『掌編冊子 灯菓』まとめ

 1.チョコレート __ アンドロイド

 青年の姿をしたアンドロイドは、スーツのポケットに一口大のチョコレートをいくつか忍ばせている。固形物の摂取が構造上不可能であるため、彼にとって、チョコレートは口中で溶かしてエネルギーを得ることができる有用な食品である。たいてい、アンドロイドは〈研究所〉内をうろつきまわるか、中庭で日光浴をしている。
 おもむろにポケットのチョコレートを取り出し、包み紙をゆっくりと開く。粒をつまみ、舌にのせる。独り善がりなミルクチョコレートの甘みがゆっくりと広がる。
 チョコレートを噛むことは絶対にない。アンドロイドの生体パーツの歯は人間とよく似た粒の並びをしていて、虫歯のように傷みやすいからだ……と彼は頑なに信じている。実際の彼は、自身をアンドロイドだと思いこんでいる人間の青年である。〈研究所〉は、彼が住む屋敷を幻覚でつくりかえた擬物だ。
 虚構の世界で生きる彼がまたひとつチョコレートを頬張った。


 2.ポップコーン __ テーマパークキャスト

 映画館である。スクリーンと、赤で統一された観客席。チーズのように溶けた時計盤を乗せた奇妙なシルクハットを被った装飾過剰な男が、バケツサイズのポップコーンを持ってやってきた。全身に縦縞模様のペインティングをした、男と同じくらい華美な女がすでに座っていて、彼はその隣に座る。貸し切りのようだ。
「キャストをしていてよかったと思える瞬間だよ」
「この夜ばかりは、私達が楽しませてもらう側ね」
 時空自律駆動体、テーマパーク〈ひとり遊園地〉。それは超巨大な生きた遊園地である。寂しがりの〈ひとり遊園地〉が招いたゲストを、彼らキャストは狂気的に明るくもてなす。この夢のような世界の中央広場で水先案内人を務める彼らは、次から次へやってくるゲストに笑いかけ、誘導し、どんなトラブルにも対応する。
 上映開始のブザーが鳴る。メイプル味のポップコーンを、男は噛みしめるように食べた。灯りが落ちる直前、男は隣に座る女に、あまやかな労いの微笑みをかける。


 3.マシュマロ __ よろず屋店主

 神意きらめく星座街の一角。小さな事務所。盲目の男がデスクにつき、小皿に盛った白い球体のひとつを、まっすぐ手を伸ばしつまんだ。口にするとそれは一瞬綿のようにやわく、しかしみっちりと、口中の空間を支配する。柔らかさと硬さの中間にある絶妙な弾力を舌で感じるうち、かたまりがしゅわしゅわと溶けていく。最後に残る甘い芳香。食べたのか食べていないのかわからない後味に、もうひとつと手が伸びる。
 部屋の壁際で物音がする。ケージのなかの黒ウサギがキャベツをかじっているのだ。同時に別の方向からも物音、これは木靴の足音だ。
 そしてコーヒーの香り。戸を開けて現れたのは、中華風のタイトなドレスに身を包んだ長身の人物。大ぶりの鈴型イヤリングが、歩くたびに微かにりんと鳴る。トレイに載せたマグカップのひとつを男のデスクに音が鳴るよう置き、自分の分は立ったまま両手で包んで、ひとくち啜る。一言もかわされることのない会話。静かな室内。客がこない。


 4.キャラメルタフィー __ 生体兵器

 彼女は年の頃にすると、十代半ば。もうじき大人になりかける、多感な時期だ。けれど表情は陰っている。石造りの牢のなかに囚われた水龍の娘は、蝋人形のようなつめたく固い面持ちで、床を見つめている。水に濡れた床には、彼女の下半身がとぐろを巻いていた。
 造られた生命も、また生命を喰らって生き延びる。毎朝毎夕訪れる、彼女専属の炊事係との会話が、彼女に唯一許された外界との接点だ。そして今日は、まだ夕食の時間には早い。あれっ、と彼女は不思議に思った。軍靴の足音とともに、重たい石扉が開く。炊事係の軍人は、悪戯っぽい笑みで彼女に棒付きのキャラメルタフィーを手渡した。キャラメルとくるみを絡め固めたお菓子だ。
 そしてもうひとつ、彼女が興味を示したファッション雑誌。濡れないように、牢の隅に取り付けられた小机にそっと置かれる。小窓の光の下、タフィーをかじりながら雑誌をめくる。彼女はそのとき、両手に持てる限りの輝きを持った、ただの十代の若者だった。


 5.ポテトチップス __ 軍人

 男は外見からすると、三十がらみの好青年。軍人ながら、ある特殊な任務を遂行するため、毎日炊事を行う。
 軍の秘密機関が開発した、生体兵器の健康管理。彼は機密を守ること、生体兵器の“有用性”を損なわないことを絶対条件に、その任務を任された。
 この日は非番だった。朝夕の配膳で「彼女」のもとに行く以外は、自宅で過ごす。日課のトレーニングは完了した。洗濯や掃除もすんだ。買い物に行く用事もない。やることがない。ふと、棚に買い置きしてある小袋の存在を思い出した。袋を開けると、無遠慮な油のにおい。皿に移し替えることもせず、ソファに座って無心でかじる。一枚ずつ違う形状。芋の確かな噛みごたえ。強いペッパーの風味。指についた味つきの油をぺろりとなめる。半分ほど食べて、男はソファの背もたれに頭をあずけ、目を閉じた。ぞんざいで怠惰な時間の享受。
 彼は思いつく。そうだ。今度、「彼女」に菓子を差し入れしよう。


