目的地に行くためを考える
少し前にオカタクさんにお会いした時に見せてもらった手帳が印象に残っていて、今週木曜日にはみんなに講義をしていただいちゃいました。
自分憲法。オカタクさんはこれを7年間更新して、毎日やり続けている。
生半可なことじゃないなと思いました。
そして、講義を聞いていて一番感じたことは
まだまだ自分には目的を言語化する力が足りてないなということ。
ありたい姿から逆算する
人はワクワクする目的があれば頑張れると思います。
私は比較的そういうタイプです。
実際、貯金は自分のやりたいことを実現するためにできたし、
カンボジアで屋台は、純粋なワクワクと、心と体の成長と経営視点を体感するためにできました。
でも、人生レベルで考えるともう一歩先まで考えることが大事なんです。
例えば今、「純粋なワクワク」と表現しているものは
他の人には無い、私だけのユニークな感情。
それがどんな背景から来て、どう活かしていくのが得策なのかは、もっと深堀りする必要があります。
もっと言えば、「どう活かすのか」というのはゴールが決まっているからこそ考えられること。
現時点での私から背伸びして届く範囲や、単純な好奇心だけで考えるのではなく、最終的に辿り着きたい目的地から逆算して考えることなんです。
食べたい料理があるから材料が買える
例えば、食べたい料理が決まっていると、自ずと選択肢は狭まるんです。
カレーが食べたいときは、にんじんやたまねぎ、じゃがいもなんかを買ってきて、煮込んでルーを入れればベーシックなものは完成します。
もしくは、カレー屋さんに行けばいいかもしれない。
でも、食べたい料理が決まっていないと作れないばかりか材料も買えないで彷徨うことになります。
カレーがいいのか、肉じゃががいいのか、ジャーマンポテトがいいのか。
なんとなくじゃがいもが必要なことはわかるけど、その先に進めない。
これだと料理は出来ないですよね。
実は人生も料理と同じで、「食べたい料理=ありたい姿」なんだなということを改めて実感しました。
そして私は今、食べたい料理を考えている途中なのだということも受け止めました。
走りながら考える前に
私は今まで走りながら考えてきました。
ただその考える行為は、どちらかというと
その時その時の物事について考えている感じでした。
そうではなく、もっと長期スパンで捉えたときに、その物事を何故やるのか?という問いが必要だったんです。
例えば、私は死ぬまでにガラパゴス諸島でゾウガメに会うのが夢です。
でも、それは何故なのか。そうすることで自分の中のどういう部分が満たされるから夢だと思っているのか。その後にどう繋げたいのか。
まだうまく言語化できないことが多くて悔しいですが、一つだけわかるのは「本当のことは自分でやらないとわからない」と思っていること。
だとしても、じゃあ何を知りたいのか?知ってどうするのか?というのはまだ言語化できていない部分なので考えていきたいです。
まずは仮でもよいので、自信を持って話せる長期的な目的地を設定してみる。
実際に走り出さなきゃわからないこともあるし、そんなに考えても出てこないよって意見もあるかもしれないけど、今まであんまりそれを描いてこなかった私にはそれが必要だなと思います。
うーん、頑張って考えよう!
みなさんの最終目標も、もしよかったら教えてください。
ご清聴、ありがとうございました。
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