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sosoの素(15)

ちょっとのことを

年に一度、sosoの中庭の剪定を仲良くしてくれてる庭師さんにお願いしている。
sosoの中庭は僕の祖父が数奇屋造りの趣を出すために石組みをして一生懸命作り上げたらしい。その祖父は早くに亡くなり、その後の庭はたいして管理さず数年に一度切ってもらうことはあったみたいだけど付け焼き刃みたいなものでまたすぐにうっそうとした思い空気になってた。
僕らがここに越してきてから地道な草むしりや落ち葉掃除はしていたものの剪定まではやっていなかった。なんでもやりたがりの僕は何度かチャレンジしようかな?とも思っていたけど、木は生き物っていう気持ちが強く下手なことをして枯してしまったらどうしようと思い、手をつけずに放置しながらいつか剪定を信用できる人にお願いをしたいと思うようになった。
そしていい縁があり、少し生活に余裕が出てきて、暮らし始めて6年ほど経ってやっと念願の剪定をお願いすることができたのです。

僕のイメージでは大きくなりすぎた庭木をがっつり切ってサイズダウンするのかな?と思っていたけど、丁寧に木の個性を捉えて活かしながら数年かけてよくなるように考えて二日間剪定してくれた。
次の日の朝、二階の寝室から覗いた中庭はしっかりと朝日が入りキラキラと輝いて、あんなにうっそうとしてどんより重くどうしようもなかった庭が生まれ変わったようで風に揺られる葉っぱも気持ちよさそうに見え、心底感動した。
それから毎年同じ時期に剪定に来てもらい、前年に時間切れで切れなかった木を切ってもらったり整えてもらったり、切る量が減るにつれ木がよりよくなるように剪定の仕方を吟味してくれたり庭の持つ魅力をどんどん見つけてくれる。そして処分する剪定された枝は年々減ってきた。

僕らの知らないsosoの中庭の魅力を引き出してくれる庭師さんの仕事がとても好きで、手を入れてくれるたびにこの中庭のこともますます好きになる。僕はこの中庭の剪定を自分へのご褒美のような気持ちで毎年本当に楽しみにしているんです。

素人ではわからないこと、できないことはたくさんあって、それを簡単にささっとやれちゃうプロはすごい。だから仕事になる。どんなプロもそこに至るまでにたくさんの失敗や苦悩があってこそのプロだし、やり続けてる以上いつまでも勉強をつづけなければいけないからプロだって大変。せっかく頼むならその人の実力が存分に発揮できるような頼み方をしたい。

剪定以外の日々の掃除や草むしりをユキちゃんはこまめにやってくれてる。お客さんが来られるからってのも大きい気はするけど、綺麗だとやっぱり気持ちいいってのが大変でもやってくれる理由みたい。剪定のことは年に一度お願いできてるから木のことはお任せして無知でもできる地味なことをやってくれている。
もしも中庭の掃除や草むしりを放置していたとしてもきっと庭師さんはそこまでもやってくれてると思う。だけどそれは逆に剪定に使う時間が大幅に減って誰でもできるはずの掃除や草むしりの代行をしているにすぎない。もちろんお金をお支払いするからそれでもいいのかもしれないけど、せっかく知識や経験の豊富なプロがいるのに草むしりと落ち葉掃除をしてもらっては本来発揮すべき実力を発揮できないのは本末転倒でもったいない。それってプロの無駄遣いなんじゃないかな、とも思うんです。

僕たちはついつい自分のできないことばかりに目がいくけど、やれることは自分の持ってる時間を全て使っても有り余るほどある。それは特別難しいことじゃなく誰にでもできそうな簡単なこと。そんなことをしていくと気がつかないうちにプロでは作ることのできない状態にすることだってできる。例えば毎日使うたびに水拭きされたテーブルの天板なんてなんとも言えない輝きや傷、色の深みなどはどんなに綺麗にかんな掛けや塗装では出すことのできない美しさがある。
ちょっと困ると業者さんやプロにお任せしようって風潮も多いしそんな心の隙間に上手にセールスする世の中だけど、その前に自分でできることってないかな?て考えるだけでもしてみたらいいと思う。きっとそんな考えを持つことから自分だけの魅力が積み重なるきっかけの一つだから。

お金をかければ簡単に解決できることも、少し大変だけどちょっとの行動で充実感がやってくる。
誰にでもできることは誰にでもできないこと。
できることをやってみよう。

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