 6.あまなっとう __ 時空航路整備員・H

 時空航路整備員の仕事は多岐にわたる。新規時空渡航路の建設、既存航路の修繕、タイム・トラブル未然防止のための交通整備、異常時象の早期発見・初動対応、などなど。かれら精神生命体は時空を、過去と未来を安定して行き来するために、秩序をうみだしたのだ。
 整備員・Hはその秩序を守るべく与えられた特別権限を使用して、ある閉鎖時空を訪れていた。ひとりの老婆と飼い猫が、家屋と庭ごとこの閉鎖時空に綴じこめられている。老婆はあるとき調査に訪れたHを孫だと勘違いして、以来、ふたりの奇妙な交流は続いていた。
 「よう、ばあちゃん」とHはいつものように声をかけた。彼女の孫のようにだ。老婆は毎度違った茶菓子を用意して、Hを出迎える。この日はあまなっとうだった。
 「仕事はどうね」と彼女は独言のようにたずねる。「うん、まあまあだ」と、Hは優しく答えた。あまなっとうを手のひらに数粒のせて、ひとつ、またひとつと食べる。紫色に凝った異様な空が、時の流れを停めている。


 7.リングドーナツ __ 教護院教諭 

 病んだ心の化身たちが棲むところ、〈心の森〉。その森の奥に、清らかな泉がある。泉の精は気まぐれで、ある〈黒犬〉をヒトの姿に変え、街へと送り出した。
 病気の黒犬は、あどけない娘の姿になってから、生活が一変する。酒場で住み込みで働いたり、本を読んだり、路地裏の生活者を見たりした。
 彼女の時は流れて、今、祈りと学びの場所にある。彼女は教護院の教壇に立つことを選んだ。教護院には、身寄りのない子供たちがつどう。生活と学習の支えは地域と富豪からの寄付金であり、贅沢はできないながらも、子供たちには健全なくらしが保証されている。
 昔のことを忘れながら、今この瞬間を懸命に生きる。深夜まで教材づくりに励んでいた彼女は、教員室のデスクに突伏していた。夕方に婦人会から子供たちにと頂いたドーナツのお裾分けが、皿に載ったままになっている。脳に糖分を補給するように、彼女はガツガツ食べた。熱中すると他事を忘れてしまう癖は、昔から変わっていない。


 8.アップルパイ __ 魔法薬調合師

 アップルパイを食べ終えた皿を片付けるため呪文を唱えようとしたとき、小さな吐息が聞こえて、兄は顔を上げた。弟の微かな運唇を、彼は見逃さぬよう読み取った。──に、い、さ、ん、ご、め、ん、な、に、も、で、き、な、い。
「そんなことはないよ。美味かったって言ってくれるじゃないか」
 弟の病名は〈呪縛症〉。魔法使いの血族に稀に生まれ、魔力を持たず、通常の倍以上の速さで衰弱する。そして、その涙は愛する者に肉体的な苦痛を与える。魔法医学の書にはそう書かれている。だが、兄たる彼は、苦痛など意に介さなかった。弟のために、できることはなんでもした。特効薬であるとされる〈解呪(ゆるし)薬〉を開発するため、魔法薬の調合師になった。そして、なによりも、時間が許す限り一緒に過ごした。手間を省くためではなく、近くに居るために魔法をつかうのだった。


 9.せんべい __ 会社員

 十時間の睡眠から目覚めて即口にするのがこれなんて、ちょっとおかしいかもな、と男は思った。しょうゆせんべい。たまにこの部屋で寝起きする女が、彼が甘い菓子を好まないことを知っていて買い置きしてくれるのだ。だから毎日食べたいのかといえばそうでもない。ただ、固いせんべいを噛み砕くときの、脳にひびくバリバリという音。これが嫌いではなかった。
 男は、今日も自分の世界が歪んでいることを認識した。幽霊や魔物に触れて、有り得ない光景が見える。周囲の人間は、どうやら感じもせず知りもしない世界を、自分は見ているらしい。たまに部屋に訪れる女に、躊躇いながら打ち明けたことがある。「あたしも似たようなことあるよ」と言って、彼女はからりと笑った。
 じゃあ、もしかすると世界に常識として受け入れられている理屈とはまったく異なる世界に、自分たちは接続しているのかもしれないな。男は寝床でせんべいをかじりながら、そんなことを考え、可笑しくなって笑う。


 10.プリン __ 旅人

 街にたどり着くと、旅人には決まってすることがある。
その土地の魔法の特色を見定めることだ。火炎を吐く竜族との古の交流が生活の基盤となったため火を活用するのが得意な地域もあるし、河川の近くで水害を防ぐため水理を操る魔法に長けた地域もある。どんな風土かはその土地の飲食店に行けば知ることができる。つまり、腹ごしらえが最優先ということだ。あたたかみある木造のレストランで、旅人が食後に腹をさすっていると、おまけと言ってコックがプリンを提供してくれた。
 本体の濃い黄色と苦そうなカラメルの対比がそそられる。卵の味がする、手作りのプリンだ。こってりとした味わいに、旅人は厨房のコックへ親指をたてた。
「この街のこと何かわかったかい? 旅人さん」
「ええ。これから見て回ります。元気をもらったので」
 ははは、そうかい。道中気をつけてな。楽しんでいってくれよ。笑いに見送られて、店を出た。天気はよく、街に来る前よりも旅人の足取りは軽い。

〈続〉

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