「Aさんが亡くなったのは何でだろうと思った」一橋大学アウティング事件裁判の控訴審を傍聴
一橋大学アウティング事件裁判の控訴審を傍聴しました。
今回は、亡くなってしまったゲイの大学院生Aさんを対応した、当時の相談員への証人尋問でした。(一審の判決についてはこちら:「日本の司法はそんなものなのか」一橋大アウティング事件、踏み込まぬ司法判断に遺族ら落胆」)
証人尋問は、被告代理人の質問にそって証人(相談員の方)が当時の様子を話し、続いて原告代理人が質問。一審の情報なども加味して質問をしているので、時系列などは行っては来たりと、残念ながら傍聴席からは原告代理人の質問の意図までは汲み取れなかった状態です。
それを踏まえた上での個人的な感想ですが、確かに相談員の方は本人の話を傾聴し、大学のルールに従い手続きを行っていた様子。アウティングはハラスメントだと認識もしていました。
でも、「クラス替えは本人が望んでいないようだからしなかった」という所や、「ハラスメント相談室の専門相談員の役割は限定的で、ほとんどの事例は自己解決になる」「または申し立てるなら申立書の作成の手伝いをする」という所など、ほとんどの事例が自己解決...?等々、疑問を感じました。
横の連携(一橋大はジェンダー社会科学研究センターがあります)は検討していなかったのかな、とか。話を聞いている限り、ハラスメント事案に積極的には介入していない様子に、やはり一橋大学のハラスメント相談体制に対して疑問を感じざるを得ませんでした。
さらに、相談員の方が「身近な関係だからこそカミングアウトできないという同性愛者等の特有の問題は認識していなかった」ことや、亡くなったAさんは「友人や先生に相談ができていて、自分の気持ちをしっかり話せる人」だと認識をしていたそうで、でも実際、模擬裁判に出席した際には吐いてしまったり、相談員の方の問題の認識不足や、カバーできていない所もあったのではと感じました。
尋問の最後に、原告代理人がAさんが転落してしまったと知らされた当時のことを質問すると、相談員の方が「なんでだろうと思いました」と答えたのが、心に重りがずっしりと乗りかかってくるような感覚になりました。
相談員の方も確かにできる限り対応しようとしたと思うし、周りの人たちも対応していなかったわけじゃない。でも「知らなかった、予測できなかった。だからしょうがない」で片付けられて欲しくない。大学の相談体制や、制度として、もっとカバーできたはずのところを怠っていたのではと感じます。
地裁の判決では「アウティングが不法行為か」という議論すら踏み込まれませんでした。でも今や国立市や豊島区ではアウティング禁止が条例に盛り込まれ、国レベルでもアウティング防止を全ての企業に求める方針になっています。少なくともこの辺りの議論を踏まえて裁判所には判断してほしいと願うばかりです。