見出し画像

sosoの素(2)

整える

整理整頓が昔から苦手だ。
苦手と言ってもできる限り頑張って片付けたりする。
もともと僕の作業場はとても狭かった。4畳くらいのスペースで作業台と機械を置いて僕一人がなんとか動けるくらい。一つの作業をしては片付けて次の作業に移るしかなく、とても効率が悪かった。それでもそこしかなかったから僕なりの工夫をして機械を出し入れしやすくしたり、なんとか整頓してスペースを確保していた。その甲斐あって少しだけだけど片付けれるようになったきた。そして今は一人では持て余すくらいの広い工房で仕事をしている。もしも初めからこの広いスペースで仕事をしていたら今よりもっと乱雑にものを置いて片付けが苦手だという理由をつけて無駄なスペースをたくさん作っていたはずだと思うんです。

我が家には中庭がある。聞くところによると僕の祖父が作庭に凝っていろんな石を持ってきたり木を植えたりしたらしい。僕らが越してきたころは草も生え、木々は庭の広さの割に大きく育ち過ぎ、剪定もされずに放置されていた。草はゆきちゃんがこまめに手を入れてくれたおかげで苔がむすまでになったけど、剪定は少し訳があってずっとできずにいた。
そうこうしているうちに7年ほど月日が経ち、その間に仲良くなった庭師さんに念願の選定をしてもらうと見違えるほど気持ちの良い庭になった。次の日、朝起きて二階から何気なく見えた庭を見た時になんとも言えない気持ち良さが僕の中を通り抜けた。あの荒れ果てた我が家の庭がこんなに綺麗な表情をみせるんだと。
引っ越してきてから7年あまり、荒れに荒れた庭木を毎日当たり前のようにみていた。実際は見ていたのではなく認識しないようにしていたような気がする。こんなもんだよねって。綺麗になった庭を見た時にそれまで知らず知らずのうちに毎日スッキリしない風景を見て気づけないほどの小さなストレスを積み重ねてながらスッキリしない気持ちとなり、もやもやとしていたのだ。
大人になりそれなりに忙しくなるといろんなことを見て見ぬ振りをしてします。そうしなければやってられないのかもしれない。でもその積み重ねが自分の心の影を作り晴れ晴れとしにくい状況を作っているのかもしれない。
そのことに気づいてから積極的に掃除や片付けをするようになった。

工房の前には広いスペースがある。そこでは子供達が虫を捕ったり走ったり楽しく過ごすけど、放置するとあっという間に雑草まみれになってしまう。なので夏場は僕は2-3週間に1度の頻度で草刈りをする。草刈りをした後の空き地は本当に気持ちがいい。見栄えも刈られた草の匂いも。逆に天気や時間の都合でなかなか草刈りができず伸び始めるとモヤモヤしてくる。だけどいざ草を刈ってしまえば本当に気持ちのいい風景になり、それを見ながら仕事の合間の休憩でお茶を飲むのが僕の楽しみになった。

もしかしたら工房の前も草が生えないようにコンクリートにしたり、庭木も全て抜いてしまえば荒れ果てた風景を見ることがないかもしれない。片付けも目につかない場所に蓋をするかのように全て入れてしまえば済むことかもしれない。だけど少しずつ自然と寄り添いながら手入れをした風景や生活感や使用感がありながら整っている姿はとても清々しく美しい。
そんな風景を地道にやっていけば自分でも作ることができるのも素晴らしいことだとも思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?