sosoの素(25)
心と身体と頭のこと 10
心が開くと閉じるを自分のことで考えてみるとまた違った見え方をする。
僕は大半の時間を一人で工房にて制作する時間として使ってて、人と関わる必要があまりない。オーダーなどで関わるときの多くは僕を頼って来てくださるので好意的な心の持ちの方ばかりだし本当に良い方ばかりなので嬉しい。仕入れなども気持ちのいい業者さんを選んでいて、自分で苦手だなーと思う人とは距離を自分の都合で置くことができるから毎日穏やかなもの。
だけど稀に威圧的だったり悪意を持った人とすれ違う程度だけど関わりを持たないといけないことがあると心苦しくなるし数日その気持ちに引きずられる。そんな時は心を閉じるというより閉ざして嵐が過ぎ去ってくれるのを待つよな心境で過ごす。
もしも日々そんな人と関わり続けないといけないことになったらと思うとゾッとするし、自分が壊れないようにするだけで必死になる。きっと僕の心の奥底に眠ってそうな悪意なんかもそのせいでむくむくと育って誰かにそのエネルギーをぶつけてしまうこともあるかもしれない。そんな自分に変わるかもしれないのも僕の感じる怖さの一つなのかもしれない。
逆に楽しくて心が開くことももちろんある。
根本的にお調子者でもあるから楽しくなって心が開いてくるともっともっと楽しくなりたい!って気持ちが膨らんで溢れ出してどうにもこうにも自分ではコントロールできなくなることも若かれし頃はあった。最近ではそんな気持ちとも付き合い方がわかってきたのでほどほどに嗜むように楽しむように心がけていて、なんだか酔っ払うと近いのかな?なんて考えたりもする。酒は飲んでも飲まれるなって感じで。といいながらお酒はのめないんですけどね。
楽しさがどんどん溢れて止まらない時は心が開ききっている状態で心の扉が開閉式だったとしたら「楽しい」て感情が洪水のようにやって来て心の扉が開ききって閉じようにも「楽しい」の勢いが強すぎて扉自体が壊れてしまって自分でもどうすることもできなくなくて「楽しい」が収まるまで待つしかない。
楽しいの洪水。
この時不思議と頭は冷静でなんか変だよ?て思ってるけど心の楽しいの勢いのすごさに押されて頭で物事を考えられなくなってもいる。
頭だけで考えることもよくないけど、心の暴走もこれまたよくない。
感動的な映画をみて心揺さぶられたり、大好きなアーティストのライブに心ここにあらずになったり、一人で立てないくらいの悲しみがやって来たり、自分の心をコントロールするだけでなくそういったどうにもコントロールできない出来事は生きる上で、人としてとても大切なこと。そんな時は思いっきり自分の心赴くままその感情に寄り添って心豊かになればいい。そんな時間も僕らを作ってくれる。
日々の生活の中では心を開く、閉じるって自分でコントロールできる範囲での開閉が一番健全なんじゃないだろうか。子供たちを見ていると楽しい時は目一杯楽しいし、さっきまで仲良く遊んでたのに二度と遊ばない!ってくらい険悪にもなって心の浮き沈みが激しい。子供にとっては感情の許容範囲を広めたり種類や深さを作る大切なことなんだろうから大いに謳歌してくれたらいいけど、大人は人として成熟していくには自分の感情のみに振り回されては深さも幅も種類も減っていくばかり。
自分の感情を認識しながら状況に応じて心の扉を開閉して行くことで、感情の赴くままに生きることでは出会えない自分と出会えていく。
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