯一惜しかったのは、食べながら、発売日が2日後に迫っていた「+J」の試着レビュー記事とやらをぼんやり眺めていたこと。風情がなかった。おもむろに、文庫本でも取り出せばよかった。

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 とうとうやる事が無くなってしまったものの、美観地区から抜け出すには億劫だった僕は、江戸時代にかつて物資を積んでいたという「川舟」の体験乗舟に、シングルライダーとしてエントリーした。きっと本来ならば、春夏に若い女性が着物でゆったりと流れる街並みを嗜む、風情のあるイベントなはずなのに、定員8名の内訳は、ショッキングピンクのダウンを着たオヤジが目立つ大家族7名と、僕だ。先頭席に座ったオヤジが内カメラで記念写真を撮ろうとした時、映り込みそうな僕は懸命に目線を外にずらして、風景に浸っている表情を作ってみせた。岡山まで来て、何をやっているのだろう。ただ、この舟の上からの写真は、そんな出来事をよそに、静かで美しい。

 この後、ようやく美観地区を離れて倉敷駅付近に戻り、昨夜のバーの店主がおすすめしなかった三井アウトレットパークに立ち寄るが、あまりにも無駄な時間で、思い出すだけ悲しくなってくるので、割愛する(まったく購買意欲が起きず、ただの徘徊人になっただけである)。

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 そして夕方、倉敷を離れる決意を固めて、岡山駅に繰り出した。東京では乗る機会の無い路面電車に乗って、目指すは岡山城。困った時は歴史的建築物に逃げるというのは、かつて日本史オタクだった僕の常套手段だ。ただ、日没間際のこのエリアに観光客はほとんど見当たらず、天守閣まではもはや心霊スポットのように暗くなっており、特に感動もなかった。その代わり、城堀近くを流れる旭川のカーブと光が綺麗で、何気なく写真を撮った。

 岡山のB級グルメ「ドミカツ丼」を食べた後、これ以上の時間潰しに最早限界を感じたために、予約していた新幹線の時間を少し早めて、それでも残った時間はお土産選びに注力することにした。お土産には、どんな旅でも清算してくれるパワーがある。「土産よければすべて良し」なんてことわざはないけれど、満足いくものが買えた時の興奮は、帰り道まで続いてくれる。

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 岡山限定品の白桃ダージリンと葡萄烏龍は、恋人への良いプレゼントになった。昨夜の居酒屋で飲んだ「奇跡のお酒」の一升瓶は、父に喜んでもらえた。個人用に買った桃太郎ジーンズは、丈夫で使い勝手が良くて重宝している。ジーンズのレシートに隠れながらも存在感のある「個装キビダンゴ」(きびだんごセット)は、職場で意外と好評だった。ここぞとばかりに惜しみなく使ったお金も、喜んでもらえれば無駄ではなかったということになる。余程のものでない限り迷惑がられることのないお土産という存在は、人を喜ばせることが好きな僕の機嫌を良くしてくれる、いいヤツだ。

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 あくまで備忘録という位置づけのために、起伏のない文章をつらつらと並べたに過ぎなかったが、旅行記として読み返すと、意外と充実していた2日間のように見える(もちろん、文章を繋げるために肉付けした箇所も多いけれど)。旅を終えた直後は、やはり1日目に酒に飲まれてしまったことを引きずって悶々としていたが、「時が経てばどんな思い出も美しくなる」とはこの事だと思う。年が明けてからこのひとり旅を振り返るという行為は、僕にとって、意外と正解だったのかもしれない。

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