日々思うだけ#5「グラデーションで考える」
はじめに
こんにちは、霧谷 海兎です。
中学生や高校生の時、「その選択は絶対後悔する」「絶対上手くいかない」とよく大人に言われたものです。僕は価値判断や評価をする際に「絶対」という言葉を使うのが嫌いです。それを使う人間も嫌いです。以前ブログで、偏見と差別に関して言及しました。偏見は誰しも必ず持っているが、それを自覚して言動に反映できるかが大事というのが僕自身の考えです。
一方で、自分の意思を固めたり、決意の表明としての文脈で「絶対」という言葉を使うのはむしろ良いことだと考えています。
当時俺を否定した大人どもめ......絶対後悔させてやる......
わかりやすさに飛びつかない
もちろん、「はじめに」の最後の一文は冗談ですよ。はは、やだなぁ冗談に決まってるじゃないですか(真顔)
それはさておき。日々思うだけ#2で「極端の回避性」の話をしましたが覚えていますでしょうか。
人間は選択肢が複数あると、無難なものを選びがちという特性があります。
しかし、価値判断や評価の場合はどうでしょうか。例えば、学歴に関してインターネット上ではこうした意見が見られます。
「低学歴はまともな能力がない。簡単なことすら上手くこなせない」
「高学歴は使えない。頭でっかちで社会で活躍できない」
さて、これらの主張は一体正しいのでしょうか。間違っているのでしょうか。聡明な皆さんには僕の言いたいことがわかると思いますが
正しいとも言えるし、間違っているとも言える。
というのが、僕の答えです。もっと正確に言うと
正しいこともあるし、間違っていることもある。
でしょうか。統計学をある程度勉強したことがある方ならわかると思いますが、トップクラスの大学と比較的偏差値的に下の大学では、全体としての学力のレベルはトップクラスの大学の方が高いでしょう。
例えば
A大学:トップクラスの大学
B大学:偏差値50ぐらいの大学
の中から、それぞれランダムに5人抽出して、高校レベルの問題を解かせたとします。この時、5人の平均点が高いのは、ほとんどの場合A大学でしょう。
かといって、A大学のすべての学生がB大学のすべての学生に勝っているわけではないでしょう。先ほどのテストをA大学とB大学すべての学生に解かせた時、B大学の1番優秀な学生は、A大学の学生少なくとも1人には勝っているでしょう。もしかしたら、A大学の1番優秀な学生よりも点数が高いかもしれません。
この例を持ち出して言いたいことは
「全体の傾向を個別に当てはめる」「個別の特性・事象を全体に当てはめる」
ことを安易に行うべきではないということです。
学歴の例でもそうですが、他にも「男は~」「女は~」であったり、あとは国の問題とかもそうですね。他にもたくさんあります。
極端の回避性の時は、ほどほどの選択肢を好んでいた人々が、何故何かを評価する際は極端な解釈をするのか。
どちらにも通底しているのは、深く考えなくてもよいということではないでしょうか。
つまり、考えたくないから、わかりやすいラベルを貼ってしまって世界を解釈するわけです。
学問の世界ではよくモデルを使います。例えば、経済学では「価格はこう決まると仮定して考えを進めていこう」としたりします。しかし、これは複雑な世界を解釈するために、足がかりとして行うものであり、その仮定が間違っていると判断すれば改められます。
考えるための仮定と、考えを放棄するための決めつけは似て非なるものです。決めつけをしている人間には「間違っていたら改める」という考えが欠如しているので(そもそも考えていないので間違いに気づけないことも多いので)、改められることはほとんどないでしょう。
思考の放棄は簡単です。答えをくれる人はたくさんいます。「○○すれば儲かる」「××は悪い奴だ」「△△はしない方が良い」しかし、それはあなたにとっていい答えではなく(そういう場合もあるかもしれませんが)、彼らにとって都合の良い答えです。仮に誰かの言いなりになって上手くいったとします。ですが、その誰かがいなくなった時、一体どうするのでしょうか。他の誰かにまた答えを求めるのでしょうか。
最後に
とはいえ、複雑な世界を経験や観察・獲得した知識だけで正確に捉えることは難しいです。少なくとも僕は「俺は正確に世の中のことを把握してるぜ」なんて口が裂けても言えません。分からないことだらけで泣いています。
物事を評価する際に気を付けていることは3つ。
①複数の評価軸を持つ
②分からない部分があると心得る
③間違っていると気づいたら改める
①について例を挙げてみます。例えばZさんという人がいます。この人は優秀かどうか。場面設定しないと少しふわっとしてしまうので、あなたが面接官(人事)で新卒採用を担っているとしましょう。Zさんはトップレベルの大学を卒業しており、話し方も知的です。あなたは彼を採用すべきでしょうか。
おそらく、ここまでであれば大体の人は採用すべきだと判断するのではないでしょうか。
しかし、この場合どうでしょう。彼のネクタイは曲がっており、髪も爪も伸びっぱなし。実はこの面接には1時間以上遅れてきている。自分に自信があるようだが、その分他人を見下したところがあり、詳しく聞くとチームで何かをする際に揉めたことが何度もあるらしい。彼曰く、すべて相手のせいだそうだ。
この場合どうでしょうか。
「他人にどう見られるか考慮していない」「時間にルーズ」「プライドが必要以上に高い」「他責思考」「協調性に欠ける」
といったところが特性として読み取れます。
仮に今募集中の職種が営業だった場合、彼は顧客に失礼なことを言ってしまうかもしれません。見た目に気を配っていないことで、話を聞いてもらえず、しかしそれを顧客のせいにしてしまうかもしれません。
仮にプロジェクトチームで働くような場合、彼はチームメンバーといざこざを起こし、結果としてチームのパフォーマンスは下がってしまうかもしれません。
さて、このような状況でも彼は優秀だといえるでしょうか。
彼を優秀かどうか判断するかは、見方によると思います。個として力があればそれで大丈夫な仕事であれば、彼は採用すべきかもしれません。
つまり、その時々の前提条件・環境に応じて複数の軸で評価すべきということです。
心理学の用語に「ハロー効果」というものがあります。ハローとは、後光のことです。例えばとても容姿に優れていて、演技も上手い俳優がいるとします。これだけで「彼はきっと人格者に違いない」と判断することが、ハロー効果です。特筆すべき特徴だけを見て、全体であったり他の部分を判断してしまうことですね。複数の軸で見るということは、このバイアスを避けることに役立ちます。
②と③に関してはほぼ見たままなのですが、②に関してだけ少し補足します。分からない部分を分からないとして認めることが重要だという考えですが、なんでもかんでもというわけではありません。調べたり、詳しい人に聞けばわかることは、知る努力をすべきでしょう。それでも分からない部分を、分かった気になったり、ないものとして扱うべきではないということです。
今回はグラデーションで考えるというテーマで書いてみました。この考え方が役に立つかどうかは、場合によると思います。
おわり
ブログも更新中。良かったら読んで下さい。
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