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当たり前の清潔


#清潔のマイルール

 私は、もうすぐ4歳になる子と2歳になる子供がいる。
子育てなんて、誰でもやってる。大人として当たり前のことだと思っていた。それは、自分の母親を見ていたからだろう。
 私の母親は、いつものんびりしていた。私が高校生になるまで専業主婦だった。毎日同じものを着て、趣味もなく、自分のことにはお金を使わない人だった。実際、専業主婦で、母がどのくらい我慢して、何が辛かったなんて1ミリも考えたことがなかった。ただ、学校から帰ってくると当たり前に「おかえり」と言ってくれる母に安心感があった。
 でも、そんなことを当たり前にできている母は、私にとって当たり前なことなので、尊敬に値するというほどでもない。何も出来ることがなかったから、専業主婦をやっていたのだろう。(なんなら、専業主婦させてもらってたなんてうらやましい。贅沢な時代!なんて言っていた。)そんな考えは、自分が子育てをするほんの少し前まで持っていた。
 そんな感じで、自分は大学も出たし母とは違う母になると言う考えが根底にあるのか、上の子が生まれて1歳で保育園に預けて9時17時で働いた。ほらほら、仕事も家事も育児も世間と同じように出来ている(ぎりぎり)と思っていたのは、一人目まで。二人目が産まれたら、引っ越したのもあり、少し休んでまた、新しい業種で仕事を再開した。朝は5時半に起き、お弁当と朝の準備をして、朝ごはんと布団など出しっぱなしで、毎日子供を幼稚園・保育園に送りだす。職場では、新しい業務が慣れず、毎日怒られるというのを繰り返した。仕事は15時に終わり、保育園までダッシュで迎えに行く。(電車通勤していた)でも、間に合わず何度も延長料金を支払った。(16時以降のお迎えだと保育料が値上がりする)家に帰ったら、泣く子供を宥めながら、洗濯ものを取り込み、晩御飯の準備をする。いつも、上の子はお腹がぺこぺこで晩御飯が出来るまでにお菓子を食べてしまう(お菓子を与えてしまうのは私だが)。慣れない業務でトイレも行けず、家に帰ってもトイレの行く暇もない。下の子のオムツを替えるのでやっとこさ。(夏は、毎日オムツかぶれ)
 本当に、毎日泣いた。辛かった。可愛い可愛い子どもが出来て幸せなはずなのに通勤電車でなんど死にたいと思ったことだろう(朝の電車で死なれたら、他人が大迷惑)。そして、体に限界ということより先に精神的に限界がきて、退職した。仕事が出来なかったというのが、自尊心の低下につながり、子育てさえも出来ないという意識につながった。(職場では、40代のママ経験者が多く。「私も経験した」と言われるのが、「私は、家事・育児もして、仕事も出来てたよ。」と言われているようで辛かった。実際、私が無能すぎて、そう言われていたんだと思う。)
 私は、仕事がしたかったのではなく、子育てが出来ないから仕事に逃げていたんじゃないか。とも思った。退職した今、家事育児に集中して、まさに母がやっていた専業主婦なのだが、全くできている気がしない。毎日、子供に振り回されて、教育やしつけなんて、なんのその。ただ、ただ、毎日をぎりぎり生きているだけ。
 専業主婦は、仕事と同じ。出来る人と出来ない人がいるぐらい、当たり前の簡単なことではない。簡単に出来ているように見えた母は、主婦業がまさに、天職・適職と言えるんじゃないか。本人に行ったら「全然うれしくない」と言うに違いないが、何一つ出来ない今の私にとっては、それって本当に凄いことだと思える。
 そんな主婦業の大先輩。偉大なる母から授かった、大切にしている言葉がある。
「子供は、ごはん(ちゃんとしてなくてもいい、米と汁だけもいい)をあげて、お風呂に入れて、清潔な服を着せたら、育つ。」
教育なんて、考えなくていい。衣食住を普通にしたら、ちゃんと育つ。この言葉に救われている。
 子供に振り回されるたびに、自分は母として、零点だと思う。この子たちの将来、大丈夫だろうかと正解が分からない日々。とりあえず、毎日必死でごはんを炊いて、味噌汁を作り、お風呂を沸かし、洗濯をした服を着せる。これで大丈夫と自分に言い聞かせて。
 当たり前の清潔な寝具や、服は、母の精いっぱいだ。必死で、私もこの当たり前を守るしかない。私は、世間のワーキングママのようには出来ない。SNSで披露する育児を楽しむママにもなれない。でも、大事な子供がいるんだから、今日も熱心にただ、ごはんを炊いて、みそ汁を作り、家族の清潔を維持する日々に奮闘している。


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