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ひとことの差

 たったひとことの気遣いが、人としての格を上げ、その人自身をお洒落にしてくれると思う。

 サカナクションの山口一郎さんがやっていたインスタライブに、藤原ヒロシさんが出演していた時の話。彼らは仲良しで、しばしばコラボ機能を使って、敬語が飾りのように聞こえるくらい、気持ちのいい会話を繰り広げている。視聴者として、彼らの相思相愛な師弟関係は憧れのど真ん中だ。

 やがて楽しい会話が終わり、お互いがそろそろ接続を切ろうとした時、藤原さんは別れ際に「今日は楽しかったよー。ありがとう」と、慌ただしく、一郎さんに伝えた。一郎さんは、通信を切り終えてしばらくした後、視聴者に向けて「今の見た?ああやって言える所がさすがだよね」ってその事に触れて感激していた。僕も、本当にそう思った。オシャレだ。
 「じゃあね」と言える人は多いけれど、それよりも長い文で口が多く動く「今日は楽しかったよ」を忘れずに言える人は少ない。ずいぶん年の離れた、いわば"後輩"に対しても、対等に接して礼儀以上のことを当たり前にこなせる。90年代のカルチャーをリアルタイムで経験していない僕にとっては、彼の伝説は体感にはなり得ないけれど、この人がそういうポジションであることが何となく納得できた。やはり、時代をつくるのは人格者なのだ。

 そういえば学生時代、別れ際に必ず「気をつけてね」と言ってくれる友人がいた。電車に乗って、最寄駅についてもさほど歩かずに帰宅できる僕が、事故に遭う確率はきっと低い。それでも、その一言をお守りのようにして帰ると、事故の確率がさらにぐんと低くなったような気がして、どこか救われた心持ちになる。彼にとってはおそらく、何でもない習慣なのだろうけれど(そこがまたカッコいい)、僕はこの言葉を聞くといつも彼を思い出し、彼に追いつけないところはこういう所だなと反省をする。

 僕も、とっさのタイミングで、そういう言葉を発せる人になりたい。気遣いは、経験値だと思う。在宅勤務の束の間に、ふと自分を戒める瞬間がある。このご時世になって試される人格に、気を払って生きなくては。

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