メタバースとゲームの目的の話
こんにちは、sosekiです。
ご無沙汰しています。
最近、オンラインゲームに手を出したので、そこで書いたことを雑記に残したいと思います。
街で人と暮らすゲーム
今回私が参加したのは、準メタバースな、街で人格を演じながら生活するものです。そこでは大きな街が形成され、さまざまな職業があり、店舗も立ち並び、生きていくためには白黒なにかしらの仕事をせねばならない世界です。
もともと有名配信者の方々が遊ばれていたブランドのファンサーバで、ざっと800人くらいは参加者がいるようです。
ポジティブに感じた面
本当に文字通り、一日で100人の知り合いを作ることができます。また、あくまでRP(ロールプレイ)なので、プレイヤー本人(中の人という位置付け)人格ではなく、なにかしら設定の元に架空の存在を演じ合う同士のコミュニケーションなので、セキュリティ性やトラブルは比較的少なく、上手く関わればちょうど良い距離感で友人ができ、別のオンラインゲームやコミュニティが発展的に生まれるケースもあります。
ゲームそのものに関しても、リアルで経験できない職業を疑似体験できたりします。割とリアルに従業員管理や経理を求められるシーンもあり、経営肌の方が手腕を振るわれています。
得られた教訓…とっても疲れる
ここからはネガティブな面も含めての、個人の感想です。あくまでsosekiの主観がベースです。
まず、ゲームという存在の目的に対してのお話です。ゲームは娯楽に分類されます。一人もしくはみんなで楽しみ、それでストレスを発散できる存在です。
このオンラインゲームに参加して最初に感じたのは、めちゃくちゃ疲れる!ということ。数時間遊んだ後、頭がクタクタになり、次の日に疲労が残るのがわかりました。
当時二つ原因を認識しました。
ひとつは1つの脳で二つの人格を演じる難しさ。台本のない世界にRPで望むと、よりリアルな別人格体験ができる一方、それを演じているのはあくまでリアル側の脳でしかありません。二つの人生を24時間という限られた時間にシェアするのは、身体負担が大きいのかもしれません。
もう一つは、人間関係が形成されること。NPCではなく、皆が人格を有しアドリブでのコミュニケーションを行います。この点はリアルと同一です。
人との交流には、楽しさとしんどさが共存しているものです。時に重たいトラブルがあれば、ましてそれが偶々リアルでもトラブってるときに重なったりでもしたら、精神負担は倍になります。
元来、ゲームは娯楽であり、娯楽の大きな目的の一つはストレス発散だったりするのですが、逆行していることがあります。
メタバースがより一般化した未来の黎明期に同様の問題が多々発生するのではと想像しています。一つの身体で、二つの人生を送るように人間はできていません。ストレス度合次第ではありますが、体験して分かった大きな課題となりました。
プロとアマチュアの違い
先述の通り、私がいるのはとある有名サーバのミラーです。ファンサーバ、即ちほぼ一般人の集まりです。ほぼ、と書いたのは、なかにはプロの配信者(自称含む)も参加しているためです。
プロの方々が繰り広げるメインサーバでのドラマの数々は、見る人の感情を揺さぶります。そこで面白いと感じた人たちがファンとなります。私もその一人です。
そんな期待と羨望を抱えいざ参加し、最初に感じたのは「やたらとあちこちで恋愛ムーブが起こっている」ことへの違和感でした。半年ほど観測していたら、山ほどゲームないカップルが生まれ、中には結婚式まで挙げて、そしてその多くが早々に別れていきました。そう、大体破局となります。
カップル醸成期は正直出会い系ゲームかよって思う勢いでした。この点は浅はかな言葉で原因を紡げないのですが、あくまで一因として、若いプレイヤーの方々が多いことや、リアルで逢えない相手との疑似恋愛への羨望があるのではと思いました。山ほど人間が身近にできうるからです。
もちろんこれは一例でしかなく、他にも色々ポジティブなドラマはありうるのですが、プロの配信者の方々が集まるメインサーバはやはり、エンターテイメントとしてのRPをされており、一つひとつの物語やハプニングが、ちゃんと気持ちよく昇華されていきます。ファンサーバのほうは、明確なエンターテイメント性がない人たちも多々入り混じった結果、ある意味リアルに近いどろどろとした蟠りやすれ違いも起きますし、そのリアリティと曖昧な割り切りが悪因となり、ゲームの外にまで感情がボロボロとこぼれ落ちています。実生活に支障が出るのは好ましくありませんね。
社会実験
問題提起みたいになっちゃいましたが、普通に、めちゃくちゃ楽しいのは間違いありません。なにせ、現実でできないことが、一層リアルに別世界で疑似体験できるように進化してきたからです。
この反応は社会実験として観ると非常に面白く、それを主観、客観の双方から見たくて、私はゲームに入りました。web3が本気でやってきて、いよいよインターネットが本格的に別人格を有する時代が遠くはないなか、どんな風に接していくかを一早く、一端でも知れたのは大変有意義でした。
ゲームがテレビの中で本格的に動くようになった80年代、ネットで自己発信できるようになった90年代、外へ持ち出せるようになった00年代、双方向性やリアルタイム性が一層たかまった10年代に続き、20年代にはいよいよパラレルワールドが訪れるかも、知れませんね。
この記事はあくまで私個人の感じたことを書き殴った雑記であることだけ、最後に改めて添えさせてください。日記とか独り言みたいなもんです。
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