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「オーストラリアと日本を繋いだ一枚のアート」

靴磨き世界一周アジア編82日目

ブリスベンで路上靴磨きをしていた時に出会った
ルシーはオーストラリアの先住民「アボリジニ」の
子孫だった。


彼女は11年前に一人息子を病気で亡くし、
大切なものを全て失ったルシーは「もう死んでもいい」
と思いホームレスになった。


しかし通りすがりの人がお金や食料を恵んでくれて、
何年も生き延びてきた。


彼女は「まだ使命があるのではないか」と思い、
先祖から教わった「アボリジニアート」を書いて路上
で売買することにした。


売上の全ては病院に行きたくても行けない
子ども達に寄付をしている。


自分の息子がお金さえあれば、助かったかも
しれないという思いがあるから。


この投稿を2週間前にFacebookで書いた。


そしたら神奈川に住むちーちゃんがその投稿
にコメントしてきた。


「その絵を買うことができたら是非買わせていただきたいです。」


どうしたものか。


ルシーの絵はそんなに安くもないし、本当に購入
する気があるのかも確認しないといけないし、
購入したら神奈川まで国際郵便で送らないといけない。


正直に言うと、めんどくさい手続きが多かった。


ちーちゃんとはご縁あってFacebookで繋がっていたが、
まだ一度もお会いしたことがなかった。


最初は適当に促そうかなぁと思った。


「ブリスベンに行けば買えますよ〜」てね。


でも待てよ。


わざわざコメントしてくるなんて、本当に本当に
買いたいと思ってるのかもしれない。


私はDMでちーちゃんに連絡をした。


「本当に興味がありましたら、まだブリスベンに
いるので購入しますよ、、、〔以下省略〕」


するとちーちゃんから
「買わしてください」と返信がきた。


その返信には続きがあった。


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以下、ちーちゃんから添付されたブログを要約


【お爺ちゃんより年をとった孫】

私には3人の年子の男の子がおり、真ん中の鷹晴〔タカハル〕が8ヶ月だった頃に事故に遭い、臓器提供をしました。


私の不注意ですか、寝返りが出来る時期だったのもあり、鷹晴がベビーカーから転がってしまい、30センチほど下へ転がってしまいました。


救急車が来た時にはうなり声をあげ、白目をむいてしまうといった状態で私は怖くてどうすることもできない状態でした。


病院に運ばれてからオペ室に運ばれ、2時間、3時間と経つ間ただ怖くて嫌な想像ばかりしてました。


それから看護婦さんに「乳幼児集中治療室」に連れて行かれた。

次の瞬間、我が子が、我が子じゃない姿で・・・確かにそこには寝てはいるが見たこともないような痛々しい姿で横たわっていたのです。


「頭を打って、頭の外側ではなく、内側に出血ががあり、脳に怪我をしてしまったのです。」と医師は分かりやすく説明してくれました。

脳細胞は一度死ぬと蘇らず、どんどん体の機能が使えなくなってしまいます。

3日目には脳が半分死んでしまい、自分で呼吸することもできず、目を開けることもできず、おしっこをする力もない


大人で言えば「脳死」の状態だが、日本では15歳未満の子どもは脳死が認められない。
つまり、回復の可能性は無くなってしまったのです。


母を恨んでもかまわない。母を呪ってもかまわない。母を嫌ってもかまわない。できることならなんでもするから神様助けて!!!
・・・でも、私の願いは届きませんでした。

その後、臓器提供という道もあることを知った。

私の脳を使えるなら使ってください。

でも、脳は移植できないのです。

しかし、この子の体は綺麗で、全て新品。

生きるチャンスのある人達を救えるのは、この子しかいないんだ・・・この子が助かるにも道はそれしかないんだ。

息子の臓器を提供しようという考えが浮かんだ。


主人、両親、一人でも反対する者がいれば臓器提供はやめようと思っていました。

「素晴らしいことじゃないか、鷹晴の人生はこれで終わりじゃない。これから始まるんだ」と涙とともに応えてくれました。


息子は1歳の誕生日を迎える前に臓器提供者になりました。


50代のドナーの方がすぐに見つかり、当時の私の父より年上の方で、腎臓は心肺停止になってからその方に提供することになりました。


7日目にはその方はおしっこが出たよと報告があり、あんなに小さい臓器が他の人の中で機能を果たし、元気ですよと言われて本当に良かった。
今も生きてるんだなぁと思いました。


心臓の弁は2つ提供しました。

1つは当時7ヶ月の心臓の弱い女の子。その子も回復が進み、1ヶ月ほどで退院されたそうです。

もう1つは消防士をされてる方で、手術前はデスクワークしかできなかったけど、今は現場復帰されて人を助ける仕事をする人にウチの息子はなったんだなぁと思いました。


鷹晴は自分のお爺ちゃんよりも年上になったり、急に女の子になったり、人を助けるお仕事についたりしながら、今も生きています。

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私はちーちゃんの想いを知り、ルシーから絵を購入して神奈川に送ることにした。


めんどくさいなぁと一瞬でも思ってしまったのを呪いたい。


むしろこんなお役目をいただいて本当に嬉しい。


ルシーにちーちゃんのことをお話すると、
いつもはほとんど笑わないルシーもお母さん
のような優しい表情で話を聞いていた。


「未来の子ども達がこのお金で助かることを願ってるよ」
と言って、ルシーは絵を手渡してきた。


ルシーの書いた絵はアボリジニの伝統で「ドリームタイム」という。


「過去も未来もなくて、今この瞬間こそが奇跡」
という意味だそうだ。


私もうまくいかないことや、落ち込むこともあるけど
そう思えることが今を生きられてる人の特典だよなぁ
ってルシーやちーちゃん、鷹晴くんの話を聞いて思った。


そのルシーの絵がようやくちーちゃんの家に届いた。


内心ドキドキしてたのよ。


無事にオーストラリアから神奈川まで荷物届くのかなぁと。


「世界中の子ども達の幸せを願って飾らせてもらうよ」
と言って、鷹晴くんの写真の横にルシーの絵が飾られていた。


鷹晴くんの名前の由来。
あなたは大空を飛ぶ鷹。
もしも悲しんでる人を見つけたら、あなたはそこに降り立ち、その人の心を晴らしてあげられるような人間になってください。
もしも苦しんでる人を空から見つけたら、あなたはそこに降り立ち、涙という雨を笑顔という晴れた青空にかえてあげられるような人間になってください。
あなたがいるだけで、きっとみんなの心が晴れるような人間になってください。

〜お父さん、お母さんより〜


マニラ隔離生活3日目、
雨だった私の心も晴れた青空になっています。

ブリスベンで出会ったルシー
神奈川のちーちゃんに届く
鷹晴くんはいつも見守ってくれている。

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