掌編まとめ

忘れちゃったよ生まれる前のことは

という言葉がわたしの信条である。つねに、この思いを抱いて生きている。というのも、わたしは生まれてこのかた、変な考えに取り憑かれているようだからだ。まわりの者に尋ねてみてもそのような考えの持ち主はわたしくらいのものらしい。勿体ぶってるわけではない。周りに笑われたばかりなので、ちょっと告白するのが恥ずかしいのだ。うぅん。つまり、わたしは今現在マグカップとして存在しているが、わたしという自我が器に宿るその前は、わたしたち食器棚の持ち主、あのヒトとして生きていたような気がするのだ。
ああ、笑うんだろう? やっぱり。そんなわけがない。分かっている。皆、わたしの考えをはなから妄想だと決め付けている。ナイフとフォークには特にしつこくからかわれた。あんたさ、その水を溜めるしか能のない器でよく考えなよ。第一どうして自我が器を乗り換えたりなどできるものか? それに、気がするってだけで記憶があるわけでもないんだろう? ……とこのような具合に。
だがわたしたち食器棚の住民皆すべてが、そうだとはだれも考えないのだろうか。わたしたちの持ち主はもう長いこと、食器棚に近づきもしない。部屋の壁にもたれかかって、べたりと座り込んで過ごしているばかりだ。たまに水を飲みにくる。水道の蛇口は、持ち主の手に触れられてバルブを捻ってもらえるため、わたしたちにふふんと自慢げな顔をする。それがわたしたち食器棚の勘に触る。
そういう時、わたしは、悔しさに奮い立つ。マグカップとしての使命を果たしたい、なんとしても割れて砕けるまでこの生きざまを駆け抜けたいという熱意に駆られる。そうして、わたしという存在は、やはり今現在この瞬間こそが確かな真実で、それ以外は現状にとって取るに足りない考えごとだったな、と思い直すことができる。

勇ましき流星群
単車型の時走車に跨って、自身をぴかぴか発光させたり明滅させたりして、長い“尾”をたなびかせることを粋であるとして、かれらは疾る。かれらは〈みえ〉の執着に類する表象から生まれた幻想構造体。いかに滑らかに走れるかと、そんな自らの駆動が他の存在にどのように認識されるかを気にすら。決して何事にも恐れない、とかれらの背中には書いてある。だが、泰然自若の〈この世の摂理〉に言わせれば、かれらは猛烈に勇ましく逃避しているのだ、という。

駅前のエゴイストA
他人に唾を吐いてはいけないという簡単なことも分からない馬鹿や見たくないものから一生目を逸らし続けるやつらばかりだ! と喚いた。遠巻きに誰かが何か言っているように思ったが、お構いなしに大声で歌い続けた。
誰かに伝えたいわけではなかった。その身に収まらない長大なナイフが、腹を胸を喉を裂いて口から飛び出してくる。脳天まで背中まで足の裏までずたずたになっている。
少し離れた距離から何人かの視線を感じる。視線の強度も温度もそれぞれ異なる。

駅前のエゴイストB
……そんな気分であろうことが推測された。だけど、痛みの真実がわかるのは当人だけだから、わたしはそれが悲しくてやりきれなくて泣いた。
改札を出てすぐ、聴き慣れない楽器の音の鳴るほうへ引き寄せられ、たまたま立ち止まってストリートライブを眺めていた。コインではなく唾を、裏返した帽子のなかに吐き捨ててゆく者が居り、しまったと思った。見たくないものを見てしまった。普段ならば程なくわたしは立ち去っただろう。
他者の心が解らないことを断絶という。その断絶は谷のような気がした。冷たい風が吹くのだ。無尽の虚無が湧いて出る。駅前の味気ない正方形のタイル地の路面に穴が開いている。タイルの枚数にしてたった三、四枚分の距離を、歩いてゆけば目の前には着こうが、心は星の外だ。
いとでんわしませんか?
口の中でだけ呟いた言葉は届かない。


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