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sosoの素(31)

僕とコーヒー

カッコつけや流行で形や道具から入ると途中で飽きることも多い。
コーヒーもそれに近いところをずっと低空飛行してる時間も長かった。
コーヒーを飲むことよりも淹れることがもしかしたら楽しかったのかもしれなくて、味の違いよりはどれでどのように淹れたか、決まった手順で使えたかが重要だったんだと思う。
そしてコーヒー豆は焙煎が深い(エスプレッソ用)か普通(ドリップ用)かくらいのこだわりであとは値段。豆によって味の違いがあるのもわかっていたけどそれよりもとにかく気軽に飲みたいから安価なものを買っていた。当時はまだ通販もそんなに一般的じゃなかったから輸入食品のお店の大入りのものを買って、冷凍保存してちまちま使っていた。それでもたま〜に街に出かけた時にコーヒー豆を主で販売しているお店でスイーツを買うような気分で買って、安価なもの以上にちまちま使っていた。
やっぱり味を追求するってよりはコーヒー器具を使ってコーヒーを淹れることがきっと楽しかった。

情報もだいぶ入ってきて、それぞれの器具も使えてひと段落してくるとやっぱり味もとなって来る。
そんなころと仕事を辞めて自営業をしていこうとしていた時が重なっていて、自営業をしていくと言うとまだ響きはいいけど結局のところ無職になっただけなので無収入になりお金に余裕がなくなっていく現実と、ちゃんとしたコーヒー豆屋さんで豆を買うといい値段するけどやっぱり美味しいなーと思っていたのと、安価なコーヒーでとっても美味しくない、これなら飲まない方がいいと思えるくらいのものと出会ったこともあって自分で焙煎することはできないのかな?と考え出すようになった。

調べると素焼きの壷みたいなものやゴマ炒りのように網状のものを直火で炙って焙煎するものはあった。だけどどちらも少量しか焙煎できなさそうなのと20分くらいはそれらを持って揺らし続けないといけなくて疲れそうなこと、焙煎するとコーヒー豆の薄皮が剥がれてカスとして散らかるから台所でやったとしたら嫌がられそうだと思い、違う方法はないものかとネットなどで調べていった。
調べていっても他の情報はほとんど見つけられず、焙煎の奥深さや難しさ、ちゃんとした機械の良さを謳うものばかり。今思えばコーヒー文化として考えた時に豆の種類や焙煎度合いまではこだわることはあっても自分で焙煎することまですそのおが広がってなかったんだと思う。こりゃネットも役に立たないなーと思い、じゃあコーヒーが栽培されてる赤道付近の地域だったらどんな風にコーヒー豆を楽しんでたのかな?と想像した。
きっと昔から楽しまれてるはずだから立派な機械はまず無い。じゃあ小さな手持ちの壷みたいなものや網で焙煎する?んー、暑い国の人はそんなちまちましたことしなさそう。そんなことを考えたり調べたりしているとフとお茶入り鍋というお茶っぱを焙じるための素焼きのような鍋のことが頭に浮かんだ。あ、そんな感じで鍋みたいなものに生豆を入れて焙煎するのはどうかな?と思い、たまたま使われず眠っていた一人用の土鍋で焙煎をスタートさせた。

何の手がかりも手本もない中で、自分だけの想像で始まった焙煎。
最初は100gから。
冷たい土鍋に火をかけ、菜箸で煎ってしていく。土鍋が温まり少しずつ香りが出てきた。薄っすらと色も茶色がかっていき、豆が膨らんでくる。そうすると徐々に煙が上がってきて色も深くなり始めるとパチパチと音が鳴り出す。おお、これが1ハゼか!と感心と興奮をしながらまだまだ煎っていく。薄皮のゴミも土鍋の中でそこまで散らからず台所もそこまで汚してない。偉いぞ土鍋焙煎。そんなことを思いながら進んでいく焙煎に注視しているとだいぶ市販のコーヒー豆と同じような色になってきたと思っていたらパチパチとまた音がなる。おおお!これが2ハゼか。下調べで2ハゼがなると確実に焙煎された状態になるのを知っていたので、きっとこれは焙煎できてる!はず。
鍋つかみもで土鍋を掴み、ザルの上にコーヒー豆を移しドライヤーで風を送って冷ます。
初めてのコーヒ焙煎ができた瞬間。なにか偉大なことを成し遂げたような気分で焦る気持ちを抑え、豆の状態が安定するまで少し待ってハンドドリップしてみる。
おおおお!コーヒーだ!それも美味しいんじゃない?え?自画自賛しすぎ?いやいやでも美味しい。コーヒーの焙煎ができた!!嬉しい瞬間だった。

こうして僕のコーヒー焙煎がスタートしたのです。

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