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神の聖なる日-2 礼拝の日と人類の歴史の始まり

それはいつ、どこで、どのように始まりましたか?

「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)。偉大な神様は、地球を創造され、地上を美の衣で覆い、陸地や海のすべての生き物を創造し、人間にとって有用なすべてのもので満たされました。そして、創造の六日目の最後に、神様は人間を創造され、創造のわざを終えられました。神様は、ご自身のみ手によって成し遂げられたみ業をご覧になって、満足されました。「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である」(創世記1:31)
すべては完全であり、聖なる創造主にふさわしい世界でした。そして神様は、ご自身の栄光、その知恵と、善と美、愛をあらわす記念日として、創造の業を終えられた第七日目に休まれました。「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」(創世記2:1~3)

ユダヤ人のためばかりでなく全人類のための安息日

第七日目に、創造の業を終わって休まれた神様は、人間のためにその日を安息日として聖別されました。「家はすべて、だれかによって造られるものであるが、すべてのものを造られたかたは、神である」(ヘブル書3:4)。すべての家に竣工の日があり、すべての製品には製造の日付がつけられるように、地球にも創造が完成された日付があります。その日が安息日なのです。
神様は六日目の最後に、アダムとエバを創造され、間もなく彼らを結婚させられました。そして、彼らの安息の場所である家庭を作られました。それから、第六日目が終わり、次の第七日を安息の時間として聖別され、彼らを聖なる時間の中に招待されました。それゆえ、創造の後に迎えた最初の安息日は、アダムとエバの結婚生活の始まりであり、同時に、人類の歴史が始まった日でもあります。

神様が、エデンの園で第七日を祝福して聖別して下さったゆえに、安息日は、神様の創造の記念日として存在しています。安息日は、すべての人間の父であり、代表者であるアダムに委託されました。そして安息日の遵守は、この世界に住むあらゆる人にとって、神様が彼らの創造主であり、彼らの正当な主権者であること、従って、造られた者は、造って下さった方の権威に、感謝をもって服従する以外にないことを認める行為になるはずでした。
安息日の制度は、全面的に神様の創造を覚え記念するためのものですから、全人類は安息日を迎えるたびに、自然に創造主なる神様を思うようになっていました。したがって十戒の安息日は、しばらくあってやがて消えて行く影のようなものではありませんし、ユダヤ民族というような、ある特定の人たちにのみに適用されるものでもありません。ユダヤの十二の部族がこの地に形成されるずっと昔、すなわち、この地球の歴史が始まるときすでに、安息日は制定されていたのです。

神の聖なる日―3
イエス様が守られた礼拝日イエス様はどの日を守っておられたのか?

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように(according to his custom, 自分の習慣の通り)会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」(ルカによる福音書4:16)

 キリストが捧げられた礼拝は、安息日に教会へ出席されることでした。もし、彼の大工の仕事場に私たちが行ってみることができたら、間違いなく、土曜日は、“安息日のためお休み”と書かれた立札が見られることでしょう。ある人たちは、「イエス様はユダヤ人だから安息日を守ったのだ」と言うかもしれません。しかし、安息日は、ユダヤ人たちが地球上に存在するずっと前の、エデンの園でアダムとエバの子孫のために制定されたものです。聖書は「七日目はあなたの神、主の安息である」と語り(出エジプト記20:10)、また安息日は、ユダヤ人のためのものではなく「安息日は人のためにあるもの」と言っています(マルコによる福音書2:27)。

 イエス様は、創造の記念としての安息日を、どのように守るべきかを見せてくださいました。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」(ヨハネによる福音書13:15)と語られました。そして、彼は弟子たちに「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネによる福音書14:15)と教えられました。生と死のどのような状況の中でもイエス様は安息日を守られました(ルカによる福音書23:50~56参照)。
イエス様は、七日目が始まる金曜日の夕方息を引き取られ、安息に入られてから週の初めの日の明け方に復活されました。「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた」(マタイによる福音書28:1)。「さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った」(マルコによる福音書16:1,2)

廃棄されたのではなく回復された安息日

 ユダヤ人たちが神様から離れ、信仰によってイエス・キリストの義を自分のものとして受け入れなくなったとき、安息日は彼らにとって無意味な形式になりました。そしてユダヤの指導者たちは、その形式を維持するために、神様の安息日にいろいろな重荷を付け加えていったのです。イエス様の時代に、安息日の意味はすっかりゆがめられていました。そのために、パリサイ人たちが守り教えていた安息日は、天のお父様の愛のご性質ではなく、むしろ彼らの利己的でかたくなな性質を反映していました。ラビたちは事実上、神様は人々が従うことのできない律法を与えられたのだと言い表していたのです。彼らは安息日を耐え難い重荷としていました。このような誤った観念をなくす働きは、キリストの重要な使命の一つでした。

