SOSOの素(10)
未完成
お店を始めた頃のことをよく思い出す。
自分のお店を始めることも初めてだし、それまでにカフェで働いたことも家具屋や雑貨屋で働いたこともなく完全に素人だった。最初はカフェもしてたので営業許可と衛生管理責任者の資格を取って、古道具も扱ってるから古物商も取って見切り発車で始めたんだよな。若くて体力もあったし、自分たちの場所を作れる喜びもあってとにかく頑張った。
必死で頑張ってた割に売上はなくて大変だった時期も長かったなーて懐かしむけど戻りたくはないなーと思い出す。
たまにお店を始めようと思って、なんて話してくれるお客さんがいる。僕の経験なんて偏って歪だから参考にしてもらえることも少ないけど、ひとつだけ強く思うのは始めから完璧になんてしなくていいということ。
さっきも書いたけど、僕はノウハウも技術もないし、お金もびっくりするくらいなかった状態から手探りで始めたから完璧にしようがなかった。もしもノウハウや技術、お金があったら完璧を目指していたかもしれないけど、それに縛られて自分の置き場を見失ってしまう人もいるから全てなかったのは本当によかったと思う。
お家の改装は二回に分けてしてもらった。一回目は構造体を直して、内装と外壁は僕が仕上げたいので途中やりにしてもらい僕がじっくり仕上げていった。その時にはお風呂とトイレはまだ建物内になく離れの叔母と共同のところを使わせてもらっていた。その一年後にお風呂とトイレを増設してもらったんだけど、住みながら自分で仕上げながら次の改装を待ってる間にどんな改装をしてもらうかをじっくり考えた。その時間は今思い返すととても贅沢な時間だった。
今の世の中、何でも完璧でどれも綺麗ですごいなーと思うけど、しっかりとパッケージングされたもの以外不良品のように思ってしまってるところがある。商品として売られているものは綺麗で当たり前なのかもしれないけど、僕らの生活はそんなわかりやすいものではない。綺麗な仕上がりばかりもいいけど、ちょっとした失敗が許されない緊張感みたいなものがあるような状態はあんまり歓迎できないなーと思うのです。
僕はSOSOを僕らの生活空間でもありお店でもあり実験場でもあると思っていて、それは仕上げを自分でしたいと大工さんにお願いしてから今でもこれからも続いていく。始めは長さを揃えて切ることもできなかったけど、今ではぴったりと場所に合わせて加工することもできるようになった。僕は他の人に比べると器用なのかもしれないけど、隣でずっと見ていたユキちゃんはその成長ぶりを感心して喜んでくれる。そのくらいコツコツと鍛錬しているのです。始めから完璧で技術的にも優れていたらこんな成長を喜べたりはしなかったんだろうと思うと未熟もまた美しい。
SOSOを始める前に有名なお店とかを勉強のために色々見て回った。僕が素敵だなーと思ったところはどこも自分たちでコツコツと作り上げてきたことが想像できたお店ばかりだった。それを感じた時に根拠のない自身が湧いてきて早く自分の空間を作りたい!なんて武者震いもしていた。
始めから完璧にしない。不出来を愛しながらみんなに公開して楽しんでもらう。そうすると不思議とそれを面白がってくれる人がいて楽しんでくれるし、不出来を愛すと少しでもできるようになると自分が仕事できる人になったかのような気になって気分がいい。そうやって少しずつ成長してきた軌跡が僕の作るものであったり、SOSOと言う空間なのかもしれない。
ノウハウや技術、お金でしか得れないものもたくさんあるけど、ノウハウや技術やお金では得れないものもたくさんあって、それが僕の好きなものなのかもしれない。
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