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プフィッツナー⇒フルトヴェングラー⇒ティーレマン? 〜ベートーヴェン交響曲第8番をめぐって

人類の遺産ともいえるL.v.ベートーヴェンの傑作の宝庫の中で私がとりわけ愛してやまないのが交響曲第8番。「のだめ」のテーマとしても有名な7番と《第九》に挟まれており、曲想も古典的かつ小規模なため比較的地味(影が薄い?)な存在に甘んじているようです。しかし、ベートーヴェンは自信作と自負しており、随所に独創的なアイデア、遊び心が詰まっています。本稿では、第1楽章冒頭と異なる時代の3人の指揮者に焦点を当てようと思います。

この作品は、序奏を置かず、主要(第1)主題が祝祭的な雰囲気で華々しく開始します。私が高校生だったとある日、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮する録音を初めて聴いて、のっけから度肝を抜かれました。それがこの箇所。

交響曲第8番ヘ長調 op. 93 第1楽章冒頭のスコア

この独特のタメ!(ルフトパウゼと言うべきか?)それまでカラヤンで馴染んでいた耳には実に新鮮で、強烈なインパクトとともに胸ぐらをグッと掴まれたものです。

最近、古い録音を中心に色々漁っていると、フルトヴェングラー以前に、その箇所を全く同様に演奏した例が存在することを発見しました。それがこちら、ハンス・プフィッツナー指揮による1933年録音⬇

先程のフルトヴェングラーによる録音から20年後、同じくベルリン・フィルが演奏した貴重な音源です。プフィッツナーは1869年生まれのドイツ後期ロマン派を代表する作曲家。無調や実験的傾向に批判的で保守的な作風で知られていました。指揮者としても活躍し、自作をはじめ、モーツァルトやウェーバーの序曲、ベートーヴェン(1, 3, 4, 6, 8番)、シューマン(1, 2, 4番)の交響曲を中心に多数の録音を残しています。かつてフルトヴェングラーはシュトラスブルク歌劇場でプフィッツナーのアシスタントを務めており、演奏会でも彼の作品を積極的に取り上げていました。(1949年にプフィッツナーが没した直後、フルトヴェングラーが歌劇《パレストリーナ》前奏曲を追悼演奏したライブもCDで聴くことができます。)

フルトヴェングラーがプフィッツナーの演奏に日常的に触れ、影響を受けていたと考えるのは自然なことであり、この「タメ」が少なくともフルトヴェングラー独自の発案ではなかったと断言して差し支えないでしょう。
さらに言えば、20世紀初頭当時あるいは録音技術が普及する前の時代において、このような解釈が広く実践されていた可能性も否定はできません。(もっとも、大見得を切るような終止形の強調はロマン派時代しばしば採用された常套句でもあり、例えばバックハウスの弾くJ.S.バッハのイタリア協奏曲は好例です。)それでも、ピリオド的なアプローチが主流になった今時、時代遅れあるいは恣意的な誇張・逸脱と捉えられかねない訳で、こんな古めかしい演奏に出会う機会はなさそうですよね…。

と思ったら!現役世代で果敢にもこれを踏襲したマエストロがおりました。今や世界楽壇の中心的存在といっても過言ではないクリスティアン・ティーレマンその人であります。

彼がフルトヴェングラーに象徴される戦前の演奏スタイルを意識していることは火を見るより明らかでしょう。しかし、私個人としては「往年の巨匠風」ファッションにとどまるとの印象が拭えないのですが…。皆さんは如何お感じになられますでしょうか。


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