 ある安息日、キリストと弟子たちが実った麦畑を通られました。その時、弟子たちは穂を摘み集めて手でもみ、中の実を食べ始めました。別の日であったならば、この行為は何も批判されるようなことではありませんでしたが、安息日にこのようなことをするのは、パリサイ人のおきてによると、大きな犯罪でした。
また、べテスダの池でイエス様が病人を癒されたことで、パリサイ人たちから、安息日を犯したと非難された時、イエス様はご自分が天の父と一つになって働いていたのだと宣言し、ご自身を弁護されました。イエス様は自分を非難する人たちに向かって、昔、神様に仕えていた者たちが安息日に行った行為の実例を、旧約聖書を引用して、彼らの記憶を呼び覚まされました。キリストの答えの中には、無知なパリサイ人たちへの譴責がこめられていました。イエス様は「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えていたとき、ダビデのしたことについて、読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほかだれも食べてはならぬ供えのパンを取って食べ、また供の者たちにも与えたではないか」と言われました(ルカによる福音書6:3,4)。「また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる」(マタイによる福音書12:5,6)。「人の子は、安息日にもまた主なのである」(マルコによる福音書2:27,28)

 イエス様はご自分を安息日の主人、すなわち、あらゆる問題とすべての律法の上におられる方であることを自ら宣言されました。人間の造った宮に仕える祭司でさえ、安息日に宮の仕事をすることが罪にならないのだとすれば、宮の主人であるイエス様の働きをしている弟子たちが穂を摘んで食べ、空腹を満たすことは罪ではないと言われました。イエス様は弟子たちが犯したとされた、まさにその律法によって、彼らの無罪を宣言なさったのでした。
イエス様は、ご自分の敵たちに答えるだけでこの問題を終わらせられませんでした。イエス様は彼らの目がくもっているために、安息日の真の目的を誤解していると言われたのです。「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう」(マタイによる福音書12:7)と語られました。安息日に病人をいやし、飢えた者を満たすことは、神様に栄光を帰する最高の安息日遵守でした。イエス様は、ご自分の弟子たちやパリサイ人たちに、天のお父様を敬うとはどのようなことであるかを教えておられました。神様の目的は、人を救うことでしたから、安息日に善を行うことは律法と一致するものでした。安息日をキリストの創造と回復の記念として受け入れる人にとって、安息日は感謝の応答の日となることでしょう。

 安息日にイエス様は、手の不自由な人をいやすことによって(マタイによる福音書12:9~14)、ユダヤ人の安息日の守り方が間違っている事を教えられました。そして、第四の戒めを、神様が与えて下さった本来の姿に回復されました。イエス様は「安息日に良いことをするのは、正しいことである」と宣言されました。イエス様はユダヤ人たちが堅苦しくしていたおきての本当の目的を教えて、安息日を尊いものとされました。反面、イエス様に対して不満のことばを吐いていた者たちは、イエス様を殺そうと相談して神の聖日を汚していました。

 キリストは、律法そのものを廃されたのだと主張する人がいます。その人たちは、イエス様が自ら安息日の戒めを破ることによって、安息日を廃されただけでなく、弟子たちが安息日を破ることを正当化されたのだと教えます。しかし、そのように考えることは、実質的には、キリストに不平を言ったユダヤ人たちと変わらない立場を取ることになります。なぜなら彼らは、そう言うことによって「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネによる福音書15:10)と言われたキリストの証言と矛盾する立場をとることになってしまうからです。キリスト自身であれ、その弟子たちの誰であれ、その生涯において、聖なる律法の精神に違反することを行っていたとは考えられません。「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイによる福音書5:17,18)

 マタイによる福音書24章を見ると、イエス様が十字架で亡くなられ復活され、天に昇られた後も、安息日が遵守されている事実を、預言の目で見通しておられたことがわかります。A.D70年に起きるエルサレムの滅亡に対して警告しながら、「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ」(マタイによる福音書24:20)と言われました。この言葉はイエス・キリストの昇天後、約40年が過ぎた時に起こる出来事に対する預言的メッセージです。これは、イエス様が安息日の変更や廃棄に関して、何の意図も持っておられなかったこと、むしろどのような状況にあっても安息日を守り続けることを期待しておられたということを明白にしているのです。

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