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神の聖なる日―1 忘れられた歴史のひと幕① 宗教改革の不徹底

宗教改革の不徹底

16世紀の宗教改革が、トレント公会議(1548~1563)によって、カトリック教会側から断罪されたのは、プロテスタント側に存在していた、明らかな矛盾のゆえでした。本来、宗教改革者たちが、カトリック教会を批判した内容は、カトリックの教えが、聖書のみ言葉から離れ背教しているということでした。「書き記されたみ言葉」「聖書、ひたすら聖書のみ」、「書かれた神のみ言葉の通りに」などは、彼らのスローガンであって、「書き記された聖書のみ言葉を信仰と行為の唯一の基準とするように」というのが、宗教改革、プロテスタントの信仰運動が宣言した綱領でした。これに対して、カトリック教会の立場は「聖書に従うときは、教父たちの一致した意見に従って、教会が下した解釈に準じてのみ」でなければならないというものでした。これが、トレント公会議における主な論点であり、公会議の主な目的は、改革者たちによってヨーロッパ社会へ提起された、この特別な問題を討論することでありました。そのために、宗教問題に対する討議事項の中で、この問題は最初の案件として登場したのです。

この問題に対する討論は数カ月間続きました。長時間に渡って神経を使いながら、精神力を消耗したあげく、公会議は膠着状態に陥りました。そしてついに、ロヒオーの大司教が公会議へ入り、「聖書のみ」を主張する派に対する反対として、次のような弁論を提示しました。

“プロテスタント教徒たちは、記録されたみ言葉のみに頼ると主張する。彼らは、聖書のみを信仰の基準だと告白する。彼らは、教会がみ言葉から離れ、伝統に従ったゆえに背教したとして、彼らの反逆を正当化している。ところが、プロテスタント教徒が、聖書のみに従うとの主張は全く事実と違っているのである。聖書のみを信仰の基準として受け入れるとの彼らの告白は全くの虚偽である”

証拠:記録されたみ言葉は、明快に第七日を安息日として守ることを命じている。しかし彼らは、第七日を守らず否定している。もし彼らが、聖書を基準として敬うというのであれば、彼らは、聖書が一貫性をもって命じている第七日の安息日を守るべきである。しかし彼らは、記録されているみ言葉が命じる安息日の遵守を拒否するだけでなく、教会の伝統であるという以外、何の根拠もない日曜日を採択してその日を守っている。従って、「聖書のみを基準とする」との主張は不当なものであり、「聖書と伝統」を同時に敬う教理は必然であって、そのことはプロテスタント教徒たち自身の判断基準によっても容易に確立されうるのである。

これを論駁できる道はありませんでした。すでに、1530年、プロテスタントたちの信条である「アウグスブルグ信仰告白」において、「主の日の遵守」は、ただ、“教会”が定めたことによると認めていたからです。

参考:「聖書は安息日を廃止した。なぜなら、聖書は福音が啓示されてからモーセの祭式はことごとく省かれると教えるから。しかも、人々が一緒に集うべき時を知り得るように一定の日を制定することが必要であったから、教会(使徒たち)がこの目的のために主の日を制定したと思われる」(『アウグスブルグ信仰告白』第28条より抜粋)。

このカトリック側の弁証は霊感によるものとして、大々的な歓迎を受けました。これによって“ひたすら聖書”派に対して、公会議は、その信仰を罪に定め、宗教改革は完全にカトリック教会の制度と権威に敵対する一種の不法反抗の運動と規定されてしまったのです。
またこれを受けて、1546年4月8日に、二つの勅令が宣布されました。
その第一は、聖書と伝統を共に受け入れ尊重することと、第二経典(聖書外典)も聖書として是認することです。二番目は、ウルガタ(Vulgate)訳聖書を、唯一のラテン語標準訳聖書として規定し、これを、原語の聖書の権威を凌駕する権威を持つものとし、さらに、「教会が昔から支持し今も採っているその意味に反して自己流の意味に聖書を曲げて解釈すること」(トレント公会議教令より)や、「教父たちの一致した見解に反して敢えて聖書を解釈してはならない」(同)としたのでした。

このように、プロテスタント側のとった、自らの信仰告白に対する背反した不徹底な態度によって、カトリック教会は、プロテスタントの思想と宗教改革運動全般を、単なる教会の権威に対抗する、利己的な野望による反乱として、罪に定めることができたのです。これはカトリック教会側が、久しい間、心を痛め、気をもみながら探していた問題に対する最高の言い訳でした。この紛争を解決して終わらせるために寄与した決定的な要因は、まさしく、プロテスタント側が聖書の命じる第七日の安息日を無視して、カトリック教会が命じた日曜日を遵守するとした矛盾にありました。
この両者の見解の相違は今日まで引き継がれています。現代においても、この問題は、カトリック側がプロテスタント教会を批判する重要な論点となっています。こうした点を笠に着て、カトリック側は、プロテスタント教会全般を、「弁護不能、自家撞着、自滅的」との言葉をもって告発し、罪に定めています。

とするならば、今、プロテスタント教会はどのような立場をとるべきなのでしょうか。聖書と明らかな良心に従って、今こそ、聖書の正しい安息日、第7日目を神の創造の記念日として、救いの条件としてではなく、救われたことの感謝の応答として、十戒の他の戒めと同様に、クリスチャンが、今も守り行うべき道徳規範として受け入れるべきであります。
カトリックは日曜日を守り、カトリックを非聖書的とするすべてのプロテスタントは、土曜安息日を遵守すべきであります。この点において、妥協は決してあり得ません。

*参考として1519年6月、宗教改革M・ルターと、カトリック教会から派遣された代表エックとの論争の中で言及された、エックの発言の一部をここに紹介します。

ルターとエックの証言

エック:教会(カトリック)は、聖書と関係なくそれ自身の権威によって、安息日の遵守を日曜日へと変更した。この事実は、聖書より教会の権威が優越するものであることを実証する以外のなにものでもないのである。
ルター:いいや、そうではない。
エック:聖書の教訓は「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから」というものである。しかし、教会は、自分の権威によって安息日を聖書と関係なく第一日として変更した。キリストは山上の説教の中で、彼の弟子たちに、「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」と語られた。・・・安息日の遵守は、神によって度々命令されてきた。そして、福音書だけではなくパウロの手紙の中にも、安息日は廃されたと宣布されてはいないのである。そうであるにもかかわらず、教会(カトリック)は、聖書とは関係なく、自分たちの権威で使徒たちを通して主の日を設定(変更)したのである。Johann Eck, Enchiridion Locorum Communium・・・Adversus Lutheranos (Voenice:Iosn,&Fratres de Sadio,1533),fols,4v, 5v, 18v, 42v, Latin Trans.


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