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sosoの素(18)

心と体と頭こと 3

回復力があり、治癒力が高い20代までは何も考えなくてよかった。そして30代に入り、それまであった健康な身体という貯金を切り崩しながら無頓着に使った結果僕は右手首に痛みとして身体の不都合がやってきた。
身体が痛んで、それを動かしたくても動かなくって、それで気持ちも落ち込んでいって、テキパキ働きたくとも働けず仕事は溜まるし痛みは無くならないし、もう本当になんなんだろうと嘆きたくなる気持ちを抑えつつも限界を迎えつつあった。
その頃に次々と身体のことを真剣に考えてる人たちと会えてたくさんの話ができた。これは僕の手首が痛くなったからこそで、そうでなければ僕は今でも身体のことを考えていなかったと思う。

まず言われたのは痛いというのは身体から出てるサインだということ。身体が炎症を起こしていたり、硬くなって不要な負荷が掛かったりしていて動かすにはあまりよくない状態であると痛みとなってサインを出している。
治療の一環として脈を取ってもらいながら畳に大の字に寝転んで力を抜けるだけ抜いて身体のどこがどんな感じか自分で感じてみてと言われたことがあった。寝転んで脱力すればいいんでしょっと思いながら寝転んでもなぜか力が全然抜けない。頭で考えても身体全体が硬直しててだらんと出来ない。力を抜こうにもその抜き方がわからない。まずそのことにびっくりした。それでもそのまま続けていきながら少しだけ足を中心にストレッチしてくれ若干力が抜けるようになり、足がちょっとだけ暖かくなった気がした。その後に徐々に身体の中心も暖かくなってきたけど、最後まで肩から先が自分のものではないような血の通わない感じにしかならなかった。

その次に野口整体の方と一緒に体操をした。立って手足をぶらぶらしてみてと言われ、やってみるとぶらぶらさせることができないのです。錆びて動きが悪くなった金属みたいにある方向には動くけど、それ以外は動かない。音が鳴るならギシギシ。そんな僕をよそに子供たちも遊び半分でぶらぶらさせた。柔らかすぎて逆に壊れちゃうんじゃないかと思うぐらい動く子供は僕に取ってはもう羨望の眼差しで圧倒されてしまった。そのあともみかんを右手で持って身体の前で左手に渡してその左手を背中の方に持って行って背中で右手に渡す動きもやったら全然うまく動かない。みかんの受け渡しがうまくできず落球ならぬ落みかんをしてしまう。この時僕は自分の身体は休んでなんとかなったり、治療方法が見つからないといった類ではなく本当に使い物にならなくなってると自覚した。

手首が痛くなるまで僕はデスクワークでもないし、運動も好きだからどちらかというと健康な動ける身体と思っていたし、動けていると思っていた。それが数年の間に使い物にならなくなったと思ってしまうくらいになってしまったのです。いつまでも若いつもりが気がついたら年を取って、、、なんて具合に。
そして回復力のボーナスタイムが終わり、それまで健康の貯蓄もなくなった身体にしたのは紛れもなく僕で、回復力のあった頃の感覚だけで身体を使い捨ててきた結果でした。その結果が僕の場合右手首の激痛で、数年かけて悪くなった身体は一度や二度の治療では良くならなくて当然だとやっと気がついたのでした。

自分の身体なのに自分で感じようともせず、使いっぱなしで放置して、きっとゴミ屋敷のような状態になってしまっていたはず。きっとそれまでも身体はサインをだしていただろうし、後になって考えると思い当たる節はたくさんあった。だけども健康だろうと思い込み、何も感じようとしない頭は僕の身体のサインをことごとく無視を続け、日常生活すら困難になるくらいの激痛にすることで僕はやっと身体のサインに気がつけた。そしていろんな治療を試みながら自分の身体を労わり自分で自分の身体をメンテナンスすることで何年掛かってもいいから整えていくことを決めたのです。

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